第129話 眠れぬ夜

 大きな地震だった。

 地面の下から突き上げるような縦揺れの後、グラグラとした余韻よいんがおよそ1分ほどに渡って続き、ようやく収まった時にはボルドが持ってきたかごはひっくり返って中の果実が地面に転がっていた。


「あ……危なかった」


 ジリアンとリビーは先ほどまでのケンカの怒りも忘れて、地面の上で真っ二つに割れている大岩を見つめた。

 城壁の一番上に積み上げていたそれは、激しい揺れによってずれ落ちてきたのだ。

 ケンカに夢中になっていた2人にボルドが駆け寄らなければ、ジリアンもリビーも今頃は大岩の下敷したじきになっていた。

 いかに屈強くっきょうなダニアの女戦士とはいえ、重さ数百キロはある大岩の下敷したじきになれば命は助からなかっただろう。


「助かったぜ。ボールドウィン……しかしおまえよく分かったな。地震が来るって」


 ジリアンは目を丸くしてそう言うとボルドの手を取って彼を引き起こす。

 彼女の言葉にボルドはなか呆然ぼうぜんとしながら先ほどの自分の感覚を思い起こした。


(地震……)


 それは地震を事前に感じ取ったというよりは、地震の前兆ぜんちょうを肌や骨で感じたという感じだった。

 地震の前段階である空気の振動のようなものをボルドの体が感じ取ったのだ。

 今まではそんなことはなかった。


 だが、自分の体に起きている変化には戸惑うものの、それは今のところ決して悪いものではなかった。

 気象や地震をいち早く察知できるなら、それは誰かの役に立つべくかせる感覚だからだ。

 現にジリアンらを救うことが出来た。

 ならば自分の身に起きている変化は歓迎すべきことなのかもしれない。

 ボルドはそんな風に思うのだった。


 その日の夜、男性宿舎では昼間の話で持ちきりだった。

 ダンカンが他の労働者たちと一緒にボルドを囲んで、酒のさかなにあれやこれやと話をしている。


「ボールドウィンは精霊様のご加護を受けているのじゃろう」


 そう言うダンカンの話に若い男らは笑い声を上げた。


「じいさんはそういう話、好きだよなぁ。精霊様なんていやしねえって。見たことないだろ?」


 若者たちの言うように、ボルドも今までの人生で目に見えぬ霊的な存在をその目にしたことはないし、仮にそうしたものがいるとしても自分がそれを目で見たり肌で感じ取れるわけではないと知っている。

 若者らの話にダンカンがムッとすると、それをなだめるように壮年の男性が言った。


「まあまあ。俺はボールドウィンは感覚が鋭いだけなんだと思うぜ。昔から雨が近付いて湿気が多くなると頭が痛くなったり古傷が痛んだりする奴もいるだろ。そういう感じ取る力が人より敏感なんだろ」


 確かに地震を感じ取った時はほんのわずかな大地の振動が自分の骨に響くように感じた。

 だが天命のいただきから落ちて大ケガをしたことで、そうした感覚が目覚めたのだとしたら、その理由はよく分からなかった。

 その日の夜、疲れていたボルドはすぐに眠りについた。

 暗闇くらやみの中で身を横たえながら、ボルドは妙に現実感のある夢を見ていた。


 それはブリジットの夢だった。

 彼女がどこかの戦場で勇猛に戦っている。

 剣を振るって次々と敵をほうむる彼女の背後では多くの女戦士たちが彼女と共に戦っていた。

 だがそのうちの1人の女がスルスルと背後からブリジットに近付くと、その背中に刃物を突き立てたのだ。

 味方に刺されたブリジットはその場に倒れ、口から血を流して動かなくなる。


「ブリジット!」


 ボルドはガバッと起き上がり、虚空こくうに手を伸ばした。

 そこはいつもボルドが寝泊まりをしている宿舎の一室だ。

 彼は静かに息を整えながらつぶやきをらした。


「……ゆ、夢か」


 暗闇くらやみの中に伸ばした手は何もつかむことはない。

 嫌な汗がじっとりとボルドの額をらしていた。

 思わずブリジットの名を口にしてしまったボルドは恐る恐る室内を見る。

 同室のダンカンはいつも通りイビキをかいて眠っていた。

 その様子にホッと安堵あんどするボルドだが、あまりにも生々しい夢を見たことで彼の心臓はいまだ早鐘はやがねを打っていた。


(ブリジット……嫌な夢だったな)


 ブリジットのことを夢に見るのはこれまでも度々たびたびあることだったが、こんな風に妙に現実感のある嫌な夢を見たのは初めてだった。

 ボルドは二度と会うことのない彼女の無事を神にいのる。

 まだうっすらと東の空が青くなり始めたくらいの時間だったが、胸騒ぎは治まらず、結局ボルドは朝まで眠ることが出来なかった。

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