番外編 企み

ケイタイのアラームほど不愉快なモノは無い……。

自分でセットしたにも関わらず、この音を聞くとムカついて仕方が無い。

いつもは、セットしないアラームを今日、セットしたのには理由がある。

チームの“幹部会”。

一年に一回開かれるこの“幹部会”に遅刻する訳にはいかない。

不愉快な音を出し続けるケイタイに手を伸ばし、その音を止めた。

油断すると再び眠りに落ちそうになりながらもタバコの箱を手に取った。

タバコの力を借りて覚醒していく頭。

時計に視線を移すと6時30分。

時間を知った途端もう一度ベッドの中に潜り込みたい衝動に駆られた。

もう少し寝ても間に合うんじゃねぇーか?

そんな考えが浮かんでくる。

ふと浮かんできた蓮さんとケンさんの顔。

ダメだ!!絶対寝れねぇー。

俺は気合でベッドから離れると、目を覚ます為にバスルームに向かった。


何とかシャワーを浴びて目を覚ました俺は、朝飯代わりに一服。

寝起きに料理なんて、絶対に無理……。

自分で作るくらいなら、タバコとミネラルウォーターで十分。

……まぁ、寝起きじゃなくてもしねぇーけど……。

この時間になんでそんなに笑えるんだよ?って言いたくなるようなニュースキャスターの顔を眺めながら、ミネラルウォーターを喉に流し込み、タバコに火を点けた。

その時、玄関で音がした。

ロックしている筈の鍵が開く音。

それから、遠慮がちに開いて閉まるドアの音。

ソファに座っていた俺は落ちかけているタバコの灰をテーブルの上にある灰皿に落とした。

「あっ!!起きてる!!」

静かに開いた部屋のドアの隙間から聞き慣れた声がした。

驚いた表情のアユが姿を見せる。

聖鈴の制服姿のアユの手には、なぜかスーパーのビニール袋……。

そのミスマッチさに思わず笑みが零れる。

「すごいね、ヒカル!!」

「……」

「自分で起きれるじゃん!!」

「……」

「あっ!!幹部会だから!?」

「……」

「だから起きれたんでしょ!?」

「……」

「いつも自分で起きてくれたら助かるんだけど……」

「……」

「でも……ヒカルが自分で起きれたら私がここに来る必要がなくなるし……」

「……」

「そうなったら、朝から会えなくなっちゃうし……」

「……」

「やっぱり、ヒカルは自分で起きなくてもいいや!!」

アユの俺に話し掛けてんのか独り言なのか分からない会話に吹き出しそうになる。

「なぁ、アユ」

「ん?なに?」

「お前、いつも元気だな」

「えっ?そう?」

「あぁ」

いつも元気で明るい笑顔を絶やさないアユに感心する。

「……もしかして……」

「うん?」

「私、ウザイ?」

……もう、無理……。

俺は吹き出した。

「えっ?ヒカル!?」

腹を抱えて笑う俺を見て不安そうな表情を浮べるアユ。

付き合いが長いくせに、こいつは分かっていない。

「……ウザイはずねぇーだろ」

今まで不安そうな表情をしてたアユの顔が嬉しそうな笑顔に変わった。

そのコロコロ変わる表情も、こっちまで幸せになるような笑顔も、いつも明るい態度も……。

アユの存在全てが俺にとってかけがえのない存在ってことに……。

「……で?」

「うん?」

「今日は来ないって言ってなかったか?」

「えっ?……あぁ、昨日はそう思っていたんだけど……」

「けど?」

「これ!!」

アユは持ってきたビニール袋を持ち上げた。

「……?」

「ヒカル、自分ではご飯作らないでしょ?」

「あぁ、作らない」

「でしょ?だから、私が朝ご飯作ってあげないと、今日、朝ご飯食べないんじゃないかなって思って」

そう言いながらアユはビニール袋を覗き込んでいる。

袋には近所にある24時間営業のスーパーの店名。

「朝から買い物してきたのか?」

「ううん、昨日の夜に思いついて……あっ!!」

慌てた様子で口を塞いだアユ。

「昨日の夜?……その続きは?」

「……えっと……」

アユの瞳が泳いでいる。

「アユ」

「は……はい?」

「昨日の夜、俺がお前を家まで送ったよな?」

「……うん」

「その後、また出掛けたのか?」

「……」

「……アユ……」

「……ちょっとだけスーパーに……」

……やっぱり……。

俺は大きな溜息を吐いた。

「夜に一人で出歩くなって言ったよな?」

「……」

「もし、なんかあったらどうするんだ?」

「……ごめんなさい」

しゅんと肩を落としたアユ。

……俺の為……。

アユが夜出掛けたのは、俺に朝飯を作る材料を買う為……。

だからこそ俺にはアユにきつく言う必要があった。

ここからアユの家まで歩いて5分。

そのアユの家からスーパーまで歩いて10分掛からない距離。

この辺は人の通りもわりと多い方。

深夜と言っても人通りが無くなる訳じゃない。

……でも……。

アユは普通の女よりも危険に晒される確率が高い。

俺と付き合ってるという事はそういう事。

付き合いが長くなれば長くなるほどだ。

……その証拠に……。

繁華街でアユの顔と名前は売れている。

いい意味でも悪い意味でも……十分すぎるくらいに……。

俺が自分の名前を売れば売るほど、それに比例するように広まっていくアユの情報。

“B-BLANDのNO.2の女。”

それがアユの名前に付いてまわる肩書き。

本人の意思なんて全く関係ない。


……だけど……。

問題は、本人に全くその自覚が無い事。

伝達を出している分、アユへの危険が少なくはなっている。

それでも、その確率は0%ではない。

アユを守れるのは俺だけだ。

「約束してたよな?」

「……はい」

「今後、一人での夜の外出は禁止な?」

「……禁止?」

「禁止だ」

「……」

「分かったな?」

「……」

「アユ?」

「……ねぇ、それって……」

「うん?」

「昼間はいいって事だよね?」

アユの瞳が輝いた。

「……」

「……?」

「昼間になんかあるのか?」

「えっ!?」

「……」

俺はアユの瞳を見つめた。

「べ……別になにもないよ!!」

俺から視線を逸らしたアユの視線が泳いでいる。

……なんか、あるんだな……。

俺に見つめられているアユが焦ったように立ち上がった。

「朝ご飯作らないと!!」

「アユ?」

「ヒカル、ちょっと待っててね」

慌ててキッチンに向かうアユ。

「……アユ……」

「は……はい!?」

アユが俺の声にビクっと反応して足を止めた。

「これ」

「え!?」

俺はテーブルの上に置いてあるビニール袋を指差した。

「これ、使うんじゃねぇーのか?」

「あっ!!」

アユは、テーブルの上のビニール袋を掴むと小走りにキッチンに向かった。

……なんか、企んでるな……。

キッチンに視線を移すとテキパキと朝飯の準備をするアユ。

朝飯の時に詳しく聞きだそう。

そう思っていたのに……。

それから、引っ切り無しに鳴り続けるケイタイの対応に追われて……。

アユの企みを聞き出すことを忘れてしまった。

ソファに座り電話の相手と話していると、肩を叩かれた。

振り返ると、そこにはアユがいてテーブルの上を指差している。

「……?」

「食べなよ」

アユは小さな声で呟いた。

テーブルの上に視線を移すと、きれいに盛り付けられたサンドウィッチと淹れたてのホットコーヒー。

アユは知っている。

この鳴り続けるケイタイは、俺が繁華街のクラブに着くまで鳴り止まないことを……。

俺は、ソファから降り床に直接腰を下ろしてケイタイを肩に挟んだまま両手を合わせた。

そんな俺の向かいに座っているアユがニッコリと微笑んで言った。

『召し上がれ♪』

朝飯を食い終わっても、俺がケイタイを耳から離す事はない。

出掛ける為の準備をする間もケイタイの相手に向かって今日の幹部会の準備の指示を出し続けなければいけない。

時計の針が8時を指した頃、アユが立ち上がった。

俺が視線を向けるとアユは『学校に行くね』と口パクで言って手を振り玄関に向かった。

「すぐに掛け直す」

電話の相手にそう告げやっと耳からケイタイを離す事が出来た俺は玄関に向かって呼びかけた。

「アユ!!」

「なに?」

「送っていく」

「え?」

一度遠ざかっていた足音が再び近付いてくる。

俺は立ち上がり、キーケースを掴んだ。

「ヒカル?」

驚いた表情のアユが顔を覗かせた。

「どうした?」

「今、夜じゃないよ?」

「は?分かってる」

「学校まで歩いて行けるよ」

「いい、送っていく」

「大丈夫だって、ヒカルも忙しいじゃん」

「通り道だ」

俺が玄関に向かうと慌てて後ろからアユが付いて来る。

「ヒカル!!」

靴を履いて玄関のドアを開けようとノブに手を掛けるとアユに呼び止められた。

……なんだ?

そう思いながら振り返ると……。

いつの間にかすぐ後ろに来ていたアユが俺の肩に手を置いた。

「……?」

アユが爪先立ちで背伸びをした。

俺を見つめるアユと視線が絡み合う。

アユがニッコリと微笑んだ。

その微笑はいつもの元気が出るような微笑じゃない。

色っぽさと妖艶さを含んだ挑発的な微笑み。

たった数秒で俺の頭の中を真っ白にしてしまうような微笑。

唇に感じる柔らかく温かい感触。

目の前には、瞳を閉じたアユの顔。

軽く触れた唇はすぐに離れていこうとする。

俺は離れていこうとするアユの腰に手をまわし、自分の方に引き寄せた。

そんな俺の行動に閉じていたアユの瞳が開き驚いたような視線を向けてくる。

誘ったのはアユ。

挑発したのもアユ。

あんなアユの表情を見た俺が、触れるだけのキスで満足できるはずがない。

腰にまわしている反対の手で、アユの顎を持ち上げる。

再び唇が重なるとアユは瞳を閉じた。

アユの弱点もどんなキスが好きかも知っている。

次第にアユの息遣いが甘い吐息に変わっていく。

アユの身体から力が抜けていくのが分かる。

その身体とは対照的にしがみつく様に握られた俺の服。

そんなアユが愛しくて堪らない。

静まり返った空間にアユの甘い吐息だけが響く。

その甘い吐息が俺の耳に刺激として伝わってくる。

アユにもっと触れたい。

そんな欲求が溢れ出す。

突然、ポケットの中のケイタイが無機質な音を発した。

力が抜けていたアユの身体がケイタイの音に反応した。

いつまでも離れようとしない俺から、アユが離れていこうとする。

アユの腰にまわしている手に力を入れ、自分の身体に密着させ、重なっている唇の中で舌を深く差し込んだ。

「……んっ……」

アユの口から漏れた声。

この声だけが、この世で唯一俺を発情させる声。

……もう無理……。

俺の理性が吹っ飛びそうになった瞬間、アユが俺の胸を叩いた。

少しだけ唇が離れた途端、アユが言葉を発した。

「……ケイタイ……」

「……」

「ヒカル!!ケイタイ鳴ってる!!」

「もう、ちょい……」

そう言って顔を近付けた俺の頬を……。

「ダメ!!」

アユが両手で挟んで阻止した……。

「……」

「チームの子からの連絡でしょ?」

「……」

「ヒカルと連絡が取れないとみんなが困るんだよ」

「……」

俺の顔を見つめるアユが……。

「……ヒカル……プッ!!」

急に吹き出した。

「変な顔~!!」

……お前が人の顔を押さえてるからだろ……。

一頻り笑ったアユがやっと笑いを飲み込んで、瞳に溜まった涙を指で拭った。

やっと解放された俺の顔。

「自分の男の顔見て爆笑してんじゃねぇーよ」

「ごめん、ごめん!!」

……こいつ、全然悪いと思ってねぇーな……。

俺が溜息を吐くと、再び鳴り出したケイタイ。

「早く出なよ」

アユがポケットの中のケイタイを指差した。

言われた通りにケイタイを取り出すと、液晶にはチームの幹部の名前。

「ヒカル?」

いつまで経ってもケイタイに出ようとしない俺を見てアユが首を傾げている。

「アユ」

「うん?」

「今日の夜、ここに泊まれよ」

「はい?」

俺はそれだけアユに告げると通話ボタンを押してケイタイを耳に当てた。

アユがここに泊まるのは学校が休みの前の日だけ。

今日は月曜日。

当然、明日も学校だ。

だから、アユが驚いた表情をするのも分かる。

……もし今日が幹部会の日じゃなかったら、俺はアユをベッドに連れて行っていた。

そのくらい挑発されたんだから、リベンジをするのは当たり前。

しかも、人の顔見て爆笑しやがったし……。

俺って結構根に持つタイプなんだよな。

口では指示を出しながらもそんな事を考えて家を出た。

後ろからはパタパタという音が着いてくる。

俺はケイタイを耳に当てて前を向いたまま、左手を後ろに差し出した。

少しの間の後、差し出した掌に感じる温もり。

俺の指に絡みつく細くて折れそうな指。

俺の手より小さな手。

この手を掴む度に思う事がある。

……この手を絶対に離したくない。

俺は左手に力を入れた。

◆◆◆◆◆

学校の正門前。

車を停めた俺は、ケイタイを耳から離し、アユを見送った。

車を降りたアユが小さく手を振ってドアを閉めようとした。

「アユ」

「うん?」

「今日、幹部会が終わったら迎えに行くから、家で待ってろよ」

「ダメだって!!明日学校なんだから」

首を横に振るアユ。

「夜、楽しみにしてんぞ?」

俺がアユに微笑みかけると、アユは頬を赤く染めた。

……可愛い奴……。

「じゃあな」

「う……うん」

アユがドアを閉め校舎の方に向かって歩き出した。

俯き気味で、自分の頬を抑えているアユ。

……照れてんな……。

俺は、思わず吹き出してしまった。

色っぽく挑発的に俺を誘うくせに、笑い掛けられただけで頬を赤く染めるアユ。

その、ギャップが堪らない。

俺しか知らないアユがいる。

そんなアユを人に見せたくない。

俺は、自分の独占欲の強さを初めて知った。

『ヒカルさ~ん!!』

ケイタイから漏れてくる男の声。

その声に俺は現実に引き戻された。

「悪い」

『なんかあったんすか?』

「いや、なんもねぇーよ」

アユの姿が見えなくなって車を動かそうとルームミラーを見ると、こっちに近付いてくる車。

見覚えのある車。

黒の“プレジデント”。

響さんのところの車じゃねぇーか?

ミラー越しに目を細めて運転席を凝視する。

「……マサトさん?」

『えっ?なんすか?』

「悪い、蓮さんだ。……掛け直す」

『わ……分かりました!!』

近付いてきた“プレジデント”はゆっくりと俺の車の横を通った。

すれ違う時、俺は運転席の窓を開け頭を下げた。

“プレジデント”の運転手がちらっとこっちに視線を向けたのが分かった。

車は堂々と校門を潜り、昇降口の真ん前にゆっくりと停まった。

すぐに運転席から人が降りて来て、後部座席のドアを開けた。

降りてきた背の低い女の子。

その子の長い髪が陽を浴びて栗色に輝いている。

その子が車内に向かって手を振り、運転手に頭を下げて、昇降口に向かって歩き出した。

しばらくすると車はゆっくりと動き出した。

入って行った時と同じように悠然と校門を出て来た車が俺の車の前に停車した。

俺は車を降り、その車に近付いた。

後部座席のドアの前で足を止めるとゆっくりと窓が下がった。

「蓮さん、おはようございます」

窓から蓮さんが顔を覗かせた。

「ヒカル、今日学校休むんだろ?」

「はい、アユを送って来たんです」

「そうか」

「はい」

俺は運転席に視線を移した。

「マサトさん、おはようございます」

「おはよう」

厳つい顔を崩して笑ってくれるマサトさん。

「ご無沙汰してます」

「あぁ」


一目で、そっちの世界の人だと分かる風貌。

マサトさんは初代B-BLANDの幹部で、今は響さんの組で蓮さんの舎弟をしている。

厳つい顔の所為か蓮さんよりかなり歳上に見えるけど、実際は蓮さんの二歳上。

確か、今年25歳の筈。

……見えねぇーよな……。

絶対、口には出せねぇーけど……。

マサトさんも元々は別のチームでトップを張っていた。

チームを潰されたけど、俺と同じで蓮さんに惚れてついていくことを決意した人。

俺が蓮さんのチームへの加入を迷っている時に、説得してくれたのもマサトさんだった。

その頃の俺は、自分を守る為だけのくだらねぇープライドの塊だった。

そんな俺にマサトさんは言葉を掛けてくれた。

『周りを良く見ろ。お前には

守らないといけねぇー奴がいるんじゃねぇーのか?』

マサトさんのこの言葉がなかったら俺は今、繁華街にいなかったかもしれない。

「ヒカル」

運転席から、マサトさんが口を開いた。

「はい?」

「今度、飲みに行こうぜ」

「はい!!」

マサトさんからの嬉しい誘いに俺は頷いた。

それから、俺は蓮さんに視線を移した。

「まっすぐクラブに行きますか?」

「あぁ。一緒に乗って行くか?」

「いいえ、自分の車で行きます」

「そうか」

「はい、それじゃクラブで。マサトさん、失礼します」

「あぁ、またな」

俺は頭を下げてその場を離れた。

自分の車の運転席に座って、エンジンを掛けるとマサトさんが、窓から腕を出して『先に行け』と合図をしている。

……なんか、すげぇー嫌な予感がする……。

俺はゆっくりと車を走らせて、前の車を追い抜いた。

後ろを着いてくる、マサトさんが運転する車。

数分後、俺の予感は的中する。

この時間帯、通勤中の車で国道は溢れ返っている。

その国道を、明らかに法定速度超過で走る俺の車。

だけど、それは俺の意思じゃない。

走ってるんじゃなくて、走らされている。

もちろん、後ろの“プレジデント”に……。

『……勘弁しろよ……』

俺の口から大きな溜息が漏れた。

どうも、蓮さんやケンさんやマサトさんは俺の車を見ると煽りたくなるらしい……。

車間距離ギリギリで迫ってくる後続車。

俺が急ブレーキを踏んだら確実に追突されそうな勢い。

ルームミラーを覗くと、楽しそうな笑顔を浮かべたマサトさん。

周りの奴から見たら、俺がなんかやらかして追いかけられてるように見えるんじゃねぇーか?

俺の口から再び溜息が漏れた。

……今日はアユを乗せてなくてよかった……。

とりあえず、俺は周りを確認した後にアクセルを力いっぱい踏み込んだ。

マサトさんがお楽しみのところ、申し訳ねぇけどそんな事を言っていたらこっちの身が持たねぇーし。

マサトさんが運転する車との距離を離そうと車と車の間をぬうように走らせる。

……撒けたか!?

「……マジかよ?」

相変わらずピッタリと真後ろを走っている“プレジデント”。

その車を俺はルームミラー越しに呆然と眺めた。

……やっぱりマサトさんには敵わねぇーか。

そう思いながら視線を前に戻すと目の前の信号が黄色から赤に変わろうとしていた。

俺の前の車は停まろうとスピードを落としている。

対向車は既に停車している。

チャンス!!

一度スピードを落として停まると見せかけ、マサトさんの車がスピードを落とした事を確認した俺は再びアクセルを踏み込んだ。

前の車を追い越して、そのままマサトさん達から逃げる事が出来た俺は胸を撫で下ろした。


◆◆◆◆◆

『おはようございます』

『うーす!!』

クラブに入ると今日の幹部会に参加するメンバーの殆どが集まっていた。

時計に視線を移すと、幹部会開始予定時刻の15分前。

マサトさんのお陰で予定より早く着いたな。

そう思いながらタバコの箱を取り出して、火を点けた。

『ヒカルさん』

呼ばれて振り返るとさっきまでケイタイで話していたハヤトだった。

やべぇー、掛け直すって言ってすっかり忘れてた。

「ハヤト、悪かったな」

「いや、気にしないでください。それより……」

「うん?」

「蓮さんと一緒じゃなかったんですか?」

「あぁ、途中までな」

「途中まで?」

ハヤトが不思議そうに首を傾げた。

さっきの出来事を思い出し俺の口から溜息が漏れた時、場の空気が変わった事に気付いた。

『はよ~』

気の抜けるような挨拶なのにその場にいた全員の顔付きが変わる。

『おはようございます!!』

至る所から声が上がる。

その声の中、目を擦りながらダルそうに歩くケンさん。

「ケンさん、おはようございます」

「おう、ヒカル。蓮はまだか?」

「もうすぐだと思いますけど」

「そうか」

ケンさんがポケットからケイタイを取り出しボタンを押そうとした時、入り口のドアが開いた。

薄暗い部屋に陽の光が差し込んでくる。

『おはようございます!!』

再び湧き上がる声。

「蓮、おっせぇーよ」

ケンさんが入り口に向かって声を掛けた。

「あ?時間通りだろーが?」

蓮さんはそう言いながら腕時計に視線を落とした。

「なに言ってんだ?チームの行事は10分前行動が基本だろーが」

「はぁ?てめぇーは何時に来たんだよ?」

「うん?俺か?俺はお前の3分前には来たぞ。どうだ、まいったか?」

自慢気に言い放ったケンさんを蓮さんは鼻で笑った。

「あんまり変わんねぇーじゃねぇーか?」

「……」

「……」

「いや……違うんだ。本当はもっと早く来る予定だったんだけどな」

「……」

「昨日の夜、葵と“ババ抜き”してたらなんでかハマっちまって」

「寝過ごしたんだろ?」

「……なんで分かるんだよ?」

「いつもの事じゃねぇーか」

「……蓮」

「んだよ?」

「お前もやってみろよ」

「何を?」

蓮さんが真剣な目でケンさんを見つめている。

いや……蓮さんだけじゃなくて、その場にいた全員がケンさんに注目した。

「“ババ抜き”だよ」

「……」

『……』

流れる沈黙。

チームのメンバーもこの場をどうやって乗り切ればいいのか分からず困った表情を浮べている。

隣にいたハヤトがチラッと俺に視線を向けた。

明らかにこの雰囲気をどうにかして欲しいという縋り付くような目。

俺にどうしろって言うんだよ……。

チームのメンバーなら笑って流す事も出来るけど、相手はケンさんだぞ?

しかも、ケンさんの顔を見てみろよ。

いつになく真剣な表情じゃねぇーか。

ここで笑ってみろ?

……っていうかこれはウケ狙いなのか?

それすらも分からねぇーのにどうしようもねぇーじゃねぇーか……。

「ケン」

「あ?」

「お前の話は今度暇な時にゆっくり聞いてやる。だから、とりあえず幹部会始めようぜ」

「そうか?お前そんなに“ババ抜き”してぇーんだな。よし!分かった!!今度じっくり付き合ってやる」

……助かった。

ありがとうございます、蓮さん。

俺は心の中でひたすら蓮さんに頭を下げた。

張り詰めたような空気が和んで幹部会は始まった。

ケンさんの『始めんぞ~』と言う呑気な合図で始まった幹部会。

新加入チームの紹介や敵対チームとの衝突状況などが各チームから報告されている。

話し合いが始まって一時間程経った頃、俺のケイタイが鳴り響いた。

液晶を見ると今日繁華街の見回りをしているチームの幹部の名前。

今日幹部会がある事はチーム内の人間ならば誰もが知っている事。

幹部会に参加している人間に連絡を入れていいのは緊急事態の場合のみ。

俺は席を立ち少し離れた所でケイタイを取った。

「……はい」

『お疲れ様です!!』

「あぁ、どうした?」

『今、見回りの途中なんですけど……』

「あぁ」

『実は……』

言いにくそうな相手。

「なんだ?幹部会の最中だぞ」

『すいません。……実は繁華街に美桜さんと葵さんとアユさんに似た3人がいるんですけど……』

「……」

『……』

「……おい」

『は……はい』

「今、なんて言った?」

『えっ!?……イヤ……繁華街に美桜さんと葵さんとアユさんに似た3人がいるんです』

……似た3人!?

なんだ?

その中途半端な報告は……。

「……“似た3人”って事は本人じゃねぇーのか?」

『それが……多分本人に間違いないと思うんですけど……』

「本人か違うかなんて顔を見れば分かるだろ?」

『その確認が出来ないんです』

「あ?」

『全員がキャップを深く被っていて顔の確認が取れないんです……』

『それに、美桜さんっぽい子に関しては服装もいつもと違う感じで……』

……。

どういう事だ?

今の時間、3人とも学校にいるはずだぞ。

繁華街にいるはずなんてねぇーだろ。

しかも、わざわざ顔を隠すような事までして……。

……。

……いや、ちょっと待て……。

今朝、アユがなんか企んでなかったか?

俺の勘違いならいいけど……。

『ヒカルさん?』

ケイタイから聞こえてくるこっちの様子を伺うような声。

「あぁ、悪ぃ」

『どうしますか?とりあえずキャップを外させて確認しますか?』

「いや、もう少し様子をみてくれ。もし、人違いだったら後々面倒くせぇーし」

『分かりました。失礼します』

ケイタイを閉じた俺は思い出そうと必死で記憶を辿った。

今朝、アユはなんて言ってた?

……。

夜の外出禁止令を出した俺にアユが言った言葉。

……。

頭の中に浮かぶ今朝の光景。

……。

夜の外出禁止令を出した俺にアユはなんて言った?

……。

……そうだ。

確か『昼間いいって事だよね?』だ……。

……。

今の報告ビンゴかもしれねぇーな。

俺は、ほぼ間違いない確信に大きな溜息を吐いた。

『よし!!今から10分休憩!!』

大きな溜息と同時に肩を落とした時、ケンさんの声が響いた。

それまで、真剣な顔で話を聞いていたメンバー達の表情が緩みタバコに火を点けたり近くの奴と談笑して和やかな空気が漂っている。

「ヒカル~」

タバコを銜えているケンさんが俺に視線を移した。

ケンさんの隣の蓮さんも俺を見ている。

「はい」

俺は二人の近くに行った。

「なにがあった?」

ケンさんが立っている俺の顔を見上げた。

……だよな。

幹部会の真最中にケイタイが鳴ったんだからそう聞くよな……。

もし俺がケンさんと同じ立場だったら同じ事を言うと思う。

……でも、俺はなんて報告すればいいんだよ?

『繁華街で美桜さんや葵さんやアユに似ている3人を見回り中の奴が発見しました』……なんて中途半端な報告なんて出来るはずねぇーだろ。

「ヒカル、どうした?」

口を開こうとしない俺に蓮さんも不思議そうな表情を浮かべた。

「敵対しているチームの奴が動いたのか?」

ケンさんの眼付きが鋭さを増した。

……そんな事だったら速攻で報告出来る。

てか、どうせ連絡が入るんならそっちの方が良かった。

もし、さっきの報告がビンゴなら幹部会を続行なんて出来ねぇーんじゃねぇーか?

二人に見つめられた俺は覚悟を決め口を開いた。

「今、見回り中の奴からの報告です。まだ、確証は無いんですが、繁華街に伝達が出ている3人に似た女がいるようです」

「似た人間?どういう事だ?」

ケンさんが首を傾げた。

「……キャップを深く被っていて顔の確認が取れねぇーみたいで……」

「ふ~ん。だったら違うんじゃねぇーか?伝達が出ている女だったらわざわざそんな事しねぇーだろ」

「そうか?」

口を挟んだのは今まで俺とケンさんのやり取りを黙って聞いていた蓮さんだった。

「はぁ?」

ケンさんが蓮さんに視線を向けた。

「蓮、どういう事だ?」

「もし、伝達が出ている女で警護の奴に邪魔されずに繁華街で遊びてぇー奴がいてもおかしくはねぇーんじゃねぇーか?」

「……はぁ?」

「いつもガラの悪い奴に見張られてたらやりてぇー事もできねぇーんじゃねぇーか?」

「……」

「ただでさえいつも危険に晒されてストレスも半端なく溜まってんだ。たまには、女同士で息抜きしたいと思ってる奴がいても不思議じゃねぇーだろ」

「ヒカル」

蓮さんの話を黙って聞いていたケンさんが俺に視線を戻した。

「はい」

「その3人って誰だ?」

……これって言うべきか?

言ってもいいのか?

他の女だったらまだ良かった……。

よりによってあの3人だぞ?

……アユ……。

マジで勘弁してくれよ……。

葵さんとツルむといつもろくな事しねぇーな。

でも、もし本当に繁華街にいるのがあの3人なら一刻も早く蓮さんやケンさんに報告するべきだよな。

なんかあってからじゃ遅ぇーし。

俺は深呼吸をして気合をいれて口を開いた。

「アユと美桜さんと葵さんです」

「……」

3人の名前を聞いたケンさんの目が驚いたように丸く見開いた。

「……」

……気まずい……。

沈黙が重い空気を醸し出している。

「……やっぱりな」

ケンさんと俺が言葉を無くす中蓮さんだけが意味ありげな笑みを浮かべた。

……?

蓮さんは何かを知っているのか?

「ヒカル、どう思う?3人に間違いねぇーと思うか?」

ケンさんが額に手を当てて尋ねた。

「はい、多分間違いないと思います」

「そうか、蓮は?」

ケンさんが俺から蓮さんに視線を移す。

「確定だな」

「……そうか」

ケンさんが大きな溜息を吐いた。

それと同時に鳴り響く俺のケイタイ。

「ヒカル、今3人に警護はついてんのか?」

「はい」

ケンさんのケイタイからも着信音が鳴っている。

「蓮。お前3人が何をしようとしてるのか知ってるのか?」

「飯を食おうとしてんじゃねぇーか?」

「飯!?」

「あぁ、『3人で飯を食いに行きたい』って美桜から聞いた事がある」

ケンさんは瞳を閉じたまま何かを考えてる。

次々に鳴り出すチームの幹部達のケイタイ。

異変に気付いたメンバー達がこっちに視線を投げかけてくる。

俺は掌でメンバー達の動きを制した。

このチームのトップはケンさんだ。

行動の決定権はケンさんにある。

ケンさんの指示が出るまで俺達は動く事は許されない。

連絡の一本でさえ……。

静まり返った空間に鳴り響く何十台というケイタイの着信音。

ケンさんに集まる視線。

「蓮」

ケンさんが瞳を閉じたまま口を開いた。

「うん?」

タバコの煙を吐き出しながら蓮さんが答える。

「3人は息抜きがしてぇーだけなんだな?」

「あぁ、多分な」

ゆっくりと瞳を開けたケンさん。

「ヒカル」

「はい」

「今日の見回りしてる奴の中で判断力があってケンカが強い奴を3人警護につけるように指示を出せ。それ以外の人間は警護から外して見回りに戻せ」

「分かりました」

俺は鳴り響くケイタイの通話ボタンを押した。

そして、ケンさんに言われた通りの指示を出した。

俺がケイタイを閉じる頃には鳴り響いていたケイタイの音は止まっていた。

再び静まり返った空間にケンさんの声が響いた。

「昼までに話し合いを終わらせるぞ!!」

「「はい!!」」

立っていたメンバー達が慌しく席に着いた。

椅子を動かす音の中タバコを灰皿に押し付けた蓮さんが小さな声でケンさんと俺に声を掛けた。

「たまにはいいんじゃねぇーか?」

「ん?」

「アユも葵もいつもチームの為にやりたい事を我慢してんだ。たまには、思いっきり羽をのばしてぇーんだろ」

「あぁ、そうだな」

「ヒカルもアユにキツく言うなよ?」

「……はい」

「それに今回の事は美桜の為にしたことだ」

「……?」

「……?」

「美桜は今まで女友達と遊んだ事がねぇーんだよ。だから葵とアユが誘ってくれたんだ」

「なんでそんな事まで分かるんだ?」

「先週、美桜にメールが来てた」

「……」

「……」

……アユ……。

……やっぱり企んでいたんだな……。

「今回の事でなんかあったら俺が責任をとる」

蓮さんがはっきりとそう言い放った。

「……分かった」

ケンさんが頷いた。

「ヒカルもいいな」

ケンさんに見つめられた俺は頷いた。



一日掛かる予定だった“幹部会”はケンさんの宣言通り昼には終わった。

終わったというか無理やり終わらせた。

当然半日分の時間を短縮したんだから、全ての話合いが終わった訳じゃない。

とりあえず、緊急を要する内容の話し合いだけを片付け残りは後日という事になった。

ケンさんの『終わるぞ~』という声で終了となった。

いつもなら終了とともに慌しく動き出すメンバー達が次の指示を待って席を立とうとしない。

「ん?どうした?」

ケンさんが不思議そうに首を傾げた。

「お前の指示を待ってんだろーが」

呆れたように呟いた蓮さん。

「指示?……あぁ、今日はもう帰っていいぞ」

メンバー達がケンさんの言葉でやっと席を立ち始めた。

「ヒカル」

「はい」

「3人が今どこにいるか調べろ」

「分かりました」

ケンさんの指示に従って警護についている奴に発信する。

『……お疲れ様です』

呼び出し音の後にすぐに聞こえてくる声。

「あぁ」

『今、3人は飯を食っています』

「場所は?」

『路地裏の……』

「洋食屋か?」

『は……はい』

やっぱり間違いねぇーな。

アユと一緒に何度か行ったことのある洋食屋。

その店のグラタンがアユのお気に入りだ。

「分かった。またかけ直す」

『分かりました』

俺はケイタイを閉じた。

「分かったか?」

「はい、今繁華街の洋食屋で飯を食っています」

「そうか」

「飯を食い終わったら帰ると思うか?」

ケンさんの質問に俺は頷けなかった。

アユ達は俺達にバレている事を知らない。

幹部会は夕方までだと知ってるし、幹部会が終わるまではバレないと思ってるはずだ。

バレないと思っているのに帰るはずが無い。

……多分時間ギリギリまで遊ぶだろ。

「帰る訳ねぇーだろ」

そう言ったのは蓮さんだった。

「……だよな」

どうやら蓮さんとケンさんも俺と同じ事を考えたらしい……。

その時、再び俺のケイタイが鳴り響いた。

「……はい」

『今、3人が洋食屋を出ました』

「そうか。駅に向かってるのか?」

『いいえ、駅とは逆方向に向かってます』

……やっぱり……。

『それから、洋食屋を出てすぐにカラオケがなんとかって言っていたのでもしかしたら……』

……カラオケ……。

アユがいつも行くカラオケボックスって……。

「分かった、ちょっと待ってろ」

俺はケイタイを耳から外してケンさん達の方に視線を向けた。

「どうした?」

俺の異変に気付いた蓮さん。

「今、3人が洋食屋を出てカラオケボックスに向かっています」

「カラオケか」

「どうする?出てくるまで待つか?」

「それが……」

「……?」

「……?」

「いつもアユが俺と行くカラオケボックスの近くには今ウチと敵対しているチームの溜まり場があるんです」

「あ?」

「なに?」

蓮さんとケンさんの眉間に皺が寄り眼が鋭くなった。

俺とアユが付き合い出してから、今までアユがカラオケに行くときは必ず俺が一緒だった。

だから、油断してた。

いくら敵対してると言っても顔を合わせたからと言って俺に直接カラんでくる奴なんてそうそういない。

俺と一緒なら敵対しているチームの溜まり場が近くにあったとしても大した問題じゃねぇーし。

……でも、俺と一緒じゃないとなれば話は別。

「そのチームの奴とアユ達が顔を合わせる事はあると思うか?」

ケンさんの声が低くなる。

「はい、今の時間でもその溜まり場周辺にはチームの人間がいるはずですから。もし、アユ達の顔を見られればアウトですね」

「そのチームにとってみれば絶好のチャンスってことか……」

「はい」

「蓮」

「うん?」

「タイムリミットだ。動くぞ」

「そうだな」

蓮さんが頷いた。

それを見た俺は再びケイタイを耳に当てた。

「……おい」

『はい』

「今から、そっちに向かう。俺達が着くまで絶対に目を離すなよ。それから、その近くに“Black Cats”の溜まり場がある。もし、そこの人間と顔を合わせても相手が動くまでこっちから手を出すな」

『分かりました』

俺がケイタイを閉じるとケンさんが立ち上がった。

「さて、ヤンチャなお姫様方をお迎えに行くか」

俺達はクラブを後にしてカラオケボックスに向かった。


◆◆◆◆◆

平日の繁華街。

真昼間のこの時間にここにいると不思議な感覚に包まれる。

見慣れているはずの街がいつもとは違うような気がする。

何度も通って隅々まで知り尽くしているはずなのに……。

これが繁華街。

昼と夜。

二つの顔を持つ街。

ここが俺達の居場所。

「あそこです」

俺はメインストリートでも一際大きく派手な外装の建物を指差した。

あそこがアユといつも行くカラオケボックス。

「もう中に入ってるのか?」

カラオケボックスの入り口周辺に座り込んでいる集団を見ながらケンさんが口を開いた。

「聞いてみます」

俺はケイタイを取ろうとポケットに手を伸ばした。

「ヒカル」

蓮さんの声に俺は動きを止めた。

「あれ」

蓮さんが顎で差した先に視線を向ける。

そこには3人の女がこっちに向かって歩いて来ていた。

目深に被ったキャップ。

そのキャップの所為で顔は見えない。

……でも……。

背の高さ、歩き方、キャップから出ている髪の色と長さ。

こっちに近付いてくるにつれて聞こえてくる楽しそうな笑い声。

間違いねぇーな。

……アユだ。

ケンさんと蓮さんが顔を見合わせて頷いた。

その表情には安堵の色が広がっていた。

……無事で良かった。

楽しそうな様子の3人を見て俺は胸を撫で下ろした。

3人の後ろには適度な距離を置いて着いて来る男が3人。

その男達にすら気付いていない様子のアユ達がカラオケボックスの中に姿を消した。

それを見届けた男達の顔にも安堵の表情が広がった。

辺りを見回した男達が俺達に気付いて駆け寄ってきた。

『お疲れ様です』

深々と頭を下げた3人。

「悪かったな」

ケンさんが声を掛けた。

『いいえ。ここに来るまで誰とも接触はありませんでした』

「そうか。助かった。ありがとうな」

『いいえ、自分達はここで失礼します』

再び頭を下げた3人がその場を離れて行く。

その姿を見送った後ケンさんが口を開いた。

「行くか」

「あぁ」

その言葉に頷いた蓮さん。

歩き出した二人の後に続いて俺もアユ達が入ったカラオケボックスに入った。

何度も来たことのあるカラオケボックス。

店内に入ってすぐにある受付カウンター。

そこで受付をしている3人。

聞こえてくるアユと店員のやり取り。

『今日のご利用時間は?』

「3時間」

その時店員が俺達に視線を向けた。

『はい。何名様でのご利用ですか?』

店員のその質問に3人は顔を見合わせている。

流れる沈黙。

後ろからでも動揺しているのが分かる。

蓮さんが何かを思いついたような笑みを浮かべた。

「3人……」

『6人だ』

美桜さんの声を遮った蓮さんの声。

その声に目の前にいる3人の身体がビクッと反応してそのまま動かなくなった。

微かに顔が動いてお互いの表情を探っている様子の3人。

それから,一番端にいる美桜さんが恐る恐るこっちを振り返った。

「……!!!」

美桜さんの表情がみるみる変わっていく。

美桜さんに続いて振り返った葵さんが声にならない悲鳴を上げ、アユが手に持っていた財布を勢い良く落とした。

そりゃあ、驚くよな……。

この3人は、俺達にバレてるだなんて全く思いもしてなかったはずだし……。

ましてや、俺達がここに現れるだなんて想像すら出来なかっただろうし……。

……それにしても……。

この3人のリアクションは素晴らしすぎるだろ……。

俺は必死で吹き出しそうになるのを抑え、笑いを飲み込んだ。

やべぇ……。

今、喋ったら絶対に吹き出してしまう……。

「楽しそうだな、美桜」

美桜さんに向かって微笑む蓮さん。

「う……うん」

そんな蓮さんから勢い良く視線を逸らした美桜さん。

「偶然だな。俺達も幹部会が早く終わったから歌いに来たんだよ。まさかこんなところで会うとは思わなかったぜ、葵」

……終わったんじゃなくて終わらせたんだけどな……。

「ほ……本当だね、ケン……」

明らかに葵さんの笑顔は引き攣っていた。

……だよな。

こんなところで偶然会うわけねぇーもんな……。

美桜さんと葵さんに同情した俺。

だけど……。

相手がアユとなったら話は別。

……俺、結構好きなんだよな。

アユを苛めんの。

動揺してうろたえるアユが可愛くて仕方がねぇ。

しかも、それは俺限定で。

アユを苛めていいのはこの世界で俺だけ。

他の奴がそんなことしたら速攻で殴り倒すだろーな。

やっぱり俺は相当捻くれているらしい……。

そんな事を考えているなんて気付きもしていないアユは呆然と俺を見ている。

足元に落ちている財布を拾おうともしないで……。

「アユ、どうした?財布落ちてんぞ?」

「……あっ!!」

はっと我に返ったアユが慌てて財布を拾った。

「……私ったら……ボーっとしてた……」

動揺を通り越して状況に頭がついていかない様子のアユ。

「せっかく会ったんだから同じ部屋でいいよな?」

ケンさんが笑みを浮かべて提案をした。

……3人にとってみればこの上なく賛成したくない提案だろうな。

葵さんの顔を見つめる美桜さんとアユ。

その視線は葵さんに何かを訴えている様に見える。

二人に見つめられた葵さんが首を微かに横に振った。

それでも、尚、縋り付く様な視線を送り続ける美桜さんとアユ。

数秒の沈黙の後、葵さんが小さな溜息を吐いた。

「……あのさ……ケン……」

「うん?どうした、葵」

俺は何となくこの後、葵さんが言う言葉が想像出来た。

俺に想像できるくらいだから、蓮さんとケンさんも分かっているはず。

葵さんが言いにくそうに口を開いた。

「えっと……たまには別々の部屋のほうが……」

「あ?」

その言葉をケンさんの低い声が遮った。

本気でキレた時のケンさんの声に比べれば不機嫌なうちに入らないような声。

……だけど。

葵さんが言葉を失うには十分だった。

「……」

「なんか言ったか?葵」

「……ううん。別に……」

諦めたように呟いた葵さん。

……もしここが、敵対しているチームの溜まり場の近所じゃなかったら、蓮さんとケンさんは警護はつけても、出張ったりしなかったはず……。

この二人が出張るって事は、それだけ3人の身が危険に晒される確率が高いって事だ。

現に、ここで敵対しているチームの奴といつ鉢合わせしてもおかしくない状況。

そんな状況でケンさんが葵さんの申し出を受けるはずがなかった。

「よし、決まりだな」

ケンさんの言葉に3人は力無く肩を落とした。

俺達のやり取りを見つめていた店員。

いつまで経ってもただ立ち尽くしているだけで全く動こうとしない。

……しっかり仕事しろよ……。

微妙にイラついた俺はそいつに声を掛けた。

「おい、案内しろよ」

そいつが慌てた様子でパソコンの画面に視線を移した。

ここでボーっとしてる間に敵対しているチームの奴と鉢合わせしたらどうすんだよ。

蓮さんとケンさんの最強コンビが揃ってんだぞ?

店の中滅茶苦茶にされて警察沙汰になりてぇーのか?

俺の心の声が店員に聞こえるはずも無く……。

ふと見ると店の出入り口を緊張した顔で見つめる美桜さん。

……?

外になんかあるのか?

美桜さんの視線の先を追っていると……。

蓮さんが静かに動いた。

美桜さんのすぐ横で足を止めた蓮さんが、美桜さんの肩に腕をまわした。

蓮さんが腰を少し曲げて美桜さんの耳元で何かを囁いた。

……?

焦った顔の美桜さんが至近距離にある蓮さんの顔を見つめた。

美桜さんに見つめられた蓮さんがニッコリと笑みを浮かべた。

捌けねぇー店員に案内された部屋。

その入り口のドアの前で部屋の中を見て固まる3人。

……?

今度はなんだ?

またあの店員がおかしな事をしたのか?

いい加減、次なんかしたら軽くキレてやろう……。

そう思いながら覗いた部屋。

……。

……和室……。

部屋の中には畳が敷き詰めてあって、ソファの代わりに座布団……。

別に間違ってはいない……。

ありと言えばありかもしれない……。

……でも……。

なんでこいつは俺達をこの部屋に案内したんだ?

なんかの嫌がらせか?

さっき俺が『おい、案内しろよ』って言ったからか?

『どうぞ~』

営業スマイルを浮かべている店員に無性にムカつくのはなんでだ?

見てみろ。

みんなが困ってる空気が読めねぇーのか?

……部屋を代えさせるか……。

口を開こうとした時、蓮さんが俺の腕を掴んだ。

蓮さんの顔を見ると苦笑しながら小さく首を横に振った。

『噛み付くな』

蓮さんの表情は俺にそう言っていた。

固まっている3人を他所に入り口で履いていた靴を脱いで部屋の中に入る蓮さん。

その蓮さんの後に続いて部屋に入ろうとしたケンさんが俺の横を通る時肩を軽く叩いた。

楽しそうな表情のケンさん。

どうやらケンさんにも俺の心の声が聞こえていたようだ……。

……別に事を大きくする必要はねぇーか……。

俺はケンさんに続いて靴を脱ぎ部屋に入った。

俺達が部屋に入っても身動きすらせずに立ち尽くしている3人。

『どうぞ?』

さっきまで営業口調だった店員の声が困ったような口調に変わった。

先に部屋に入った俺達は顔を見合わせた。

もう驚いているだけじゃねぇーはずだ。

部屋に入ったら俺達から叱られると思ってんだろ……。

叱ったりしねぇーのに……。

蓮さんからも言われてるし……。

それにアユが浮気したわけでもない。

仲のいい女友達と飯食ってカラオケに来ただけ。

無事で何事も無かったんだ。

なんも叱る理由なんてねぇーだろ。

それは俺だけじゃない。

蓮さんとケンさんも俺と同じ考えだと思う。

さっきここの入り口で3人を見つけた時の蓮さんとケンさんの表情はとても優しくて穏やかだった。

「なにやってんだ?」

「早く来いよ」

「店員が困ってんぞ」

そう声を掛けると、恐る恐る部屋に入ってくる3人。

それぞれの席に腰を下ろした3人は引き攣った表情で正座をしている。

叱られる覚悟をしている3人に思わず吹き出しそうになる。

『ごゆっくりどうぞ~』

相変わらず空気が読めない店員が部屋のドアを閉めた。

流れる沈黙。

その重苦しい沈黙を破るように葵さんが口を開いた。

「ケ……ケン」

「うん?」

「幹部会って夕方まであるって言ってたよね?」

「予定ではな」

「えっ?」

「電話がうるさくて話し合いなんて出来なかった」

「電話?」

「あぁ、誰かさん達が俺達の目を盗んで繁華街に出没したんだよ」

「……」

事の真相が分かった葵さんは口を閉ざして勢いよくケンさんから視線を逸らした。

……3人とも緊張しすぎだろ……。

正座をしたまま身動きひとつしねぇーじゃん。

喉とかカラカラじゃねぇーのか?

アユも正座とか普段しねぇーから立てなくなるんじゃねぇーか?

「アユ、悪ぃーけど飲み物頼んでくれねぇーか?」

「は……はい!!」

アユが弾かれた様に立ち上がった。

……良かった。まだ大丈夫みてぇーだな。

部屋の出入り口近くにある内線専用の電話。

そこに向かっているはずのアユが足を止めたのはドアの前。

……もしかして……。

……逃げようとしてんのか!?

「アユ」

「……はい?」

「注文なら内線で出来るよな?」

「……」

「そこにあるぞ?」

「……はい」

アユが肩を落として俺が指差した受話器を取った。

「アイスコーヒー3つとアイスティー3つ」

聞かなくてもみんなの好きな飲み物を把握しているアユに感心する。

注文を終え受話器を置いたアユがなかなか動こうとしない。

……まだ諦めてねぇーのか?

「アユ」

名前を呼ぶとやっと振り返った。

俺はさっきまでアユが座っていた席を軽く叩いた。

諦めたように小さな溜息を吐いたアユが俺の隣に腰を下ろした。

……やっぱり諦めてなかったのか……。

「美桜」

蓮さんが美桜さんの顔を覗き込んだ。

「は……はい」

「昼飯、食ったのか?」

「へっ?」

……。

……美桜さん……。

今、どこから声を出しました?

驚いたような焦ったような動揺した声を出した美桜さん。

静まり返った部屋にその声が響き俺は吹き出しそうになった。

……耐えろ!俺……。

美桜さんと蓮さん以外のみんなが笑いを堪えている。

みんな我慢してるんだ。

俺が吹き出すわけにはいかない……。

必死で笑いを飲み込んだ。

場の空気に気付いた美桜さんが気まずそうな表情を浮かべている。

そんな美桜さんの顔を見つめる蓮さん。

その表情はとても優しくて穏やかだった。

蓮さんの顔を見た美桜さんの表情が変わっていく。

安心したような表情に……。

見ているこっちまで微笑んでしまうような二人に、今まで張り詰めていた空気が和むような気がした。

「うん。葵さんとアユちゃんが美味しいグラタンがあるお店に連れて行ってくれたの」

嬉しそうに話す美桜さん。

「そうか。美味かったのか?」

「うん!!すごく美味しかった!!」

「良かったな」

「うん!!」

美桜さんと話す時の蓮さんの表情や口調はとても優しい。

美桜さんに出逢う前は蓮さんのこんな表情見たことがなかった。

「俺も食いてぇーな」

「……今度……」

「うん?」

「今度、蓮さんも一緒に行こうよ」

美桜さんがニッコリと蓮さんに笑いかけた。

「あぁ」

そう答えた蓮さんはとても嬉しそうだった。

「葵」

「……はい?」

蓮さんと美桜さんのやり取りを見て笑みを浮かべていた葵さん。

ケンさんに名前を呼ばれてその笑みは一気に引いた……。

「今日から一週間晩飯は毎日焼肉な?」

「はぁ?」

笑みを浮かべたケンさんとは対照的に動揺を隠せない様子の葵さん。

『そんなの無理!!』と言う葵さんの心の声が聞こえてきそうだ……。

「幹部会が延期になったんだ」

「……それって……私の所為?」

「……」

葵さんの質問にケンさんは何も答えずにニッコリと微笑んだ。

「……分かった……」

葵さんが諦めたように呟いた。

その時、隣からの視線に気が付いた。

恐る恐る俺の顔を見つめるアユ。

その瞳は俺に問いかけていた。

『私にも何か条件を出したりする?』

付き合いが長い分、言葉を発さなくてもアユの考えが何となく分かるようになってきた。

まぁ、元々アユは考えている事が表情に出やすいし……。

どちらかと言えば分かりやすい。

不安そうな表情のアユ。

この顔も好きなんだよな。

そんなアユに向かって俺は微笑んだ。

『当たり前だろ?』

そんな気持ちを込めて……。

その瞬間アユの表情が引き攣った。

……ナイスリアクション、アユ。

別に条件なんて出すつもりなんてねぇーけど。

アユを弄るのは楽しい。

……あっ……。

なんか条件を出していいんなら、『今晩泊りに来い』がいいんじゃねぇーか?

いい事を思い付いた。

アユと後でゆっくり話し合いをしよう。

俺の考えに気付いたのかアユは一層顔を引き攣らせた。

「美桜ちん」

美桜さんの名前を呼んだケンさん。

「はい?」

ケンさんの顔をまっすぐに見て答えた美桜さん。

「今日の晩飯付き合ってね」

その言葉に美桜さんは首を傾げた。

「アユもな」

ケンさんはアユにも美桜さんと同じ条件を出した。

「えっ!?私も!?」

驚いた声を上げたアユが俺に視線を向けた。

その瞳は確かに俺に助けを求めていた。

ケンさんが出した条件はある意味罰のようなもの。

俺達に心配をさせた罰。

焼肉食って許してもらえるなら楽勝じゃねぇーか。

『諦めろ、アユ』

俺はニッコリと微笑んだ。

それでも、まだ俺の顔を見つめるアユ。

……ったく、諦めが悪ぃーな……。

俺が小さく頷くと、アユはやっと諦めたように「……はい」と呟いた。

困った表情の美桜さんも蓮さんに耳元で何かを囁かれ「はい」とケンさんが出した条件を飲んだ。

こうして、今日の3人の企みはまるく収まった。

3人が変な事に巻き込まれなくて本当に良かった。

もし、なんかあったらカラオケボックスでのんびりなんてしていられなかっただろーし。

まぁ、3人が内緒で出掛けたのは俺達の所為でもあるし……。

アユ達の気持ちも分からないわけじゃない。

……なんか考えないといけねぇ-な……。

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