消したい記憶


「おっ、いたか! もしかして、沢守が見つけてくれたのか?」


 体育の先生が階段を降りてきたわたしたちを発見して、ようやくその日は帰ることができた。


 校舎から外に出ると、木造の旧校舎が夕日に照らされている。

 明日香が破壊した二階の屋根越しに太陽光が通り抜けていく。


 

 ……ああ、そうか。鏡の中で見た光景は、これだ。


 あそこに建っていたのは、旧校舎。

 それも、今みたいにボロボロになったのではなく、きっとまだ出来て間もない頃の、真新しいもの。


 じゃあ、鏡の中のあそこは……昔の学校?


 そう考えると確かに、周りの人の服装も、光景も、とても今のものでは無かった。


 あの狐耳の少女。

 彼女の力が、今のこの学校と、かつての学校を、つなげてしまったのだろうか……



 ***



「……明日香」

「ねえ! 昨日どうだったの?」


 翌日、土曜日。

 朝早く沢守家の玄関に現れた明日香を見たら、昨日感じた恐怖が全部吹っ飛んだ。


「……それが、ね……」


 ……あんなことになるとは。

 昨日は、正直ほとんど眠れなかった。


 軽く調べるだけ。それだけのつもりだったのに。

 もしかしたら、あの鏡の中に囚われたまま、ずっと出られなかったかもしれない。


 あの状況で自力でなんとかできるほどの力は……今のわたしにはない。


 やっぱり昨日、明日香と一緒に……


「何かあったんだね?」

「……うん」


 寝起きのわたしとは違って、既に底なしの明るさを見せている明日香を連れて、わたしは廊下を歩いていく。



「えーなにそれ! あたしもやっぱり行けば良かった!」

「……本当にそうかも」


 自室に入ったわたしが昨日の話をすると、案の定明日香は目を輝かせる。


「……月菜、どうしたの? 今日なんか静かじゃない?」

「……別に、いつも通りよ」


 本棚から期末テスト範囲の教科書とノートを持ってくる。

 今日は明日香とテスト勉強をするのだ。といっても、基本的にわたしが教えてばかりになりそうだけど。


「さあ、理科から始めるわよ」

「えーいきなり一番難しいところから行く? 普通」


 明日香の文句に言い返す気はない。

 これで喋ってると、いつまで経っても勉強には入れない。


 昨日の記憶を頭から消そうとしながら、わたしは教科書を開いた。



「明日香ちゃん、こんにちは」


 昼頃になると、母さんがそうめんを二人分運んできた。

「あっ、お邪魔してまーす」


 速攻で筆記用具を片付け、ちゃぶ台の上を空ける明日香。

 ……まあ、お腹も空いてきた頃合いだし、そろそろ休憩にするか。


「ふふっ、相変わらず元気いいわね。月菜が迷惑かけてない?」

 めんつゆを置きながら、母さんが明日香に微笑む。


 ……わたしには、いつも厳しい顔ばかりしてるくせに。


「全然大丈夫ですよ! むしろ月菜は、とっても美味しくて……」

「美味しいって?」


「あっ、ほら、月菜勉強できるから、一緒にいると、その、おこぼれをもらえるというか……」

 意味不明な言葉が明日香の口から飛び出す。


 全く、ごまかしの文句ぐらい考えときなさいよ……そう思って、なんて言ってごまかそうかなと考えていたら。


「明日香は……頼りになる」

 無意識に、そんな言葉が出た。


「!? ほんと? ねえ、今のもう一回言って?」

 明日香がぐいぐいと距離を詰めて迫ってくる。


 ……はいはい、そういうのは後でいくらでも言うから。


「月菜って、あまり他人を褒めないのよ。明日香ちゃん、やっぱり気に入られたのね」


 嘘だ。

 

 明日香を本当に気に入ってるのは母さんのくせに。

 そうじゃなきゃ、わたしに『同じ人とばかり関わるな』と言ってる人が、わたしが連れてくる明日香を楽しそうに出迎えて、お昼ご飯まで出すはずがない。


「へへ、そうですかねー? あたしと月菜は、持ちつ持たれつでやってくことに決めたんで!」


 いや間違ってはないけど、そんな軽いノリではない。


「そうなの? 明日香ちゃん、これからも月菜をよろしくね」

「あれ、母さんはお昼は?」

「母さんは仕事があるから。食べ終わったら部屋の前に食器出しといて」


 そう言って母さんは部屋を出る。


 ……その直前、明日香に一瞬だけ鋭い眼光を向けたように、わたしには見えた。


 

「……ねえ、月菜……今、大丈夫?」

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