石榴(ざくろ)

 そっからぁもう大変なもんさ。蜂の巣をつついたような騒ぎっていうのかい……泣き喚く餓鬼どもに、さすがにこのままじゃいけねえと上の年齢のやつが大人を呼びに行って女童は運ばれてった。その挙句に一人いねえとくりゃぁ、大人たちはわたしたちを叱るよりも前に捜索だ何だと大わらわさ。

 まあ、結局やっこさんは……帰ってこなかったんだけどねエ。

 女童はどうなったのか、実は知らないんだ。田舎の村だったからよ、医者もろくにいなくてさ。気が付いたら町の方に医者がいるからってんでそっちに家族ごと移り住んだってぇ話だ。


 おかしな話だろう?

 いきなり、どろんと、煙みてぇにだよ。

 

『ざあ、ざあ、ざあ、ざあ』


 ああ、いけないねえ。雨脚がまぁた強まってきやがったよ。

 兄さん大丈夫かい、寒く無いかい? そうかい、大丈夫ならいいんだ。え? 周りの連中かい?

 は、は、大丈夫大丈夫。あいつらぁ何も言ってこないからねエ、大丈夫なんだと思うよ。なあ、お前さんらそうだろう? ……ほうら、誰も何も言わないってこたぁそうなんだろう。

 ああ、またかみなりさんが鳴ってるねえ。本当に、嫌な天気だ。


 え? 今窓の外に女の影? は、は、そんなわきゃあないだろう、こんな天気だよ?

 うちの玄関はお前さんも通ってきたんだし、呼び鈴だってついている。迷い人だったら鳴らしてくるだろうさ。うん、うん。だから安心おしよ。


 さて、さて。そうそう、女童が引っ越しちまって……ってとこまでだったかね。

 結局気弱なあいつも見つからない、あれぁ幽霊なんかじゃなくて人攫いだったんじゃあないのかって餓鬼どもは反省したし恐れたもんだ。だがよう、わたしゃあれがどうにも忘れられなくてね。恐ろしかったんだ、あの女がね。人攫いってのは生きた人間だろう? そりゃまあ、生きた人間が一番恐ろしいだろうさ。人攫いだってあんな田舎でもいるかもしれない。

 だけどねえ、あの女は綺麗だった。恐ろしいんだよ? でも、綺麗だったのさ。

 だからやっこさんは、あの女に魅入られちまったんだなアって思ったものだよ。あの日そんなことがあったからか、お堂の奥には行けないように縄が張られちまって、わたしゃそれを残念にまで思っちまった。勿論、張られてなきゃあ行くのかって問われるとそこはまあ、怖くて怖くて無理かなあとも思うくらいには小心者だがね。は、は、は!


 それからすこぅし日が経った頃にはもうみぃんな、元通り。いつも通りの日常さ。で、なんでだろうねえ。近所で柘榴の実をもらってね。そういやあ花言葉を色々教えてみたが知ってたかい、果実にもあるんだよ。驚きだろう、なぁんでそんなこと考えるのかねエ! 人ってのは不思議なモンさあ。

 え? 柘榴かい。ああ、ああ、これがねえ、おかしなもんでさ。

 愚かしさ……なんだとよう。ほらほら、ギリシャ神話の女神さまが安易に食っちまったからとかそんな話があったろう、確か。あんまり詳しかないんだけどねえ。

 ま、ともかくよ。そんなこた餓鬼の時分に知ってるわけでもなし、近所でもらった柘榴の実をさ、そうだお供えしとこうやって急に思い立ってね。ほら、ほら、思い立ったが吉日っていうだろう。

 まあ、この日はそれが吉日じゃあなかったんだけど。は、は。


 神社までの道は相変わらず鬱蒼としていてね、昼間だったからお天道様は燦燦と輝いていて、蝉はじーわじーわ鳴きやがってよ、滝のように流れる汗をこう、拭いながらね歩いて行ったんだ。いつもなら田んぼにも人がいるんだけどよ、その日はそういや誰にも会わなかったなあ。

 それでぼろい石段をゆっくり登ってよ、お堂の前に行ったんだ。柘榴の実を置いて、さて帰ろうかってんで立ち上がろうとしたら動けない。ずっしりしやがるのよ。だけど誰かに乗っかられたってえ温度もない。じゃあなんでだって思うだろう? だけどわたしゃ即座にわかったよ、あの女だ、あの女が今背中を押さえつけてやがるんだ……ってね。


 ああ、ああ、あの綺麗で恐ろしい女に連れてかれちまうのか、喰われちまうのかって思ったらぶるっちまって。かたかたかたかた震えちまった! 別に悪いことをしたわけじゃあないはずなんだがね、人間ってのは不思議なものでさ。そういう時に出てくるのが許してください……なんだから笑っちまうだろう。

 許して、赦して、死にたくない、ごめんなさいってね。

 ところが後ろからは笑い声しか聞こえない。ふふふってぇ女の笑い声だ。それもねっとりした感じでよ、聞こえるっていうより頭に響くってえ方がしっくりくるかな。とにかく必死なこっちの願いをふふふ、ふふふって笑うんだよ。楽しそうに、嘲笑うのさ。それがまた怖くてね。 

 動けないのに温度はねえし、動けないのに女の声は聞こえるし。目の前に置いた柘榴の実には蟻がたかってくるしよう、頭がくらっくらしてきやがった。

 許して、ってどのくらい言ってたんだろうねえ。涙と汗で顔はぐっちゃぐちゃで、姿勢はきついしで、しんどかったよ。でもそれすら怖さになっちまうんだから、恐怖ってのはおかしなもんさ……。


 でさ、女が言うんだよ。見えないんだけど、耳元で。

 お前は罪を犯したろうってさ。なんのことかさっぱりだろう? 花を摘みに行ったからか、でもそれならみぃんなそうさ。肝試しに行ったからか、それだって違う。

 そうしたらさ、お前はともだちを置いて逃げたろう……って言うんだよ! それこそわたしだけじゃあない!! って声を大にして反論したかったね。

 ところが女はこういうのさ、嘲笑って言うのさ。

 だってお前、振り返ったろうって。

 振り返って、まだそこにいるのを見たのに自分だけ逃げただろうって。他の連中は振り返らなかった。お前だけは振り返って、アタシに連れてかれるってわかってたのに、お前さんは逃げちまったじゃあないかって言うんだよ。逃げないで取り戻しに行ったなら、女が許してくれたかどうかはわかんないけどねえ。そう言われちまえばぐうの音も確かに出なかった。

 わたしゃ、確かに見たからね。

 そしてあの子が連れてかれちまうんだなあって思ったのも確かだった。わたしは助けようってよりも怖いって思って逃げちまったんだ。だけどそれは、咎められるのは自分だけってぇのは理不尽だ。そしてそもそも女が何者で、あいつを連れてこうとしなきゃあ済んだ話で、って思ったら怖いけど怒りも生まれるってもんだろう? どうしてだってねえ。

 そうしたら言うんだよ、あの女がさ。笑いながら言うんだよ。


 おまえが悪くないって言い張るなら、なんであたしが見えるんだいってね。あたしの声に、言葉に、そんなに反応するんだいって。

 なんで見えるかなんて知らないよねえ。あの女童だって見えたんだ、わたしだけがどうこうってわけじゃないだろう。だから何にも知らない、知らないって言い張れば良かったんだ。でもねえ、わたしゃ愚かな子供だったからね、思わず目だけ動かして後ろを睨みつけちまったのさ。悪い事なんてしていない、自分の身を守っただけだ。あいつを置いて行ったのは自分だけじゃない、悪いのは自分だけ・・じゃあないってねえ、そう思いたかったんだと思うよ。

 けど、まあ、今どう思ったところで後の祭りさ。ふ、ふ……。


 うん? ああ、女の顔を見たのかって? ああ、見えたさ。見えちまった。

 どんなだったのかって?それはね、ふふ、ふ、ふ。

 まあ、それは後で話してあげよう。

 ところで、お前さん。どうしてそんなに震えているんだい。

 さっきから、窓の方をちらっちらと何度も見ているだろう……? 気付いていないと思ったのかい、かみなりさんが鳴る度に、おまえさんが窓を見ちゃアぶるぶるしている姿ははっきりと見えていたのさ。

 

 なあ、なあ、何が見えたんだい。お前さんには・・・・・・どんな女が見えたんだい。

 別嬪さんかい? それとも口やかましい鬼のような顔の女かい。


 ねえ、おまえさんが殺しちまったのは、一体どんな女なんだい。聞かせておくれよ、なあ、なあ!

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