二〇〇一年十月一日【都民の日】

止まらない止まれない止めどない五日目

5-1

 のぞみが「おはようまさひと!」と挨拶してくれた。ベッドサイドに立て膝で待機している。

「ずっとうなされていたぞ!」

「ずっと?」

「まさひとのママさんが『まさひとの部屋から叫び声がする』って言うから、俺がここで見守ってた!」

「起こしてくれてもよかったのに……」

 ずっと見守られている姿を想像してはずかしくなった。意地の悪いことをする。当の本人は悪気がなさそうなのがまた厄介だ。

「どんな夢を見てたんだ?」

 のぞみからの問いかけに、どこから答えればいいのかを考える。不思議な夢だった。

「ある男の人の人生を高いところから見下ろしているような感じ」

「風車宗治の?」

 わざと『ある男の人』と言ったのに、見抜かれていた。風車宗治はこちらに気付いていて、風車宗治が自分の人生を振り返るような、夢。

「うん、まあ、そう、そんな名前だった」

「どうだった?」

 感想を聞かれている。のぞみはのぞみだ。風車宗治じゃない。風車希望。別の人間だ。オレにとってののぞみはちょっと常識知らずな隣の家の女の子。

 どうだったと言われてもだ。

「まさひとにも見えたかな」

 返答に迷っていたら、ぽつりとそんなことをつぶやく。まさひとはオレだけど。

「オレ?」

 のぞみは天井を指差して「まさひとに」というセリフを繰り返した。無表情だ。そこにオレはいない。天井にオレの生き霊でも張り付いているんだろうか。恐ろしい。オレはのぞみの前で、寝巻きのままベッドに座っている。

 作倉も天井を指さした時があった。あれは風車家の墓を見に行ったときだ。

「こんな話をしてたら五日目が終わっちゃうぞ! ほら、着替えた着替えた!」

 オレが物思いにふけっていたら、のぞみは手をパンパンと二回叩いて、オレを急かしてきた。ここでようやくオレは枕元の目覚まし時計を見る。日付は十月一日。十月?

「さっきまで、オレ、九月八日にいたはずじゃ」

 これまでにない日付の飛ばし具合。思わず目覚まし時計を叩いたり振ったりしてしまう。オレは何日間寝ていたんだ?

「十月一日は都民の日だから、学校は休みだぞ!」

 のぞみはオレのタンスを開いて、洋服を漁っている。休みなら制服を着る必要はない。のぞみは淡いピンク色のニットとチェック柄のキュロットスカートといった格好をしている。サイドテールは右側に垂らしてあった。利き手が左だから、結局右にしておくのが邪魔にならないと結論付けたのだろう。三十一日以外は全部右側になっている。コーディネートを思案しつつも「九月の二十九日が土曜日、三十日が日曜日だ。三連休で得した気分になれるな!」と上機嫌だ。

「それはいいんだけど、オレ、最近こんなことばっかりで」

 できれば母さんにも相談したい。けれども、頭がおかしくなったと思われて、都民の日だろうが祝日だろうがお構いなく病院へ連れて行かれるだろう。手をわずらわせたくない。オレはまともなのに。

「お前にとってはよくあることだろ?」

 縦縞のシャツと黒いジーンズを選んで「慣れだぞ慣れ!」と差し出してきた。

「じゃあ、着替えるから」

「はーい!」

 元気に返事をしてオレの部屋からのぞみが退出する。オレが気にしすぎなのか、のぞみの言う通り、慣れが足りていないのか。寝巻きを脱いで、シャツに腕を通しながら考える。九月八日の次が十月一日なのはおかしくない。スクールバッグが教室の自分の席の上からこの部屋に強制送還されている。無事だったか。おかしくない。心の中で唱えてみる。おかしくはない。心の持ちよう。考え方次第で人生は変わる。

「のんちゃん、今日はデート?」

「デートデート!」

「どちらまで?」

「まだイベントスチルが回収できていないから、水族館に行くぞ!」

「あら。ちょっと遠くまで行くのね。気をつけてね」

「美咲との思い出を、まさひととの思い出で上書きしておきたい。俺の後悔を、すべて捨て置かないと」

 扉の隙間から会話が漏れ聞こえてくる。今日はごはんを何盛りにするのか聞かれていない。オレはズボンを穿き替えて、寝巻きを持って自分の部屋から出た。

「まさひと、おはよう」

 母さんからの挨拶に答えようとして、テーブルの上の朝ごはんを見て固まる。それぞれの席の前にはハンバーグにレタスとトマトが添えられたものが用意されていた。朝からハンバーグって、氷見野家ではめずらしい。

「ハンバーグを食べたかったから、まさひとのママさんに作ってもらったぞ!」

「のぞみのリクエストか」

 やっぱり、母さんはのぞみに甘い気がする。別にいいか。

「……総平が生まれたとき、俺は『一姫二太郎が理想だったな』なんて思ってたけどさ! 作倉からの話を聞いていると家事は総平がやっていたらしいじゃん? 美咲は身体が弱かったからさ。それってママさんみたいだから、ある意味で『一姫』だったんだなって思ったぞ!」

 オレがいつも通りランドリーバッグに寝巻きを入れて、手を洗っていたら、また風車宗治の記憶らしき話をしている。オレの見た夢の中にその男の人は出なかったけれども、作倉からの話には出てきていた。風車宗治の長男が総平。母さんが困ったように「総平ってどなた?」と聞き返している。

「ママさんは気にしなくていいぞ!」

「じゃあ、もう一個。作倉って、このあいだ二人で学校を抜け出したっていうあの作倉さん?」

 母さんにバレてる! いや、まあ、バレないわけないか。金田はあの間伸びした声で「あのお、氷見野さんのお宅ですかあ?」と電話をかけている姿が容易く思い浮かぶ。保健室に行ったきり帰ってこないと思いきや敷地内にすらいなかったオレたち。いらぬ心配をかけてしまった。

「そうです……」

 潔く認めつつ席につく。すると母さんから「どこまで行ったのかしら?」と興味津々といった面持ちで言われた。正解は風車家の墓参りだ。

「俺が休んだからって抜け駆けするなんて、作倉は卑怯だぞ!」

 ハンバーグを口の中に入れた状態で、のぞみが話に入ってくる。食べるか喋るかのどっちかにしてほしい。

「ほんとねー」

 母さんも同意するのではなく注意してくれないか。ダメか。とことんのぞみには甘い。

「作倉は俺がメインヒロインってのをわかってないな!」

 母さんは「のんちゃんを応援するわ」と言って、のぞみ側につく宣言をした。楽しそうだ。この人、昔からこういうところある。

「それで、作倉とどこまで行ったんだ?」

 話が戻ってきた。オレは渋々「風車家の墓参りをしてきた」と答える。他に適当な言い訳が出てこなかった。どこと答えてもこの二人に面白がられそうだから、正解を口にした。

「ゲホゲホッ」

 のぞみがむせて、手近にあった麦茶で流し込んでいる。そうだよ、のぞみの家の墓だよ。風車美咲さんと風車宗治の眠る、墓。

「作倉さんと?」

 常識的に考えたらご両親へのごあいさつのほうが先だと思う。のぞみとではなく作倉とってのが、なんだか常識はずれだ。作倉は作倉だ。風車家との直接の血縁ではない。それでも墓の場所を知っていたのは作倉が風車宗治と仲が良くて、その息子たちの父親代わりとして機能していたからであって。なんで墓参りしたのか、母さん視点では不思議に見えるだろう。

「作倉は、何か言ってた?」

「特に詳しいことは何も聞いていない。ただ、風車宗治と美咲さんって人の墓だって話は、した」

「ふーん?」

 のぞみが何を話していてほしかったのかはわからないけれど、半分は納得していそうな「ふーん?」ではあった。残りの半分は自分で片付けてほしい。

「母さんの知らないところで大人になっていくのね」

「授業をサボるのが、大人になることだとは思わないけど……」

「たまにはサボっちゃってもいいのよ」

「そうかな……」

 のぞみは「そうだぞ!」と肯定する。オレが真面目すぎるのかな。

 普通に学校へ行って、普通に授業を受けて、普通に帰宅する。これからのオレは普通に受験して、普通に大学へ行き、普通に就職していくのだろう。

「たとえどんな大人になっても、いくつになっても、親にとって子どもは子どもよ」

 母さんの言葉は間違っていない。血は水よりも濃い。けれどもその言葉は、のぞみ――いや、風車宗治には重たかろうと、オレはのぞみの顔色をうかがってしまった。

 我が家は普通だ。ごく普通の家庭で、経済状況はわりと安定していて、親族問題もなく、親と子は仲良し。でも、隣の家は違う。父も母も地球上のどこかで遊び呆けていて、帰ってこない。そのような関係性においても同じことが言えるのだろうか。

「何? なんか付いてる?」

「別に」

 のぞみは肯定も否定もせず「ごちそうさまでした!」と言って、皿を流し台へと持っていく。

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