第142話 揺らめく炎

 降り続く雨がボルドの顔をらす。

 彼はそれでも馬を走らせ、大木の元へと急いだ。


 その根元に座り込んでいる人物がグッタリとこうべれたまま動かないのが分かったからだ。

 そしてその人物の近くには手綱たづなを結び付けられることもなく所在なさげにたたずんでいる馬の姿があった。

 明らかに様子がおかしい。


「あれは……」


 倒れているのは女性であり、修道服を身に着けている。

 ボルドはすぐにそれが誰であるか分かった。


「レジーナさん!」


 大木に背を預けて座ったまま動かずにいるのは、修道女のレジーナだった。

 ボルドは馬を止めて地面に降り立つと、すぐにレジーナの元へ向かう。

 そしてその肩に手をかけて呼びかける。


「レジーナさん! しっかりして下さい!」


 だがレジーナはわずかにうめき声をらすばかりで目を開けない。

 その顔色はひどく悪く、彼女が体調をいちじるしくくずしていることは傍目はためにも明らかだった。


「ど、どうしよう……とにかく小屋まで運ばないと」


 ボルドは一度立ち上がると、馬の手綱たづなを大木の根っこの地面から張り出した隙間すきまに通して結びつける。

 そしてレジーナの両足の下に手を回し、もう片方の手で彼女の肩をつかむと歯を食いしばって彼女を抱え上げた。

 以前ならば自分よりも背の高いレジーナを抱え上げるなど無理だったろう。

 だがこの数ヶ月の労働者暮らしでボルドはすっかりたくましくなっていた。


 それでも正直なところ、かなり重くはあったがボルドは必死に彼女を馬の背に腹ばいに乗せる。

 そして自分の着ていた外套がいとうをレジーナの体にかけると、手綱たづなを解いて馬をゆっくりと歩かせた。

 もう一頭の馬が放置されたままこちらを見ているが、ボルドは優しく笑みを浮かべてその馬に言う。


「おまえのことは後で迎えに来るから、ここでいい子に待っているんだぞ」


 そして大木の陰から出て再び雨の中を歩く。

 ボルドは自身が雨にれるのも構わず、レジーナが馬から落ちないように手を添え、慎重に馬を歩かせた。

 それから数分で森の中の小屋に辿たどり着くと、彼は再びレジーナを馬から下ろして抱えた。


 そしてそのまま小屋のとびらを足で押し開ける。

 とびらにはかぎはかけられていないため、すぐに開いた。

 小屋を誰かに使われても構わないという思いでとびらには施錠せじょうをしていないようだったが、小屋の中には使われた形跡はなかった。

 ボルドがいた当時のままだ。


 この辺りはほとんど人通りがない僻地へきちのため、旅人が迷い込んだりしない限りはここに立ち寄る者もいないのだろう。

 ボルドはそう思いながらレジーナを必死に居間のソファーに寝かせる。

 本当ならばとなりの部屋である寝室のベッドのほうがいいのだが、居間には暖炉だんろがある。

 まずはれた衣服を乾かし、冷えた体を温めなければならない。


 ボルドは部屋のランプをともして室内を明るくすると、すぐに暖炉だんろに火をおこして部屋の中を温める。

 そして部屋に備え付けられた箪笥たんすから清潔で柔らかな布を取り出すと、レジーナのれた手足をぬぐっていった。

 だが修道服はまだれたままで、レジーナの体にぴったりと貼り付き、女らしい体の稜線りょうせんを浮かび上がらせる。


 思わずボルドは目をらした。

 男としての情欲が刺激されそうになることに罪悪感を抱き、らした視線を暖炉だんろに向ける。

 そこではくべられたまきがパチパチとぜる音を立てて、揺らめく炎に抱かれている。

 それは2人を寒さから守ってくれる命の炎のように、部屋の中を少しずつ温めていく。


「早く乾くといいんだけど……」


 室内にはレジーナ用の夜着なども残されているはずだが、しかしさすがにれた衣服を脱がせるのは気が引けた。

 彼女は神につかえし修道女だ。

 貞淑ていしゅくを求められる彼女の肌を、男であるボルドに見られるのは本意ではないだろう。

 そう思ったボルドはせめてレジーナのれた髪を乾かそうと、彼女が被っているウィンプルという頭巾ずきんを脱がせる。


 途端とたんに水にれた銀色の髪が現れた。

 そのつややかな銀髪の美しさにボルドは思わず息を飲む。


(そういえばレジーナさんの髪の毛を見るのは初めてだな)


 以前ここで共に過ごしていた頃は、家の中であっても彼女は決してウィンプルを脱がなかった。

 頭髪を見せたくなかったのだろう。

 やむを得ない理由があるとはいえ、見てしまったことに若干の罪悪感を覚えるボルドだが、それとは別の苦い思いが胸に浮かんでいた。


(ブリジットみたいだな)


 その美しい銀色の髪がブリジットを思い出させた。

 ボルドは胸の痛みを覚えながら、彼女の髪を上下から包み込むようにして布でやさしくいていく。

 それから顔や首などもぬぐうと、彼女がひどく発熱していることに気が付いた。


「熱いな……」


 ボルドは小屋の外の東屋から井戸水をんできて、そこに新たな布をひたしてしぼる。

 冷たい布をレジーナのひたいにピタリとつけると、彼女はわずかにまゆを動かしたが、目は覚まさなかった。


「レジーナさん……ひどく疲れているみたいだ。早く元気になって下さい」


 そう言うとボルドは小屋の外に出て先ほどの大木の元まで雨の中を走り、そこにいる馬を連れ帰ってきた。

 二頭の馬を小屋のとなりの馬屋につなぐと、彼らのためにえさと水を用意してから小屋に戻る。


「ふうっ……だいぶ部屋の中が温かくなったな」


 すっかり再びずぶれとなった体をブルブルッと震わせるとボルドは暖炉だんろの前に歩み寄る。

 自分自身の体もすっかり冷え切っていることに気付いた彼は暖炉だんろの前に腰を下ろした。

 そして冷たい布をひたいに乗せたままレジーナが眠っているのを確認すると、ボルドはサッとその場で衣服を脱ぐ。

 そしてレジーナに背を向けると暖炉だんろの前でれた服を乾かすのだった。


 ボルドとレジーナの2人しかいない部屋の中は静寂せいじゃくに包まれている。

 雨は……まだ降り続いていた。

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