5-2

 最寄り駅から地下鉄で移動し、京葉線へと乗り換える。時間が時間なので通勤客はいないが、オレたちが降りる駅の次の駅を目的地としている乗客で混雑していた。普通の休日ほどではないにせよ、学生が多く見られる。東京都にある学校はお休みなのだ。考えることはみんなおなじ。オレとのぞみは車内で身体を寄せ合ってやり過ごした。

「降りれてよかった……」

 ホームでため息をついてしまう。のぞみは「ほんとだよ! 次の駅まで行って戻るところだったぞ!」と怒っている。ドア付近には同い年ぐらいの女の子たちが集団で固まっていた。かき分けてなんとか降りることができたのだから、ため息もつきたくなるだろう。

 ふと気になる。

 のぞみはテーマパークには興味ないのかな。

 次の駅にあるテーマパークのチケットは持っていない。持っていなくとも、最近できたらしいなんとかピアリっていう商業施設には入れるはず。なんとかピアリ、行ってみたい。混雑はしていそう。

「水族園でいいの?」

 先ほどの女子高生たちの中にのぞみが混じっていても、雰囲気は似ているので違和感がない。クラスで女子のグループがいくつかできているとして、校則では違反でも化粧してきていてスカートの丈が短い派手めな女子のグループに属していそうな容姿ののぞみ。実際は一個前の席の秋月としか話していないようだけど。

「なんで?」

 サイドテールの高さが気になるのか、一旦外して結び直しながら聞いてくる。さほど変わらない位置に落ち着いた。

「なんか、地味かなと思って」

 水族館ならサンシャインにもある。どちらに向かうとしても我が家からは遠いにせよ、あちらのほうがデートらしさはありそう。葛西臨海水族園を選んだのはのぞみだ。

「美咲との思い出の場所だからな!」

 のぞみは階段を降りながら“美咲”という人の名前を挙げた。きっと、風車美咲さんのことだろう。他の美咲さんのことだとしたら教えてほしい。オレはポケットからのぞみの分も預かっていた切符を渡して「風車宗治の嫁だったっていう人?」と確認してみる。切符は『自分で持っていてなくしたら困るだろ!』と、改札を入場するたびに預けられていた。

「そうそう」

 のぞみは曖昧な表情でうなずきつつ「美咲がどんな人かは聞いてる?」と逆に質問してくる。切符を通して改札を出た。さらに階段を降りる。秋晴れの空の下。駅前の広場には家族連れがまばらに見られる。臨海公園というだけあって、水族園だけでなく海辺のバーベキューやレジャーを楽しむ人もいそうだ。そんな荷物を持っている。

「生まれつき身体の弱い人だとか」

「他には?」

「総平さんと智司っていう二人の息子がいるとか」

 オレの中の記憶領域は狭いぶん、逆にこの手の情報をすぐに引き出せる。必要そうな情報を残して不必要な情報を切り捨てる、情報の取捨選択がしやすい。とはいえ風車宗治の生前の人間関係が重要かといえば、はっきり言ってだとは思っている。だって、風車希望には関係のない話じゃないか。今を生きているのぞみに、死んだ人の影を重ねないでほしい。

「それだけ?」

「それだけだよ」

 オレはのぞみの右手を取って、案内図に従って水族園への道に誘った。入り口まで来て、他の人からはカップルの男のほうが無理に引っ張っているように見えてしまうかも、と思い至って手を離す。

「美咲が歩けるようになってからの初めてのデートで来たのはここだぞ!」

「歩けるように?」

「ハイジのクララみたいに車椅子で移動していたのが付き合いたての頃。俺と美咲は“普通”に憧れていた。みんなと同じ“普通”になりたかった」

「……そのクララみたいに、奇跡的に歩けるようになったと?」

 正門で財布を出そうとしながら言えば「今日は都民の日だから、都営の施設である葛西臨海水族園ここの入園料は無料だぞ!」とのぞみに止められた。チケット売り場らしいものも見つからない。

「無料だから、人がまあまあ来てるのね。なるほどなるほど」

「それは失礼だぞ!」

 芝生広場を進んでいくとチケット売り場があった。受付の人は座っているが、通り過ぎていく人を見てニコニコとするばかりだ。本当に無料でいいらしい。素通りするのは申し訳なくて会釈を返す。

「俺は、――風車宗治は、世界中から不幸をなくしたかった。俺は神だから! 何でもできると信じていて。作倉は賛同して、ついてきてくれた」

 太陽に照らされたガラスドームに目を細めつつ、のぞみはひとりごちた。

 それは目指していたという“普通”とは違うんじゃないか。世界中から不幸をなくす、とてもとても大きな目標だ。一人の力では到底実現できそうにない。でも、実のところ風車宗治はこの世界を作ってしまうほどの『何でもできる』力は持っていたっぽい? そんな話を、図書室でしていたような?

「それでいて、俺は“普通”にもなりたくて。結婚して、家を買って、子どもが生まれるって、すんごく“普通”ぽいじゃん!」

 階段を上って、空の広場という場所に着いた。太陽がまぶしい。

「美咲が亡くなったのは智司が生まれたときで。俺は『自分が“普通”になりたいがために、彼女を巻き込んで、彼女の寿命を縮めてしまった』と悟った」

 エスカレーターはサンゴ礁の海ゾーンへとオレたちを運ぶ。

「俺は神だから、神でなくてはいけなかった。漫然と“普通”を希望のぞむのではなくて! 地球上のすべての生命を救わないといけないのに、その生命に彼女を含めていなかったんだなって」

 順路に従って、施設内を歩いていく。オレはせっかく水族園に来たのだからと、のぞみの話を半分聞き流しながら魚たちを見ていた。

 魚にも貴賎はないはずなのに、大きな水槽を回遊しているマグロには歓声が上がっている。目が合った気がするのは気のせい。止まったら死んでしまうのだと、ガイド音声が説明していた。名前も知らない男の人が「美味しそう」と言って、その男の人と腕を組んでいた女の人に叩かれている。彼氏彼女かな。

「俺は、どうするのが正解だったんだろう?」

 この飼われている魚たちと、海を泳いでいる魚たちと、人間の手によって育てられてやがて食卓にのぼる魚たちと。どれも等しく魚だ。どれが幸せで、どれが不幸せかなんてない。いずれ死にゆく命の、遅いか早いかの違い。

「正解はないよ」

「……」

「のぞみが風車宗治のやってきたことを悔やんでも仕方ないじゃないか。デートしようよデート。何のためにここまで来たの?」

 つい大きな声を出してしまった。周囲の視線が痛い。体温が上昇するのを感じる。のぞみはのぞみで絶句してしまっているから「ごめん、トイレ行ってくるからここで待ってて」とオレがその場から離れた。

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