0-3
我が国の法律では、被選挙権は満二十五歳を待たないといけない。選挙権は二十歳なのにな!
(画面の前のまさひとが生きている時代は、この年齢は変わっているかもしれない。二〇〇〇年時点ではそうだったってことで)
さすがに現行法を無視して立候補したり年齢を偽ったりはできなかったから、大学を卒業してからの三年間をどう過ごすかが問題になってきた。書類を偽装して、あとでバレたら大問題だからな!
「それってなんて書いてあんの?」
時間だけはあるので、俺は作倉と喫茶店にいる。ほぼ毎日、作倉の空き時間に二人で喫茶店にきて、どうでもいい話をして過ごしていた。相変わらず家には何もないしな。作倉はたぶんもうだいぶぬるくなったホットコーヒーをちょびちょびとすすっていて、俺はソーダ水に入っていた氷をガリガリと噛み砕いている。ソーダ水ってのはあれだよ、あれ、クリームソーダのクリーム抜きのやつ!
「まず、何語だと思いますか?」
「ミミズが這ったような文字は読めないぞ」
「怒られますよ」
「誰から?」
作倉は『両親を安心させるため』と言って四月から銀行で働くことが決まっていた。安心させないといけないらしいパパとママのいない俺は就職活動をしていない。ただでさえも特別な存在である俺が“普通”に働く姿は想像つかなかった。
「日本語だってよその国にしてみたら、ヘンテコな形をしているんでしょうねぇ」
「ひらがなとカタカナと漢字とあるからな!」
将来的には辞めて俺の秘書になるからってんで、作倉はいろんな言語の勉強をしている。今は横書きなのに右から左へと読み進めるタイプのうねうねした文字がいっぱい書いてある本を持ち歩いていて、目の前で読んでいた。秘書って通訳もしないといけないんだな。俺自身がペラペラと喋れるのは理想だけど、生徒の頃からずっと国語が赤点だった俺に他の国の言葉をマスターできるのかって話。
「やりたいことは見つかりました?」
作倉なりに俺に気を遣ってくれているのだ。俺は「まだ」と答える。探していないわけじゃあない。
本を閉じた作倉は「今のうちに人生を謳歌しておいてくださいよ」と言うと、席を立ってテーブルの上の伝票をつまむ。十七時から英会話のスクールなんだとか、そんなことを言っていたから仕方ない。
「人生かあ……」
人生ってなんだろう。ひとりでただただ氷を食べているのも居心地が悪いから喫茶店を出て、俺は自宅までとぼとぼと歩いていた。代金は作倉が俺の分まで払っていたから無銭飲食じゃないぞ!
俺の人生は、不幸じゃない。パパもママもいないけど、俺が不幸だと思ったことは、――きっと、ない。ないぞ。俺自身が俺を不幸だと思わなければ、俺は“普通”ではないけど不幸でもない。俺には不思議な力があるんだ。そうじゃないとおかしい。俺がここまで生きてこられたのは神だから! 俺は神だから人々が尽くしてくれる。
でも、両親が健在で見た目以外は“普通”な作倉にも不思議な力はあった。あの赤い目と青い目で、それぞれ過去と未来を視る【予見】っていう力がある。作倉が言うことは正しい。確実に当たる。
だったら、俺も“普通”を目指していいんじゃないか。パパとママはどうにもならないとして、自分がパパになれば“普通”っぽくなれる? 家庭を持っているって“普通”っぽい! いいじゃん。とっても“普通”っぽい。不幸ではないとアピールできそう。嫁がいて、子どもがいるって“普通”で幸せなイメージにしっくりくる。
「あ、あの」
「なんやアンタ!」
方針が固まったところで怒鳴り声に気付いて、そちらに目を向ける。車イスの女の子がガラの悪い男三人組に囲まれていた。なんてタイミングだろう。道を行く人たちは関わり合いにならないように避けて通っていく。背中に「チンピラです」って書いてありそうな男どもだから、見て見ぬ振りをしたくなるよな! 俺もできればそうしたいぞ!
経緯は通りすがりの俺にはわからないけど、車イスの女の子はかわいい。めちゃくちゃかわいい。これまで見てきた女の子たちが全部ジャガイモに変換されるぐらいにはかわいい。俺が神だから降って湧いたようにこういうチャンスが巡ってくるんだな。きっとこの子が運命の
どうしてこんなにかわいい子が助けを求めて視線を右に左に忙しく動かしているのにみんな無視しちゃうんだろう。やっぱり怖いからか。助けようとして返り討ちなんてカッコ悪いもんな。でも、助けられたらかっこいいよな!
「そこの三人!」
俺が呼びかけると三人のうちでいちばん背の低いやつが「アぁ?」とガンつけてきた。俺より低いから上目遣いな形だ。全然ときめかない。
「いったい何があったのか知らないけどさ! やがてこの国の首相になる俺に免じて許してもらえないか!」
「なんやって?」
「俺は神だからな、怒らせたらとんでもないことが起こるぞ!」
神を名乗ると、男どもが一斉に吹き出して「頭おかしいんちゃう?」と笑い飛ばしてきた。神だから神って言ったのに笑われるのは心外だぞ!
「その『とんでもないこと』っての、起こしてみろや」
のっぽが煽ってくる。その力を証明しろ言ってくるやつだ。どうしよっかな。このかわいい車イスガールのほうが三人になんかやらかしてしまったあとだったとしたら、俺は味方すべき人を間違えていることになってしまうぞ。――そんなことはないか! そうだな! おそらくこいつらが悪い! 悪くないんだとしたら見た目をなんとかしてくれ!
「最悪の場合死に至るぞ!」
「はァ?」
確認しといてやったのに「なんだそれ!」とゲラゲラ笑っている。できれば穏便に解決したいぞ! 自国民は多ければ多いほどいいからな。いや、そうでもないか。そうでもないや。数より質だ。俺を信じない人間はこの国には必要ない。どうせ世の中はそうなっていく。
「やめてください!」
車イスの女の子が声を上げた。今こそ神の権能を見せようとしていたところで止めに入るか。涙をこぼしながら「
「自称神さま、おもろいから名前だけ聞いとこか」
面白がられてんな俺。ご笑覧あれってか。まあ、いいか、なんか興味持たれたっぽいから許してやろう。よくわからん場所で変な死に方されたら夢見が悪いからな! 助かったと思いたまえよ。
「風車宗治だぞ!」
「覚えとくわ。あばよ!」
あとの二人は俺をにらみながらのっぽについていき、雑踏に消えていく。なんとかなったな! 徒労感はあるけど、ファンが増えたからいいか! そして残された車イスの女の子と俺。
「すびまぜん……」
ポシェットからハンカチを取り出して、顔を拭きながら謝られた。拭き終わって「私、いっづもドジばっかで」と言いつつポシェットにグジャグジャになったハンカチをしまう。俺は下心があって助けようとしてたんだし謝らなくていいぞ! それより連絡先教えてくれないか!
「前を見ないほど急いでたんなら、あーだこーだ言ってるよりも目的地に向かったほうがいいぞ!」
「へ、へい! おっしゃる通りで!」
「俺が押すから、案内よろしく頼むぞ!」
「助かるます!」
彼女の名前は
「美咲と、お友達になってもらえませんか?」
「ぜひ!」
「ぜひ……?」
「親公認の仲ってことで! 結婚を前提にお付き合いさせてほしい!」
「あの子がよければ?」
とんとん拍子に話が進んでいくぞ! そうそう、こうでなくっちゃな。運命的な出会いを果たして、それとなくデートしたり快方に向かったりしてさ。車イスの移動は大変だから、二本足で歩けるようになったほうがいいじゃないか。
美咲の主治医は「奇跡だ」なんておっしゃったけど、そりゃあ神たる俺がいるんだから当然だぞ。美咲が良くなるように望めば、美咲の体調はどんどん良くなるに決まっている。
「よかったですねぇ」
面白くなさそうな顔をしているのは作倉だ。表情にも声色にも出ている。ホットコーヒーに普段は何も入れないのに、砂糖をドバドバ入れ始めた。
「結婚式のスピーチは作倉にやってもらいたいぞ」
「そうですか」
「……嫌か?」
露骨に嫌そうな顔したくせに「いいえ?」と言って、カップの中の液体をかき混ぜもせずに飲む。気に食わないならはっきり言えばいいのにな。
「宗治くん、あの人の病気についてなんて聞いてます?」
美咲をあの人と呼ぶのだ。高校時代からの付き合いだけど、友だちの彼女をあの人って呼ぶか?
「説明は聞いたけど、イマイチよくわからなかったぞ」
「本当にご結婚なさるおつもりなら、宗治くんの頭でも理解できるまで説明していただいたほうがいいですよ」
「一時間は聞いた」
「一時間で足りないなら半日ぐらいかけてでもですねぇ」
なんだろう。自分よりも先に結婚されるのが心底嫌なんだろうか。サングラスの奥で右目のまぶたを閉じたように見える。
「半日かあ……」
ソーダ水のさくらんぼを掬いあげて食べた。難しい話を聞いていると疲れるんだよな。
それから美咲と結婚した。作倉は当たり障りないスピーチをして、俺は美咲のご両親に「良いご友人ですね」と褒められる。なんだかんだでやるべきことはきちんとやってくれるのが作倉のいいところだぞ!
その次の日に血縁でも何でもない、たまたま道に迷っていたところに出くわして「ここだぞ!」と道案内した俺に「家を譲りたい」と申し出てきたおじいさんから、都内の一戸建てを受け取る。神とはいえタダで家をもらってしまうのは気が引けるので、その時財布に入っていた五千円札を渡した。
氷見野家の隣から引っ越すのは、後ろ髪を引かれる思いがあった。だから俺は引っ越しの報告とともに「まさひとも一緒に住もう!」と提案したけど、断られる。俺のすぐ隣にいた美咲に遠慮してくれたんだと思う。遠慮しなくていいのにな!
「そーじのヨメちゃんの美咲です。どもども」
美咲が挨拶するとまさひとは軽く会釈した。まさひとは俺の結婚式を欠席したから、この引っ越しの報告が美咲との初遭遇だったな。どう思った?
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