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 のどが渇く。ここからさらにバスに乗らなければならないらしく、作倉はバス停で空白の多い時刻表を見つめていた。遠目で見ていても本数の少なさは見てとれた。一文なしのオレは自販機の前で呆然としている。せめて財布だけでも持ってきていたら。こんなことには。

 スクールバッグを持ってきていれば、まだ口をつけていないスポーツドリンクが入っていた。咄嗟にスクールバッグの持ち手の片方だけでも掴めていたら。悔やんでも悔やみきれない。こんなことになるなんてね。オレの判断力の低さが嘆かわしい。

 しかし、オレだけでも学校へと引き返すタイミングはあった。教室のある三階から玄関まで階段を下って、学校の裏門を出て学校の最寄り駅までついていったのは他の誰でもなくオレがそうしたかったからだ。券売機の前で作倉に「オレは戻る」と提案してもよかったのにしなかった。

 オレにはお墓で眠っている美咲さんの面影すら思い出せない。のぞみのフルネームはおろか名前すら思い出せなかったり八月三十一日の次の日が九月三日だったりと、今日ここまでにオレの記憶が曖昧を通り越して忘却の彼方へとぶっ飛んでしまっているような現象は幾度となく体験している。忘れっぽいでは済まされない。葬式に行くぐらいには付き合いのあった女性らしいから、行けば霊的なパワーで思い出せるかもしれない。淡い期待はある。そんな非科学的な。

「七分後でしたよ」

 もはや返事をする気力もなくうなだれた。一時間に二本。タイミングが悪いと一本しか来ないようなバス。都心ならもっと本数があるのに。あと七分で乗れるのは運がいいほうだ。前向きに考えていこう。もしや作倉の【予見】で視えていたんじゃなかろうか。今乗ってきた電車に揺られていれば、この場所へは七分前に着くと。能力者ってすごい。

「何か、飲みたいものあります?」

 また奢られそうになっている。これからバスの運賃も払わせるのか、オレ。母さんにはなんて言おうか。作倉が代わりに事情を説明してくれたらな。オレは作倉の薄い耳を横目で見つつ「お茶がほしいな」と頼んでみる。

「本当は墓前に供えるビールを買って行きたいんですが、この制服姿では売ってもらえませんからねぇ」

「そりゃそうだ。学校に連絡されちゃうよ」

 がま口の財布から五百円玉をつまむと、投入口に入れていった。ボタンが点灯する。そもそもこの辺にコンビニやスーパーの類は見当たらない。住宅はまばらに見られるが、住んでいる方々はどこまで買い物に出ているのだろう。通り過ぎていく車の台数は多い。ひょっとすると都内よりも多いかもしれない。

「あなたの分と供える分の二本で」

「作倉の分は?」

 ポチッ、ポチッと二回押す。一本目、二本目と同じ銘柄のお茶が落ちてきた。あともう一個、ペットボトルは買えないが缶は買えるぐらいの金額が表示されている。

「わたしに買ってもらった分を全部飲み干すおつもりですか?」

 真顔で言われてしまった。分け合うおつもりですか?

「まだ間接キスはちょっと早いかなって思うところで」

 言いづらそうに言ってみたが、作倉は「ああ。そういうものを気にするお年頃でしたねぇ」とレモンティーのボタンを押した。そういうものとおっしゃいますか。

「見た目はかわいらしい女の子なんだから、もっとしたほうがいいよ」

「そうですか?」

「さっきも、ホームでパンツ丸見えだったから」

「よかったですねぇ」

 のぞみとはまた違うベクトルで常識に欠けているタイプかもしれない。オレは正しいことを言っているつもりが、大して表情を変えずにいなされてしまう。やりづらい。オレは買っていただいたペットボトルのお茶を開けて一口飲んだ。やり場のないいらだちがおさまる。

「レモンティー、いります?」

 からかわれているんだろうか。プルタブを開けて、両手でごくごくとレモンティーを飲んでから聞いてきた。その赤色と青色の目は、白い肌の中でキラキラと輝いている。

「いらない」

「のぞみからなら受け取ってました?」

 オレとのぞみとの間柄を、作倉はどう捉えているのだろう。この世界を創ったとされる宗治くんは、どう答えてほしいのか。

「どうだろう」

 今は保留にしておく。うまく答えられる自信がない。

 水分が身体に染み渡ると新たな疑問が浮上してきた。


 宗治くんとのぞみは、宗治くんは死んで生まれ変わった姿がのぞみ。本来はおじいさんだけど宗治くんの【威光】という能力で女子高生の姿になったのが作倉ゆめ。

 なら、この普通の男子高校生のオレは?

「作倉、答えられなかったら答えなくてもいいけど」

 前置きする。この世界は作倉が創ったのではなく宗治くんが創ったものならば、作倉がなぜか性別を変更されているのと同じように、作倉にも答えられない疑問はあるだろう。

「なんでしょう?」

「オレっていったい誰なの?」

「まさひとくんですよ?」

 作倉はレモンティーを飲み干してしまったのか、その缶を握りつぶし始める。教室でも思ったが、見た目によらない怪力だ。

「それは、わかっているんだけど」

 うまい言い方が思いつかない。もごもごしていたら、作倉は真っ直ぐにオレを見て「いまのまさひとくんのほうが好きですよ」と言うなり、頰を真っ赤にしてしまった。答えにはなっていない。答えではなく告白を叩きつけら――告白として数えていいのか?

「オレもまあ、作倉のことは嫌いじゃないけども」

 そうじゃない。そうじゃないんだよ。。オレも氷見野雅人であるはずだよ。氷見野雅人としてこの年齢まで育てられて、生きてきた――はずだ。


 出生から二〇〇一年の八月三十日までの記憶、ない。

 オレの記憶は二〇〇一年八月三十一日からスタートしている。

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