第2話 晴山湊

 晴山湊は頭を抱えていた。


 何がどうしてどうなってこうなったのか。僕は寝起き最悪の頭で一生懸命考える。鏡に映る自分がこんなにも憎くて仕方なかったのはこれが初めてだ。


「湊くん、好きな人いるの?」

そう彼女が言ったのは昨日の夜。

「え」

何を聞かれているのかわからず、頭に「?」が浮かぶ。人通りの多い駅前。僕はその瞬間だけ周りの音が全部消えたかのような錯覚に陥った。

「そっか……うん」

何が彼女に伝わったのかは知らないが、納得したかのように静かに頷く彼女を僕は呆然と見つめることしかできなかった。

「湊くんって、私のこともう好きじゃなかったんだね」

何がどうしてどうなってこう思ったのかは、本当に全くわからないが、彼女は僕が他の女の子を好きだと思っている。

「ごめん……そんなこと……」

「……何で謝るの?」

確かに僕は何で謝ってるんだろうとは思った、思ったけれど。咄嗟に謝ってしまった自分を殴りたい。


 黙って考え込んでしまった僕を見て、

「やっぱり他に好きな子がいるんだね。ごめんね、いままで気付けなくて」

そう言って微笑んだ彼女は「バイバイお幸せに」

一方的に僕にそう言い放った。


 何がなんだか分かっていなかった僕が、頭フル回転しようとしているうちに、彼女は背中を向ける。彼女が歩き始めて、周りの騒めきが戻ってきて、やっと。やっと僕の頭は周りだした。慌てて身体を動かし、人混みに消えかけている彼女を引き留めようとした。引き留められたはずだった。


 そう、運悪く上司に会わなければ。


「よぉ、晴山。どうした?顔死んでんぞ」

声をかけてくれたのはいつも良くしてくれている上司だった。が、タイミングが悪すぎる。それどころではない僕は、軽く会釈をして、

「すみません、急いでるのでまた」と失礼なくらい早く話を切り上げた。

 それなのに、それなのに彼女の姿はどこにも見当たらなかった。彼女が歩いていったはずの道はもう、沢山の人で埋め尽くされていた。追いかけようと勇ましく踏み出された一歩目が、悲しそうに地面に降り立つ。


 僕はもちろん、家に帰ってすぐに電話をかけたし、メールも送った。それなのにずっと繋がらない。もしかしたら、着信拒否をされてしまったのかもしれない。一晩中彼女の最後の悲しそうに微笑んだ顔が頭にこびりついて離れなかった。ずっと考えて考えて考えまくって、そして、いつの間にか窓の外は明るくなっていた。朝になってしまっていた。


 僕は、僕は彼女が好きだ、好きに決まってるじゃないか。彼女以外の全女性に、全くもって興味などないのだ。神様にも閻魔様にも誓える。地獄で意気揚々と舌を差し出して、舌を切られない自信しかない。ピノキオの鼻が伸びるどころか縮むと断言できる。それくらい彼女が好きだ。この世の誰よりも好きだ。それを彼女は分かりきっていると思っていた。この先もずっと彼女と幸せに生きていく、その選択肢しか僕には存在していなかったのだ。


 そう、僕の覚悟は本物だ。

 そろそろ付き合って五年だった。その節目でプロポーズしようと婚約指輪も完璧に準備してあった。


 なのに、なんでどうしてこうなったんだ!


 晴山湊は、雨宮凛を心から愛している。

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