5-3
葛西臨海水族園を一回りして、潮干狩りもできるらしい砂浜のほうへと移動する。のぞみは履いていたスニーカーを脱いで、靴下をそのスニーカーの中に入れると、オレにスニーカーを渡してきた。
「行ってくる!」
「どこへ?」
返事は言葉ではなく、行動で示される。十月も始まったばかりの海に、のぞみは突っ走っていった。
「わー!」
水をばしゃばしゃと蹴り上げたり、しげしげと海の中をのぞき込んでみたり。
「何かいる?」
オレが訊ねると、顔を上げて「まさひともおいでよ!」と誘ってきた。水族園は大盛況だったのに、海辺には誰もいない。そりゃそうか。夏ならまだしも、秋だもの。
「……よし!」
子どもじゃあるまいし、と断ろうとも思った。でも、中学生はまだ子どもでいい。足洗い場にのぞみのスニーカーを置いて、オレのスニーカーを隣に並べた。靴下も同じようにスニーカーの中へとねじ込んだ。ズボンのすそを巻き上げて、短くする。
「よーし!」
海まで全力でダッシュした。この一時間後には、オレたちはずぶ濡れになっている。着替えは持ってきていない。
「のぞみが先だったろ」
「違うぞ!」
足洗い場まで歩いて、足の裏についた砂を洗い流す。靴下とスニーカーを履いた。服は濡れているのに、靴下とスニーカーは無事。妙におかしくて、ふたりで笑い合った。
「あーあ。どうしようか」
「このまま電車に乗るわけにはいかないよ」
「じゃあ、歩いて帰る?」
無茶なことを言うな、と思った。ただ、考えてみると、歩けない距離ではない。もちろん、電車で移動するよりは時間がかかるけれども、夕飯の時間までには帰れるだろう。
「歩くか!」
濡れている服も乾いていく。途中にマクドナルドがあって、のぞみはダブルチーズバーガーのセットを買った。オレはてりやきのセットにして、飲み物をチョコレートのシェイクに変更する。店内は満席だったので、持ち帰りにして、さらに歩いたところにある公園で食べ始めた。
「ちょっとほしい!」
「はい」
食べている途中で、のぞみがシェイクをほしがるから、渡した。Mサイズのコーラと交換になる。
「……結構飲むな」
ずぞぞ、とストローで中身をすする音がした。全部飲んでない? この子。
「あ」
申し訳なさそうな顔をしながら、空っぽになったSサイズのカップを渡してくる。案の定、飲みきられていた。
「初めて飲んで、美味しかったから、つい」
「まあいいよ。今度は単品で買えばいいから」
マクドナルドなら近所にもある。オレはコーラを一口だけ飲んで、のぞみに返した。
「今度か」
「うん。今日がよければ、近所のマクドナルドに寄ってから帰る?」
「この約束を、まさひとは憶えてくれているかな……?」
そう言われると、自信がない。だって、オレの記憶は八月三十一日から始まっている。男子中学生の氷見野雅人にはこれまで生きてきた時間があるはずなのに。
「やっぱり今日、行ってから帰るか?」
「いいや、おなかいっぱいだからいい」
のぞみは包装紙を紙袋にひとまとめにして、立ち上がる。できるかぎり憶えておきたい。なんだかさみしそうな顔をしていたから。
「残りも歩くぞ!」
家の近くの大通りと同じ名前の通りを進んでいるので、この道を進んでいけば家までたどりつく。話しながら歩いていたら思っていたよりも近かったけれども、時間はちゃんと進んでいて、太陽は沈みかけていた。エレベーターに乗って、自分の家のある階まで上がる。
「あれ?」
オレの見間違いでなければ、のぞみの家から、おばさんが三人出てきた。のぞみは特に気にしていない様子だ。
「……のぞみの家族か親戚?」
「違うぞ」
違うのか。確かに、のぞみとは似ても似つかない。オレの母さんより年上で、おばあさんというには若い人たち。
「こんばんは」
オレがあいさつをしたのに、おばさんたちは無視した。のぞみに対しても無反応。
「あの」
「気にしなくていいぞ」
呼び止めようとしたら、逆にのぞみに止められてしまう。気にしなくていいと言われましても。
「気になるよ。だって、のぞみの家から出てきたから」
「あれは神たる俺の生活を支援してくれている人たち。わかりやすい言い方でいうと、家事手伝いだとかメイドだとか」
のぞみの家には母親も父親もいないんだっけか。代わりに、ああいう人たちが出入りしているのか。にしても無愛想でイヤな感じがする。せめて、こちらがあいさつしているのだからあいさつを返してほしい。
「そっか……」
これ以上聞こうとしても、のぞみにとってはこれが日常なのだから、オレには何もできない。モヤモヤはした。
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