狐は夜に
「……そこか」
その時、あの子の声がした。
……体を震わせながら、わたしは振り向く。
「あまつさえ、こちらの祠までも……!」
やばい。
あの子の気が立っているのが、手に取るようにわかる。
「待って。……話、しましょう?」
わたしは声を絞り出した。
このまま互いを知らずにいても、話は進まない。
強硬手段しかない、というときもあるが、それを取らないで済ませたい。
「……信じられない」
まただ。
なぜ信じられないのだろう。
その理由は、わたしたちは推測することすらできない。
彼女から聞き出すしかない。
「約束します。騙しうちとかしない。わたしたちはあなたを攻撃しない。無理やり封印するとかもしない。……それに、あなたのことを知らないと、対処のしようがありません」
……わたしは、残っていた札を、全部地面に置いた。
「ちょっと月菜!」
明日香が叫んでわたしの肩をつかむが、すでに札を持つのをやめたわたしは再び立ち上がる。
「明日香も一回落ち着いて。こうしないと、先には進まない」
「……」
明日香はわたしと、目の前の狐耳を見比べる。
「……今の月菜に、攻撃しないでね」
明日香が力を抜いたのがわかった。
「これで、わたしたちから攻撃することはないです。……大事な祠を壊してしまったことは謝ります。他にも何か迷惑をかけてることがあったら、それも謝ります。ですから……できれば、学校の生徒や先生を元の場所に戻してほしいです」
わたしは、力を振り絞って、真っ直ぐ目の前の少女を見つめる。
信じてもらいたくて。
なんとか、言葉が通じて欲しくて。
「お前……わたしを恐れないのか?」
……お面の向こう、半分だけ見える表情が、わずかに変わった気がする。
「前は……もっと後ろ向きだったぞ?」
前とは、金曜日のことなのか。
……後ろ向き、か。
確かに、今ほどの覚悟は無かったな、と思う。
準備をせずにこの空間に迷い込んでしまったから、というのもあるが。
よくわからないこの場所。
よくわからない相手の怪異。
やっぱり、怖さがあった。
「でも……」
だけど今は、そうでもない。
相手のことも調べた。
準備もした。
……それに何より、隣に明日香がいる。
心強い。
「大丈夫。わたしは、あなたにちゃんと向き合います」
彼女と、視線が合った。
お面の向こうから覗く片目。
……よく見ると、その目は、わたしたちとそう大差ない。
いや、考えてみたら、身長だってわたしと同じぐらい。
多分、あのお面と狐耳が無ければ、普通の、中学生の女の子……なのかもしれない。
そう考えると、体の震えが止まったような、気がした。
「だから……お願いします。教えてください。あなたがどういう怪異なのか……記録として残す必要もありますから」
……風が、止んだ。
……わたしたちを襲い続けていた、あの魔力の波も、無くなった。
お面越しの片目から出る視線が、柔らかくなったような気がして。
***
「わたしは……狐だ」
そう話し始めた声は、今までのような嫌な感じはない。
「木の校舎ができた頃は、まだこの村にも何人か狐がいての。人間の中に溶け込んで、それなりに上手くやっていたのだ」
「狐……?」
「化け狐……ってことね」
わたしが補足すると、明日香は驚いた声を上げる。
「え! そういうのって、本当にいるんだ! どうなってるの!」
人間じゃないあなたが言う言葉ではないでしょうに。
吸血鬼も花子さんもいるんだ、化け狐だって化け狸だっている。
普通の人が想像するより、この世の中は怪異であふれているのだ。
「お望みとあらば、元の姿に戻ってやろうか」
そう言うと狐の彼女は、指を軽く鳴らす。
……手品のように突然、目の前に狐が現れた。
動物園か、あるいはパソコンやスマホの画面越しでしか見られないような、わたしたちの想像する狐という動物がそこにいた。
「可愛い……」
明日香の声が漏れる。
確かに、わたしたちが少し見下ろすような格好になり、こちらに向けて若干の上目遣いをする狐の彼女は、SNSに写真を上げればたくさん反応がもらえそうな、愛くるしい表情をしている。
……でも。
そこから放出される、魔力を含んだ気は、彼女がただの狐じゃないという何よりの証拠だ。
「なんでわざわざ人間に化けるの?」
教室で友達と話すかのように喋りかける明日香は、そんなことなど気にしてないのだろうか。
これも明日香のコミュ力の為せる技か。
「それはもちろん、その方が楽しいし便利だからな。食べ物も美味い、ともに花札やすごろくをやるのも面白い。勉強の時間に潜り込むのも好きだったな。先生がよく褒めてくれるんじゃ」
「えー、先生に褒められるのいいな……」
「明日香、授業で褒められたことなんてないものね」
わたしが言うと、明日香が口をとがらせる。
もう、わたしの家で話してるときと変わらない。
「で、他には……?」
「……」
わたしが聞くと一瞬の沈黙。
でも、彼女はわりと素直に、わたしが予想した通りのことを話してくれた。
「後は時々、人を化かすこともあったぞ。まごついた顔を見るのが面白くての……」
「やっぱり……」
「待て。そんなにひどいことはしていないぞ。友人に化けてささいな冗談を言ってみたりとかじゃ。警官に化けて泥棒を追い払ったりもしたぞ」
……と彼女は言っているが、やっぱり油断ならない。ささいな、っていうけれど一体どれほどのものなのか。
「それなのに……人間は、一方的な都合でわたしらを追いやった……」
彼女のテンションが落ち、また母さんが言ってたことを思い出す。
『昔は、怪異と人間との距離は今よりもずっと近かった。江戸時代なんか、当たり前のように人と怪異がともに生活していた記録も残っている』
でも、明治時代以降、人間が急速に技術を進歩させていく過程で、不可思議な存在である怪異は徐々にのけものにされるようになっていった。
様々な場所で怪異の強引な排除が進み、逆に怪異の攻撃を受けて死んでしまう人も少なくなかったという。
この街でもかつて、そのようなことが起きていたのだ。
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