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その後、何事もなかったかのような顔をしてのぞみは定位置に座った。左利きののぞみと右利きのオレとでは手がぶつかるので逆に座ったほうがいいと思う。と昨日も提案したはずだが、聞き入れてもらえていない。
朝食に出されたししゃもはその全身をマヨネーズでコーティングされ、どちらが頭だったのか尻尾だったのかわからないような状態になった。そんな哀れな姿にするぐらいなら『ししゃものマヨネーズ漬け』という別メニューとして売り出してほしい。マヨネーズの味しかしないだろうに、のぞみは嬉しそうに頬張っていた。本人がいいならいいか。
「突然だけどクイズだぞ!」
食器を片付け、歯を磨き、家を出た。のぞみと二人で通学路を歩く。我が家から神佑大学付属中学校までは道なりにまっすぐ進んで十五分ほど。新学期の始まりから授業は六時間目までみっちりとあるので、夏休みの宿題と合わせてスクールバッグはパンパンに膨れ上がっている。これでも一部の教科書は各生徒に用意されたロッカーに入れっぱなしになっているのに。
スクールバッグの他には母さんが作ってくれた弁当と、上履きを入れたシューズケースを持ち運んでいる。弁当に関しては母さんがのぞみの分も作ってくれて、のぞみは「ありがとうございますありがとうございます」と母さんを拝み倒していた。
「一個作るのも二個作るのも手間としては変わらないものだし、気にしなくていいわよ」
「ヒィイ。神!」
「大したものじゃないから、本当に」
「神!」
同じような弁当箱と似たような花柄の弁当袋。オレが弁当箱を学校に、それこそロッカーの中に入れっぱなしにしてしまったり、平日毎日使う弁当袋が雨で乾かなかったりした時のための予備として二つ目があるらしい。その二つ目がのぞみの分となった。
「クイズだ! ぞ!」
「はいはい」
のぞみはシューズケースを持っていない。スクールバッグに詰め込んだのではなく、下駄箱に置きっぱなしになっているのだとか。この夏休み期間中ずっと放置されていた上履き、嫌な予感しかしない。
「人は忘れる生き物だ。どんなに相手を想っていても、過ごした日々を忘れちゃうもんだぞ! で、死んだ人の何を最初に忘れるでしょうか!」
「何を、か」
「正解は声だぞ!」
ちょっとぐらいは考える時間をくれ。ノータイムで答えを言ってしまった出題者を睨むと「声だぞ!」聞き取れなかったと思われたようだ。ちょうどトラックがそばを通り抜けたとはいえ、のぞみは聞き取りやすい声をしている。声量もあるから、コーラス部とか演劇部とか入ればいいのにな。もったいない。オレが思い出せないだけでどこかには入っているのかな。
「声ねえ?」
祖父母がどんな声をしていたかなんて、すっと出てこない。……隣に住んでいて、一緒に登校するほどの仲ののぞみをど忘れしていたオレが言っても説得力はないか。
「まさひとは最期まで、俺のことを覚えていてくれたかな」
ついさっきはオレより長生きすると豪語していたくせに、しおらしい。あと、なんで過去形?
「また俺になってるよ」
「ごほんけほん……あーあー。あたし。あたしはこの世界の神。あたしの、あたしによる、あたしのための世界」
「母さんだけでなくのぞみも神か」
「日本にはハッピャクマンの神がいるからな!」
「ヤオヨロズな」
オレが訂正すると「へえ!」今の今までずっとハッピャクマンだと思っていたらしい。これでも同じ中学の二年生なんだよ。同じ授業を受けている。塾や予備校には通っていない。だから、学力にそこまでの差はつかないはず。とでも言うと「知識の量と学力は違う概念だぞ!」と屁理屈をこねられそうなので黙った。雑学王が必ずしも高学歴とは限らないものだから。
「おはよう!」
そんな話をしていたら校門までたどり着いた。門番のように仁王立ちしている教師が通りかかる生徒に挨拶している。深沢だ。ガタイはいいが、担当教科は体育ではなく数学。隣のクラスの担任。バスケットボール部の顧問。結構厳しいらしいという噂は聞いている。授業の時はそうでもないのに。――のぞみのことは思い出せないのに深沢のことはスラスラ出てくる。ふしぎ。
「おはよーございまーす!」
のぞみは挨拶と共に深沢へ右の拳を突き出した。深沢は「ん?」という顔をしている。まあ、急にグーで来られたらそうなるわな。のぞみが「こう!」と拳をぶつけ合わせて、グータッチしたいのだと深沢に気付かせた。
「ああ。察しが悪くてスマン」
なんだか申し訳ない。ようやくグータッチしてもらえたのぞみも「明日は頼むぞ!」じゃないよ。オレは肩をすくめて、なるべく目立たないように「おはようございます」と横を通り過ぎる。のぞみが靴箱を開ける前にスニーカーを持ってきた上履きと履き替えて、スニーカーを靴箱へとしまった。よし。
「
距離は取った。このまま先に教室まで行ってしまおうか。どうせ向かう先は同じだ。のぞみはクラスメイトに声をかけて、かけられたほうは「ごきげんよう、宗治くん」と挨拶を返している。ごきげんようだなんて、お嬢様学校の挨拶みたいだ。
「
「あら、そうですか。失礼しましたねぇ」
セーラー襟の端っこのところまでの長さな黒髪を三つ編みにしている女子生徒。瞳が、左は赤色で右は青色だ。カラーコンタクトでも入れているのかな。
「いい名前だと思うだろ?」
「宗治くんにはもったいないぐらいですよ」
「それって褒めてる? けなしてる?」
こんな子、うちのクラスにいたっけか。のぞみに「ええ。最大限に褒めていますよ」と微笑みかけて、真新しい上履きを履いた。作倉さん。転校生ってわけではないだろう。転校生なら名簿順の靴箱で一番端っこになるから。作倉さんがローファーをしまったのは中間の位置だった。
「ごきげんよう。まさひとくん」
俺にもごきげんようって言うんだ。こう言われたら俺もごきげんようで返したほうがいいのか。とりあえずおはようと言っておくべき?
悩んでいたら「またあとで」とその両目を煌めかせて、オレのスクールバッグにメモをねじ込んで立ち去っていった。
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