西の虎は消えた
いいの すけこ
港区を後にする
最後の勤務を終えて、定時でオフィスを後にする。
仕事はやりやすかったし、居心地もよかった。
だけどそれも、今日でおしまい。
最終日の今日は色んな人が声をかけてくれて、ちょっとしたプレゼントも持たせてくれて。いい人たちだった。惜しんでもくれたし、寂しいとも言ってくれた。
だけど引き際の処理はスムーズで、人を送り出すことに慣れていた。
勤続三年の渡り鳥を見送るのなんて、そんなものだろう。
冷房の効いたビルから外に出たら、残暑のむわっとした熱気に襲われた。
お盆期間のオフィス街は、人もまばらで車も少ない。
私の勤務先は長期休暇を交代で取る制度だったために、そこそこ賑わっていた。けれど多くの企業が、慣習通り動いているらしい。長期連休の分散化をなんて呼びかけも虚しく、普段は活気づくビル街は閑散としている。思わずゴーストタウンという単語が頭をかすめて、なんだか心細くなってしまった。
妙に寂しい気持ちになるのは、きっと人が少ないから。そう思うのだけれど。
(やっぱりここにだって、私の居場所は作れなかったんだよなあ)
コーヒーでも飲んで自分をねぎらおうと思ったら、いつも通っていたコーヒーチェーンはもう閉店していた。普段は二十一時まで開いているのに、お盆期間は十七時で閉店という有様。毎回コーヒーはテイクアウトにして、近くの神社境内へと向かうのが日常だったのに。
近代的な高層ビルと、歴史ある神社の取り合わせが面白くて。境内のベンチでコーヒーを一服するのが好きだったのだけれど。
「飲み納めならず、か」
お賽銭をして、神社にちゃんとお参りをしたのは勤務開始をしてすぐくらいの頃に一度。それからたびたび無料休憩所のように使ってしまったので、退職が決まった時にもう一度、お賽銭を投げに来た。
今までお世話になりましたとご挨拶と、あと、次の働き口もいいご縁がありますようにとお願いも添えて。
どこかで、神頼みなんてしても無駄だって。都合のいい神様なんていないって、神域で罰当たりなことを思ったけれど。
私は真っすぐ駅に向かうのをやめて、逆方向に歩き出した。
静かな街に、硬い素材で作られたヒールのカツカツという音が響く。
あんまり足に馴染まなかったけれど、つま先の尖ったシャープなパンプスでオフィス街を歩く自分、結構好きだったんだよな。
また都内の、
世の中は結構、厳しいので。
感傷みたいなもので頭と胸を満たしながら歩くこと二十分ほど、なだらかな坂を上った先に――上る前から、ずっとそれは派手に主張していたけれど――目的地はあった。
東京都
都会の夜にまばゆく輝く、赤いシンボル。
東京タワー。
スカイツリーに主役の座を譲ったと思いきや、今でも東京の顔として親しまれているそれは、私の元職場から歩いていける距離にあった。
最後に高いところから、このあたりの風景を眺めるのもいいかもしれない。
私は東京タワーの入場ゲートをくぐる。
ここばかりはお盆休みだからこその賑わいを見せていたけれど、うんざりするような混雑ではなかった。展望台行のエレベーターに乗り込む。
乗り合わせたのは赤ちゃんを連れたご夫婦と、小学生ぐらいの子どもがいる家族連れ。若者カップル。
あと、若い男の子と。
高校生、いや大学生くらいか。目にかかりそうな長さの、ゆるく波打つ髪。
髪は天然なのか、巻いているならお洒落さんだなあ。
普段関わることのない年頃の男の子を観察してしまった自分に、若干危うさを覚えたりする。
いや、若さや殿方に飢えてるとかじゃないから。確かに縁はないけど。
なんとなく、目を引かれたというか、気配、というか。そういう私の気を引くものが、彼からは感じられたのだった。
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