第150話 後ろ髪引かれるレジーナ

随分ずいぶんと世話になったわね。ボールドウィン」

「レジーナさん。どうかご無理はせずに。体がすこやかであることが一番大事ですから」


 念を押す様にそう言うボルドにレジーナは苦笑しつつうなづいた。

 彼が自分の身を案じてくれることが、今の彼女にはたまらなく嬉しいことだった。


 体調をくずして倒れたレジーナがボルドによって森の小屋に運び込まれてから3日がった。

 ようやく体調を元に戻したレジーナは当初予定していた岩山の新都への立ち寄りを中止し、戻ることになったのだ。

 クローディアである彼女はすぐにダニアの街に戻らなくてはならない。

 もちろんボルドはそのことを知らず、彼女もそれを彼には伝えない。


 レジーナを森の小屋で夜通し看病した後、すぐにボルドは鳩便を新都に送っていた。

 その日の午後にはボルドの鳩便を受け取ったダンカンが大量の医療具や薬、そして食料などをたずさえ、ジリアンとリビーをともなって小屋に駆けつけたのだった。

 すぐに戻ると言うレジーナにダンカンは初め難色を示したが、それでも彼女の意向には従った。


「レジーナ様。お帰りが1人では危険です。せめてジリアンとリビーをお連れ下さい」

「ええ? もう心配性ねダンカンは。ワタシが連れて行ったら2人は数日、仕事が出来ないじゃない。別に1人で大丈夫よ」

「なりません。どうかお聞き分け下さい」


 譲らぬダンカンにため息をつくとレジーナは渋々とうなづく。


「分かったわ。その代わりジリアン1人でいいから。リビーはダンカンとボールドウィンを護衛して岩山まで戻って」

「レジーナ様……」

「ダンカン。この辺りは人通りがほとんどないからって単独行動は危険よ。ボールドウィンをあまり1人で出歩かせないように。貴重な人員は大事にしてちょうだい」


 ピシャリとそう言うレジーナに今度はダンカンが渋々とうなづいた。

 それに満足するとレジーナはボールドウィンに向き直る。


「ボールドウィン。あなたも無理をせずに自分を大事にしなさい。それと……ゆうべのこと、ずっと忘れないから」

「ゆうべのこと?」

「え? か、看病してくれたことよ。感謝してるわ」

 

 少しほほを赤らめながらそう言うとレジーナはボルドの肩をポンと軽く叩いた。


「じゃあ……またね」

「はい。お気をつけて」


 そう言って頭を下げるボルドにレジーナは少しだけ名残惜しそうな表情を見せて、その場を後にした。

 後ろ髪を引かれる思いで彼女は馬を走らせるのだった。


******


「ジリアン。分かってると思うけれど、街の手前まででいいわよ」

「はい」


 ジリアンと2人で馬を走らせながらレジーナはそう言った。

 分家を追放された身である彼女をダニアの街に連れて行くわけにはいかない。

 しかしレジーナが本当に言いたいのはそのことではなかった。

 彼女は幾度か逡巡しゅんじゅんするが、思い切って聞きたいことをジリアンにたずねてみる。


「……ボールドウィンと付き合ってるって聞いたけど」 

「い、いえ……それは違います」

「やっぱり方便ってこと? 彼が他の子たちに手出しされないように」


 レジーナの言葉にジリアンはバツが悪そうな顔でうなづいた。

 ジリアンは一本気な性格だ。

 うそは言わないだろうと思ったが、それ故に彼女の気持ちがけて見えるような気がした。

 レジーナはわずかに躊躇ちゅうちょしつつたずねる。


「彼のこと……気に入ってるの?」

「……はい」


 やはりか。

 レジーナは内心でため息をついた。

 ボールドウィンには手出しをしないように。

 クローディアの立場ならばそれを命じるのはたやすい。

 だが……それはレジーナの本意ではなかった。

 故に彼女は本心をいつわって言う。


「色恋沙汰ざたは個人の自由よ。ジリアン。あなたが彼を好きなら思う通りにすればいい。ただ……彼は大事な仲間よ。傷つけたり強引なのだけは厳に禁じます。まあ、あなたはそんなことはしないわね。ジリアン」


 彼女の言葉にジリアンは神妙な顔でうなづいた。

 しかしすぐにフッと自嘲じちょう気味な笑みを浮かべて言う。


「ですが……見事にフラれました。どうやらアイツには想い人がいるようです」


 想い人。

 その言葉にレジーナは自分の心がささくれ立つのを感じた。


「そう……仕方ないわね。元気出しなさい」


 そうジリアンになぐさめの言葉を投げかけるが、その声が自分で思った以上にしずんでいることにレジーナは辟易へきえきする。

 元より、いずれ時を見て彼はブリジットの元へ帰すつもりだ。

 ブリジットとの協力関係を築くためには必要なことだった。


 だが……レジーナはそのことを考えると心にもやがかかったかのように感じられて仕方がなかった。

 明瞭だったはずの視界が今や白くかすみがかっているように感じられる。

 クローディアとしてすべきことと、レジーナとしてしたいことが、相反してぶつかり合っているせいだ。

 そんな彼女の様子を見つつ、ジリアンが恐る恐るたずねた。


「あの……レジーナ様。ボールドウィンはもしかしてレジーナ様の情夫になる予定なのですか?」

「ええっ?」


 思いもよらぬ唐突なジリアンの問いに、不意を突かれたレジーナは頓狂とんきょうな声をらしてしまった。


「ど、どうしてそうなるのよ?」

「す、すみません。あいつ、献身的にレジーナ様に尽くしていましたし、そうなのかと……」


 以前にリビーとも話していたが、ジリアンはレジーナとボルドがいい仲なのではないかと勘繰かんぐっていた。

 そして体調をくずしたレジーナをボルドが優しく看病している様子からも、そんな風に思えたのだ。

 だがレジーナはこれをきっぱりと否定した。


「……違うわよ。そうだとしたら先にあななたちに言っておくはずでしょ。彼に手を出さないでって」


 そもそもボルドを無垢むくのままブリジットの元へ帰すのならば、彼を岩山になど連れて行かずダニアの街で暮らさせるべきだった。

 だがレジーナは彼がどんな理由で死を選ぼうとしたのか、アーシュラから聞いて知っている。

 おそらくボルド自身、ブリジットの元へおいそれとは帰れないと考えているだろう。

 そんなボルドが全く別の新たな人生を歩みたいというのであれば、それを彼に与えてあげたかった。


(それは……ワタシと歩む道ではないけれどね)


 自分は分家の女王クローディアだ。

 ブリジットとの協力体制を望むなら、彼女がボルドと歩む道はない。


「はぁ……」


 ため息をつきつつ前方を見やると、ダニアの街が見えてきた。

 レジーナからクローディアへ戻る時間だ。


「ジリアン。もうここでいいわよ。ご苦労さま。気をつけて帰りなさい」


 そう言ってジリアンと別れると、レジーナはウィンプルを脱いで銀色の髪をさらす。

 街に戻る前に修道服から着替えなくてはならない。

 馬を走らせる彼女はすでにクローディアの顔に変わっていた。

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