🍜二郎系ラーメン


 きょうはバイトが早く終わったため、いつもより早い帰宅だった。


 いつも麦穂が電話してくるから先に何か食べておきたかったのだけど、麦穂と電話すると結局食べたいものが変わるから、何を作ろうか迷ってしまい無駄に時間を浪費してしまっていた。

 たとえばもやし炒めを作っても電話すると家系ラーメンが無性に食べたくなるみたいに。あのときは深夜のコンビニまで走ったもんな。メロスのごとく走って往復したもんな。ぜえぜえ息を整えながらラーメン食べたときの達成感たるや。メロスも走ったあとのラーメンめっちゃうまかったに違いない。否、舞台が西洋だからパスタとかニョッキだったかもしれないし、そもそもそういう話だったかは定かではない。


 こっちがスタンバイしていると掛けてこない。

 ったく。あいつはきょう電話してくるのかな。

 そもそも、なんで麦穂は俺に電話してくるようになったんだっけ。

 そんなことを思い出そうとすると、なぜだか二郎系ラーメンの匂いが鼻腔をくすぐった。これは記憶の匂いだと、すぐ気がついた。



 🍜



 4年の先輩方の卒論発表会が終わって、ぱーっとやろうってなったとき、鍋二郎しようってだれかが言い出した。

 鍋二郎とは、マイ鍋を二郎系ラーメン店に持ち込むと、鍋に注文分のラーメンを入れてくれて持ち帰りができるというサービスである。どの店でも対応しているわけじゃないらしいのだが、大学近くのお店は対応してくれる店だった。


 俺は先輩方と陽キャメンバーが盛り上がっているところから距離をとって、ことの着地を見守っていた。


「……二郎って重いんだよな」


 だれも聞いていないと思ってぼそっと口にすると、となりから「え?」と声が聞こえた。声の方を見ると、俺の胸ほどしかない背丈のちっさな小動物系女子と目が合った。


 ここで無視するほど、俺もコミュ障ではない。


「えっと、佐野さん、だよね。佐野さんはなにか食べたいものある? なにかあったら、俺が先輩方に提言してくるけど」

「あ、え、えーと、私は……、えへへ……」


 佐野麦穂。ゼミでも目立たない系の女の子。人懐っこい顔をしているんだけど、どうも話しかけたらきょどってしまう性格なのか、だれかと親しくなっている様子はない。


「俺、ラーメン好きなんだけど、二郎だけはちょっと」

「ラーメン好きなんですか?」

「ん? けっこう食べる方だと思うよ。佐野さんもラーメン好き?」

「好きというか、なんというかですね。えへへ」


 あいまいに答える後輩を見て、先輩に気を遣っているんだなって思った。


「女の子には二郎、重くない?」


 二郎がいやなら、陽キャたちに進言してこようと思った。そんなときだった。急に佐野の目の色が変わったのだ。


「二郎系ラーメンのどこが重いんです?」

「いやだって、脂ぎとぎとだし、スープは濃いし、麺は多いし。明らかにからだにわるそうだよな」

「ちなみに先輩って、二郎に行ったとき、どんな注文するんです?」

「そりゃ二郎って言ったら、ニンニクアブラカラメだろ」

「え……」


 目を見開く佐野氏。唖然と言った表情だ。

 どうしたのだろう。俺の二郎の注文に男気でも感じちゃったのだろうか。


「先輩って」

 震える佐野後輩。

「先輩って」

 ぷるぷる震える佐野後輩である。


 ぷるぷる震えたと思ったら、ぷすぷす笑ってこっちを見てきた。

「先輩って、ただのラーメンにわかなんですね。ぷすぷすー」

「なッ! なにがにわかだよ!」

「だって、重いって言っておいて、ニンニクアブラカラメなんて。それ通の注文の仕方とかググって調べたんですか? そんなの味が濃いし、重いに決まっているじゃないですか」

 そもそもですね先輩、と佐野は続ける。

「二郎はからだにわるいってイメージがありますけど、野菜もお肉も炭水化物も取れますし、にんにくっていう強力な抗酸化物質も同時に取れるので、実質健康食って言っても過言ではないんですよ」

「……健康食は言いすぎだろ」

「いいえ、将来的に錠剤となってサプリとして売り出されることが想像できますね。発売されたら馬鹿売れですよ!」

「それほんとに発売されたら仙豆せんずじゃん……」

「死にかけの悟空も二郎で全開ですよ」

「たしかに悟空なら二郎で全開しそうだな」


 オラに二郎を分けてくれ……、とか両手を上げて叫んでいる悟空は絶対いやだが。


「だからですね、先輩!」

 佐野がぐいっと俺に顔を近づける。

「二郎のおすすめの注文はニンニクヤサイニクマシ」

「えー。俺、ラーメン食うときに野菜をそこまで欲しくないというか」

「からだは大きいのにこどもですね~」

「こッ!」


 絶妙に煽ってくる佐野である。

 そして佐野はすっごい早口で続けた。


「いいですか。スープに浸した野菜をアブラとニンニクとからめて前菜として頬張るんです。シャキッシャキのキャベツともやしがスープのうま味を吸って、一品料理としても成立するレベルです。これを食わずしてなにが二郎か」

「そして野菜のあとはお肉! 二郎系はなんといっても分厚いチャーシューが醍醐味ですから! 前菜を食べたあとはメインのお肉にかぶりついちゃってください! さっきまでのシャキシャキ食感から、お肉をはぐってする食感に変わって、口の中に『肉ッ!』が広がります!」

「そして最後に麺です! 器の底から麺をすくい上げて、野菜の残りとお肉の残り、ニンニクと脂を麺に絡めて召し上がってください。すべてのおいしいところが渾然一体となって、こめかみあたりに電気がビリ、ビリってひとくち啜るたびに電気が流れますよ。もうそれくらい、二郎なしじゃ生きていけなくなること間違いなしです。なんですかね二郎って。依存性の高い成分でも入っているんですかね」

「つまり二郎は、前菜、肉料理、麺と、ひとつの器にコース料理が表現されている、パーフェクトラーメンなんですよ! わかりました!?」


 熱弁を振るった佐野は肩で息をしていた。

 そして、


「え。私、もしかして……語ってしまいました?」

 失態だと思っているのか顔を真っ赤にさせてしゅんとする佐野である。

「ラーメン、好きなの?」

「はい……365日食べたいくらい、好きです」

「その熱い想いを語っていたな」

「ふぐぅ~忘れてください~」

 懇願する佐野に俺は言ってやった。

「好きなもの好きだって、そんなに語れるって俺はすげえって思うよ。だから、恥ずかしがらなくていいんじゃねえの」


 佐野は「えっ」て顔をする。

 まるで、好きなものを好きと言っていいと、初めて言われたかのような顔をする佐野に、俺は「またラーメンの話、聞かせてくれよな」って、後先考えずに言っていた。



 🍜



「そうか……俺があのとき、あんなこと言ったから……」

 失態とまでは言い切れないが、俺の胃が毎晩暴動を起こすようになったことは事実だ。


 思い出していると、スマホが震えた。

 やっぱりきょうも掛けてきたな。

 俺は嘆息しながら、電話を取る。


「もしもし?」

『先輩ですか? きょうも電話しちゃいました♪』


 いつも電話に出ると、麦穂はうれしそうな声を出す。

 麦穂の声を聞くと、実家の犬とぼうっと夕暮れの河川敷をいっしょに散歩していたころの、あの落ちついた感じを受けるのはなぜだろう。夕日に照らされた川面を眺めながら、ゆっくりゆっくりと歩いていたことを思い出す。

 電話口から麦穂の声を聞くと、そんなことを考えてしまったのだ。


「きょうはどんなラーメン食べたんだ?」

『きょうはですね、安定の二郎系ラーメンに行ってきました!』

「ニンニクヤサイニクマシか?」


 私の好みも記憶済みですか~、と麦穂は茶化してくる。


 このラーメン大好き後輩からいろんなラーメンの話を聞いた。そのたび空腹とのバトルを強要されるのだが、どうしてだろう、どこかうれしく思う俺もいる。

 こんなに毎日電話をくれて、少しは俺のことを特別……に思ってくれているのだろうか。そんなことを考え、ふと気づく。そうか。俺は期待していたのか。麦穂の行動に、好意が含まれていることを。


 いつか、いっしょに食べにいきたい。

 それにしてもなぜに断られるのだろう。

 これだけ電話してきて、気があるのかないのか。

 女心はわからない。

 わからないぜ麦穂よ。

 そんなことを考えていると、麦穂がこんなことを口にした。


『先輩聞いてくださいよ! きょうゼミの2年グループで二郎に行ったんですけど、男子が全マシしておいて残すんですよ。そんなのマナー違反ですよね! もう食えない~とか言って。今度、先輩からも言ってやってくださいよ!』


 時が止まったかと思った。


『先輩?』

「あ、へ~、2年グループと行ったんだ」

『ゼミのあとの流れで、ですね』


 麦穂の声はいつものように弾んでいる。

 俺はこんなことを考えていた。


 ――俺とはラーメン屋に行くことをあんなに拒んでいたのに、他の男とは行けるのか。


 俺は、女々しいのだろうか。

 胸にぽっかりと穴が開いた気がした。

 適当に相づちして、電話を切った。

 


-to be continued-

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