都忘れ(みやこわすれ)

 ああ、そうさ。あの女を見ちゃいけなかった。わたしはそこで知ったよ。世の中知っちゃいけないことが多すぎる。わたしは女童があれを見た時に、そばにいた。わたしはあの階段が崩れそうになっているのを知っていた。足元が覚束ない子供の足で、わたしよりも小さな子だったあの子はあぶなかっしかった。その手を引くのが好きだったよ。

 わたしはそこで気を失って、あの女のことなんざだぁれも知らなかった、だけどわたしゃ知っているよ。


 背中にべったりついた痕。あの女の手形が、わたしにだけは見えるのさ! 鏡で見てぞっとした、家族にはなして何を言っているんだと呆れられた時のその絶望感!!


 ああ、ああ、そうさ、そうさ、あの女に捕まった。捕まっちまった。


 そうさ、そうさ! ざあざあ、ざあざあ、この音がずぅっと耳に残ってるだろう?


 ああ、ああ、そうさ、そうさ! お前さんももう気付いているんだろう? この館が普通じゃあない。


 その通り。


 かみなりさんが鳴ったって、もう怯えるこたぁないよ。あんたが見えているそれは、あんただけが見えるそれは、正しくおまえさんが恐れている女さ。わたしには他にもいろいろ見えるんだけどねえ。そう、そう、ほうら、部屋の隅を見てごらん。……そうさ、さっきまで話していたともだちさ。嗚呼大丈夫、なにかができるわけじゃあないさ。ただただ、わたしを恨めしそうに見ているだけで、ね?

 ここにいる連中はねえ、迷い込んだのさ。わたしがあの女に魅入られて、それを知ってここに囚われてしまったように。


 そこにいる男はね、女房が男を作って逃げたんだと勘違いして女房を殴り殺しちまった男さ。

 そっちにいる男は、何人の女に手を出したのか本人も忘れるくらいで刺されておっ死んだのさ。

 こっちはなんだったっけねえ、ああ、そうだ。泣き喚く姿が見たいからってんで拷問をした挙句、その家族に殺された。

 あっちは戦争の時に色々やらかしてねえ、家族からつまはじきにされて強盗をやらかしたのさ!

 ほらほら、みぃんな罪人だ。誰かから恨まれてる。

 お仲間なんだ、仲良くしなきゃあねえ? ふふ、あ、は、は、は!


 わたしが見たあの女はねえ、ちぃと色の薄い女だった。だからね、人じゃあないって阻害されてね? まあそれだけなら良かったんだろうさ。ところがね、ちぃと良くないことがあった時に、その女にぜぇんぶ村人は罪を擦り付けた。

 なんてぇやつだと殴って傷つけて凌辱して孕ませて、その子までも殺して見せた。

 違う違うやっていない信じてくれ、やっていないやっていないと泣き喚く女を苛み最終的には殺してしまったんだよ。


 ところがどっこい、犯人は別にいた。ま。推理小説みたいに謎ときだのなんだのはしないけどねえ、まあ人違いだったわけさ。とんでもないことだけれどねえ。なんせ冤罪をかけられた女は拷問の末殺されちまってるんだから!!

 女を辱めて殺して、挙句にその四肢をばらばらにして……なんて残酷なみせしめにまでしたってぇのに、なんとその犯人ってぇのは苛んだ側にいたんだよ。恐ろしいと思わないかい? 自分の罪がちからもねえ奴に押し付けられてるってぇだけでもとんでもないのに、一緒になってお前のせいだって言い続けてたんだって言うんだから!!

 まあそれがわかった後によ、村人たちはそんな自分らの罪を隠すことにしたのさ。

 そう、自分らはあの時しょうがないからそういう行動をした、彼女には申し訳なかったが、自分たちは悪くない、悪いのは犯人だ……ってねえ。

 さっきのわたしとよく似ているだろう? ふふ、ふ。

 だけど当然そんな真似をして怨嗟が起きないはずもない。あの女を苛んだ連中はそりゃもう壮絶な死を遂げたそうだよ。そうなると今度は他の村人たちが慄くのさ。

 確かに助けなかったけれど、こちとらなにもしてないんだ。それなのに恨まれたくはない……ってねぇ。だからばらばらにした体を繋いでお堂を立てて、閑静な場所に葬った。あの女が好きな二輪草と、家紋の薊を植えてあげてねエ。


 だからね、あの女は咎人トガビトを憎んでる。わたしの目を通して、わたしだけじゃあない、あの女に憑かれたやつの目を通して、あの女は罪を囁くのさ。そうして力をつけて、今やここはひとつの檻だ。

 あの花は、女の無聊を慰めるものだった。だから手順を守らず摘んだあいつは葬られた。

 静けさを破った女童は、静かにさせられた。

 わたしゃぁともだちを見捨てたってねえ……その後どんなところで暮らしていても、罪を犯すたびにあの女が現れて、わたしに罪を突きつける。

 大人になって惚れた女と付き合って、飽きて捨ててやった時。

 未亡人と付き合って、結婚する気もないのにそう口約束しちまった時。

 戦場で、見知らぬ女を押し倒しちまった時。


 まあ、まあ、ありゃぁ思い返せば確かにわたしも悪いけれどね。ふふ、ふ、どうして真っ当な人生を歩めるものか! わたしゃぁもうあのお堂で肝試しをしたあの日っから、歪んでいたに違いない!

 ああ、ああ、やってられやしないよ、そうは思わないかい? ふ、ふ。もう聞いちゃアいないかな。

 あんなに転げるように出て行ったって、ねえ? お前さんらもそうは思わないかい?

 懐かしいかい? わたしゃぁ懐かしいねえ。そんな頃もあったろう。違うって言い切れる時がさ。


 そう、だけど世の中、知っちゃいけないこともあるけれど。

 どうにもなりゃしないことだって、あるんだよねえ……ふ、ふ。

 あの女だけじゃあないよねえ、ここは女の情念が、恨みが、詰まってる。綺麗な花にゃぁ棘がある。だったかね?

 わたしに言わせりゃぁ、なんだってぇ毒にもなるんだろうなって話だけれどよ。

 ……お前さんらはまだまだ、未練があるんだねエ。あの子のように走り回るこたぁできなくても、いつかは許されるとでも思っているのか。いやあ、いやあ、可愛いもんだ。

 わたしを見なよ。もう、どこにも行けやしないさ……諦めちまいなさいよ、その方がずぅっと楽さ。

 時々雨が降って、かみなりさんが鳴ると女どもが顔を出す。そいつはげんなりしまうけどね。は、は、は。


 ここは雨の檻だね。晴れちまってもどこにもいけない。


 逃げ出したって、どこに行けるというのかねエ。

 外は大雨、ここは闇。

 どこに行ったって、ここしか戻る場所はないのにねエ。


 どうせもし戻れたとしても、真っ当にわたしらが生きていけると思うのかい?

 そうだろう、そうだろう。

 だぁれもなんにも言えないっていうのが、答えなんだろうねえ。

 ま、そのうち諦めた誰かが話し相手になってくれるか、それともまた雨が降ってあの子のように入ってくるか。


 いずれにしても、そのくらいしか娯楽はないかねえ。

 それにしても雨が止まないもんだ。往生際の悪いこった。おっと、かみなりさんが鳴ったねえ。お前さんらの女は、どんな顔をして泣いてたんだい。それとも怒っていたのかい。ふふ、ふ、ふ。

 わたしかい? そうだねえ、今日は捨てっちまった女房だねえ。気の弱い、それだけでしかない女だったよう……お前さん、お前さん、捨てないで……ってねえ。いや、思い出すと少しは懐かしいかねエ……。


 おっと。どうしたんだね、そんな愕然とした顔をしてお若いの。

 門をくぐって出て行ってもまたここに戻ってきちまった? まあそうだろうね、そうだろうよ。

 おや、都忘れの花をどこで摘んできたんだい? なんだい、覚えてないのかい。

 ……まあ、持たされたのかもしれないねえ。

 え? どういうことだって?


 ああ、ああ。

 その花はね、都忘みやこわすれというのさ。

 花言葉は別れ、ってぇんだ。折角だから飾ってやろうか。


 ああ、言い忘れていたよ。

 お若いの、おかえりなさい・・・・・・・


 あはっはははははははは…………

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