3-4

 時間より三分ほど遅れて、バスは到着する。定刻通りには来なかった。てっきり前から――運転手のいる出入り口から乗るものだと思っていたが、この地域のバスはその胴体の真ん中の降車口が乗車口らしい。作倉が先に乗り込んで謎の紙を取っていなければ気付けなかった。料金は後払いとのアナウンスが流れている。

 へそを曲げているように見えたのか、作倉は一人用の席に座るなり「都会っ子のまさひとくんには考えられないでしょうが、こういうものですよ。遅れて当たり前ですし、むしろ都営バスのシステムのほうが珍しいぐらいですねぇ」と諭してきた。

「オレがバスに乗ったのって、直近だといつだろう」

「視てほしいんですか?」

「いや……自分で思い出してみる」

 自分の記憶を辿るよりも作倉に視てもらったほうが正確な過去がわかる仕組み。脳の記憶容量が少なすぎて悲しくなる。テストが心配だ。

 例えばお盆。お盆は何をしてたっけ。お盆ぐらいは単身赴任の父親が帰ってきていたと思う。はっきりと記憶に残っている夏休み中の一コマは、八月三十一日の朝だけだ。そりゃあ、ベランダから入ってくればインパクトは十分か。のぞみの作戦は成功しているといえる。

 考えても考えても、考えるだけオレ自身が空虚に思えてきた。深沢や金田、中根といった教師陣は覚えている。クラスの連中のことも忘れていない。逆にのぞみと作倉が特殊なのだ。二人に関連する事柄は何一つ綺麗さっぱり記憶の片隅にもない。

 オレは作倉のすぐ後ろの席に腰掛けた。遅れたわりに乗客はオレと作倉の二人きりだ。その三つ編みの後頭部を眺めて「作倉はオレのどこが好きなの?」と聞いてみる。

「その話はなかったことにしましょう」

 なかったことにされてしまった。前の席に座っているから表情が見えない。声のトーンは諭した時と変わっていない。

「このわたしが氷見野雅人を好きになるわけがないじゃないですか。自惚れないでくださいよ」

「このオレは自分が本当に氷見野雅人なのか、疑っているところ」

 正直に言う。窓に映り込む自分の姿を見た。普通な男子中学生の氷見野雅人。それがオレであるはず。

 だが、オレはオレに好意を寄せてくれている二人――あ、いや、作倉には今しがた否定されてしまったんだった。のぞみからは『愛してる』と言われたから、一人。

「性別も年齢も違うよりはマシじゃないですかねぇ」

 本当はおじいさんらしい作倉に皮肉られる。その上で「のなら、あなたはわたしのよく知るまさひとくんですよ。中学生の姿であっても」と言った。

「そっか……」

 オレがオレであることを諦めない。その言葉を頭の中で反芻する。作倉はバスを止めるボタンを押した。次の停留所で降りるらしい。そういう一般常識は、ちゃんとあるんだよな。このオレ。


 停留所にして三つ先。三つ先なら歩ける、バスを待たずに歩こう――という感覚では迷子になっていただろう。停留所と停留所の間隔は広く、道も上りと下りが交互にくる。来たように戻れば駅まで帰れるだろうが、帰りもバスに乗ったほうがよさそうだ。それだけ道が複雑に思えた。二人で会話していたから余計にわからない。

 霊園らしきものは見当たらないような場所で降りたから、オレはすかさず「どっち?」と言ってしまう。

「こちらですよ」

 作倉について行けば間違いない。オレには土地勘はないし正式名称もわからない。スタスタと歩き始めた作倉の後ろをついていく。バスで通ってきた道を戻りつつ、右ではなく左に曲がっていったら、何となく眼下にそれらしきものが見えてきた。平日の昼間だからか駐車場には車が一台も停まっていないが、二十数台は置けるようなスペースがある。

「そういやオレ、自分ところの墓参りしたのかな……」

「してませんよ」

「そっか。よそんちの墓へ行かずにうちに来いって怒られちゃうかな」

「どうでしょうねぇ」

 そんな話をしながら霊園の受付の建物に入っていく。

「こんにちは」

 作倉は挨拶してくれた受付の人へ「お花とお線香を買わせてください」と申し出た。制服姿の男女が真っ昼間に現れても訝しむ様子はなく、受付の人は応対してくれた。墓参りセットが揃っていく。わざわざ遠くから持ってこなくても現地で購入できるんだな。しかしまあ、駅前に花屋でもあれば、バスの待ち時間で花の種類も選べたのに。

「行きましょうか」

 会計を済ませて、花束二つと線香を持った作倉が敷地内を進んでいく。大きさも形もさまざまな墓石と墓石の間の通路を歩いていくと、はたして目的地がどこなのか、自分の苗字がなんだったかもわからなくなりそうだ。作倉は一点を見据えて早足で行くので、迷っている様子はない。これで内心どこだか迷っているのだとしたら相当な役者だと思う。

 秋晴れの空の下。鳥は高く飛び、セミの鳴き声はない。たまに風が吹いて卒塔婆がカタカタと騒いでいる。時期が時期だからか供物があるお墓は少なかった。線香の匂いもしない。


 片隅に、風車家の墓はあった。

 墓誌には戒名と俗名が記されているもので、そこにあるのは風車美咲の名前だけではない。


「風車宗治」

 作倉からは美咲さんの墓だと言われていたが、そうだ、一人の墓じゃない。他の人の名前があってもおかしくはない。風車宗治は二〇〇〇年十二月二十六日没とある。ここに眠っているのは二人だ。

「どうしても亡くなったってことにしたいのですね。宗治くん」

 自分で創った世界に墓がある。オレは手を合わせた。宗治くんに会った記憶はなくても、しないといけない気がしたからだ。

「死んでしまった宗治くんは、宗治くんであることを諦めてしまったのでしょう。希望のぞみとして生きようだなんてねぇ」

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