7-2


 自分の部屋を飛び出し、スニーカーを履いて隣の家へ行く。インターホンを鳴らしても返事はない。ただ、ドアノブを回すとあっけなく開いてしまった。今日の風車家の扉には鍵がかけられていない。ゲームだからといって不用心すぎやしないか。

「のぞみ」

 オレの認識の外にある出来事というだけで、実際には今日のオレは登校したのだろう。水曜日だから六時間目で終わり、他の曜日よりも早く下校してきている。上下ともに学校指定の制服を着用したままだ。のぞみもまた同じで、神佑高校のセーラー服姿。部屋の隅で体育座りをしていた。

「田舎じゃないんだから家の鍵はかけておきなよ。女の子ひとりなんだから」

 言ったはいいものの、考えてみればオレも鍵をかけていない。説得力に欠けている。この間に空き巣に入られたら笑っちゃうな。

「……まさひと、まだそこにいるんだろ?」

 のぞみはオレに対してではなく、画面の向こう側の氷見野雅人に話しかけている。オレはあえて「ああ、いるよ」と答えた。

「どうしても言い出せなかったことがあるんだ。まさひとに嫌われてしまうのが怖くて、最後の、十二月二十六日の通話のときにも伝えられなかった」

 視線は天井に向けられていて、オレを見ていない。今にも泣き出しそうだから、オレは「うん」とあいづちを打つ。

「まさひとが喋れなくなったのは俺のせいだ」

「それは違うんじゃない?」

 いくらなんでも考えすぎだと思う。

「俺が喋れるようになりたいかと聞いたら、まさひとは『別に』って答えたよな!」

 それは、どうなんだろう。喋れないよりは喋れたほうが、人と人とのコミュニケーションは取りやすい。

「……あの赤と青の目で過去と未来を視る【予見】が作倉にはあるように、俺には【威光】っていう能力があるんだろ?」

「らしいね?」

「俺は“知恵の実”から教えてもらったんだぞ! 教えてもらうまでは、俺は特別な――神のような存在だと思い込んでいた。あるとき、電気屋のテレビが『ギフテッド』という言葉を紹介していてさ! たまたま前を通りかかった、小さい頃の俺は、その言葉にすがったんだ」

 知恵ちゃんの入れ知恵だ。というか、それまで知らなかったのか。両親が不在で、それでも生きていくために。いろんな人たちが自分の世話をしてくれる生活が、風車宗治にとっての当たり前。

「まさひとが隣に引っ越してきて、ママさんとパパさんと三人で挨拶しにきたとき! 俺はうらやましいと思ってしまった。選ばれし存在たる俺の目の前に現れた“普通”だった。本来、人というものは、家族ってものは、かくあるべきだと見せつけられたような気がしたぞ!」

 自分にはないもの。欲しくても手に入らないものを同い年の他人が持っている。

「ママさんに背中を押されても喋らなかったまさひとを見てと思った」

「それは」

「ただの人見知りだったのかもしれない。そのときまでは!」

「けれども、喋れないのは生まれつきだって」

「俺のしょうもない嫉妬のせいで、あの地点から過去を遡ってという設定が確定したんだってさ! どんだけ治そうとしても、さまざまな手を尽くしても、その度に阻止されてきたのは全部俺のせいだぞ!」

 画面の向こう側の氷見野雅人は、今どんな面持ちでこのシーンを見ているだろう。のぞみは「風車宗治は、――俺には祝福があると信じていて、そう信じ続けていれば俺は俺だった」と続けていく。

「俺はずっとまさひとに謝りたかった。謝らなくとも、まさひとは頭いいから、その喋れないハンデを乗り越えていったんだけどさ……どうすれば許してもらえるかを、バカなりに考えて、俺の解決策ソリューションを創り出した。それがこれだ!」

「どれ?」

。俺が風車宗治であり続けるかぎり、まさひととは付き合えなくて、父親としての振る舞いを強制され、人類が平等に幸福な社会を目指さなければならないのなら! 俺は風車宗治であることをやめて、メインヒロインの風車希望として生まれ変わることにした!」

 思い切りがよすぎる。それだけ思い詰めていたんだろうけど。周りの、それこそ作倉に相談してお休みできなかったものかな。屋上での作倉の『無駄な時間を過ごすよりも不幸な人間を早急に救うべき』の言葉を思い出す。……ああ、休暇なんてもらえなさそう。立ち止まっている時間は与えてくれない。

「俺はまさひとに死んでほしくないんだ。平穏無事に人生を終えてほしい! その前に、真実を伝えたかった」

「起動されないで捨てられる可能性があったらしいけど」

「まさひとが俺からの贈り物を捨てるわけないだろ!」

 いや、さっき、……ま、いいか。言わなくても。

「まさひとが能力者の研究をしていて、いずれその能力を治す薬を作ろうとしていたってのは作倉から聞いていたぞ! 俺が生きている間は、普通の人間と能力者とを見分ける装置ができたってところまでしか聞いてないけどさ!」

 なんかその辺は変な夢で見た気がする。


「なあ、まさひと! 俺が『愛してる』と言ったら『オレも』って答えてくれないか?」


「いいよ!」

 オレは答えた。画面の向こう側の氷見野雅人に問いかけているのは百も承知で、それでもオレ返事をする。嫌われてしまうかもと思いながら、覚悟を決めて真実を告げたばかりののぞみが面食らったように「あの」とだけ言った。

「これまでずーっと風車宗治とその仲間たちの話を聞いてきたけど、のぞみどんな子なの?」

 この世界の氷見野雅人はオレで、風車希望がメインヒロイン。他のヒロインは元の世界に帰っちゃったりそもそもに住んでいる世界が違ったりするのであれば、風車希望のルート一択しか選べない。選ばせてもらえない。創られた時点でエンディングは決まっている。

 というか、オレはのぞみのこと嫌いじゃないけど。なんか渋々みたいだなこれだと。消去法みたいな。全くそんなことはないよ。

「俺?」

「俺じゃなくてあたしかな」

「そっか」

 主人公であるオレは、前世だか生前だかがどんな人物だったかなんてお構いなく、メインヒロインを盲目的に愛せばいい。過去を掘り返すなんてとんでもない。現在ののぞみに何の関係があるというのだ。そのように宿命づけられているのなら、物語としてはこのオレがのぞみの手を取るのが正解。他の誰かに代わりはできない。

「誕生日はいつ?」

「え、俺のじゃなくて、風車希望のを聞いてる?」

「もちろん」

 風車宗治の誕生日を聞いてどうしろと。のぞみは視線を逸らして「決めてない……」と呟いた。

「じゃあ、今日で! ハッピーバースデーのぞみ!」

 急に決められて瞬時に文句ありげな顔に切り替えてきたのぞみの前で、おおげさに拍手する。決まってないのなら今決めちゃえばいい。そんで「あとで母さんとお祝いしよう」と言ったら、みるみるうちに表情が明るくなった。

「祝ってもらえるのか!」

「そりゃそうだ。の誕生日を祝わない彼氏はどこを探してもいないよ」

「えへへ……」

 ありふれた“普通”の誕生日会をしよう。美味しいものをたくさん食べて、ケーキにローソクを立てて、火を消して、プレゼントをオレが贈って――何も用意してないな?

「誕生日、明日にしない?」

「なんで!」

「いろんな準備が必要だから。それで、風車宗治としては、やり残したことはない?」

「たぶん……」

「未練があるなら今のうちだよ」

 オレは天井を指差して「氷見野雅人が次いつ起動してくれるかわからないわけだから、風車宗治として言いたいことがあれば」と促した。

「さっき言ったので、全部だと思う」

 その【威光】の能力で喋れなくなってしまった件でおしまいかな。逆にそっち側から聞いておきたいことはある? あるなら。まだオレを操作しているのならできるはずだから。

「ところで、のぞみとしてはこっちのオレ――プレイヤーキャラで、ごく“普通”の男子中学生の氷見野雅人はどう思ってるの?」

 オレは女の子の気持ちがわからないらしいので、過去の失敗を活かして本人に聞いてみる。

「どうって、そりゃあ、青春からやり直すために理想を詰め込んで『俺の考える最高の氷見野雅人』を創ったんだから嫌いなわけないだろ!」

「だそうですよ」

 聞きましたか、画面の前の人。

「なら、風車希望は氷見野雅人の理想とする姿なの?」

「まさひとは美少女ならなんでもいいだろ!」

「案外オレに対する理解が浅くない?」

「気のせい!」

「見た目ちょっとギャルっぽい子が苦手で断られたパターンは」

「ないと思いたい!」

 これだからサイドテールの位置が右になったり左になったりしてたのかな。ああそうだ、思い出した。テーブルマナーだとか普段のガサツなところとかはこれから直していこう。これから、本当の意味でのこの世界の二人の物語ラブコメが始ま――コメディ? コメディじゃないよ。コメディにはならない。たぶん、れっきとしたラブロマンスになるはず。はず……。


「愛してる!」

「あたしも!」


 これにてハッピーエンドだ。ゲームとしては。

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