東京タワーで出逢う

 思わず青年に惹き付けられていた視線を剥がして、私は微かに頭を振る。

(いや怖いぞ自分)

 エレベーターに乗り合わせただけの見知らぬ青年に、『直観』のようなものが働いたのだと解釈しているなら、それはちょっと、だいぶ痛い。

 四十五秒の上昇を終えて、エレベーターの扉が開く。歓声を上げながら展望台へと足を踏み入れる家族連れや若者たちの後ろを、ソロである私と青年は黙って歩いた。

 私は一人だけど、男の子は彼女と待ち合わせでもしているのかもしれないな。 

 そんなことを考えながら、私は青年と反対方向へと歩き出した。


 暮れ始めた東京の街並みを大きな窓の向こうに眺めながら、ぷらぷらと歩く。

 人間と。高層ビルと、道路と車と、それらの放つ光で彩られた大都会東京。それでも見渡す眼下には、思ったよりあちこちに緑がある。こんもり茂った木々があるのは公園とか、私が立ち寄っていたような神社とか、そういう場所。

 しばらく窓の外を眺めたり、硝子張りになった床にわざと近づいたりして遊んでいたけれど、どの風景もしっくりこないことに気が付いた。

 見ている方角が逆なのか。自分の勤務地が見える逆方面から、見学を始めてしまっていた。馴染みのある場所を眺めたほうが面白いだろう。まだまだ一周分の距離はありそうで、回れ右をした。

 さてあっちは何があったか、ホテルオークラにアメリカ大使館に、私が働いていたビルはわかるだろうか……なんて考えて、進行方向より景色を気にしながら歩いていたら。


「あ」

 さっきエレベーターで乗り合わせた男の子が、変わらず一人で、窓の向こうを眺めていた。一人たたずむ彼は背が高くて、妙に真剣な横顔はちょっと綺麗で、絵になるとか思ってしまって。

「何か面白いものでも見えますか」

 つい、話しかけてしまった。

 振り向いた彼は、ぎりぎり前髪がかかるかかからないかの瞼をぱちぱちさせる。

「ああ、ごめんなさい。さっき、エレベーターが一緒だったなと思って」

 青年は目を細めた。警戒されてるのだろうか。

「いやー、いきなり変な人だよね。ごめん。私、あっちの方に勤めててね。あ、契約更新できなくて、今日でやめるんだけど。あっち、なんか見えるのかなあって、思って」

 ナンパだ、ナンパしてるぞこれ。

 変なおばさんに話しかけられたとか思ってるぞ。不審がられてるぞ絶対。

 精一杯、怪しくない雰囲気でと思いながら、余計なことまで話して。三年間の契約満了最後の最後、去り際に、とてつもない汚点を残したと後悔が胸に渦巻き始める。


「とらがいるんです」

「へ?」

 彼の第一声は全く予想外の――というか、意味の分からない――言葉だった。

『とら』がいる、とは。何かの謎かけだろうか?

「あ、とらもんのこと?」

 ここから見える範囲で、虎と言えば。

 こちらも港区、虎ノ門。

「あっち方面で、何か探しもの?」

「とらがね、いるはずなんですけど。すぐにふらっと、土地を離れて遊びに行っちゃうもんだから」

 広がる虎ノ門の景色を眺めながら、青年は神妙な顔つきで言った。

「あれが土地を離れると、妙なことが起こるからなあ……。とっとと見つけないと」

 やっぱり意味がわからない。


「私、虎ノ門に通ってたよ。神社のそばのオフィスで、なんて名前だったかな」

 今日までだけど。

 芝公園だろうが、虎ノ門だろうが。それこそ今まで、新橋しんばしだって汐留しおどめだってどこだって、私が長く居る場所はなかったけれど。

 それでも『今日も頑張ってるな』って、自分を励まして。コーヒーで一息つきながら鳥居を眺めた神社とか、好きだったんだよな。

 高層ビルの真下にある白い石造りの大鳥居を潜って、そのままビルの通路みたいな参道を行く。

 境内にはもう一つ、古びた渋い色の鳥居があって。確か、名前は。

「こんぴらぐう?」

金刀比羅宮ことひらぐう


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