もしもわたしだけじゃなかったら
左を向くと、さっきまでなかった光景。
……!
「その子は、もう楽しませてもらったから返してあげる」
わたしは駆け寄る。
そこには、ジャージ姿の生徒が一人。
ほんの数秒前まで何もなかった空間に、こつ然と現れた。
しかも、倒れた状態で。
……彼女の力によるものであろうことは、まず間違いない。
「大丈夫!?」
わたしはその生徒の身体を揺する。
二年生の、女子生徒。
「うーん……む……」
かすかな声が聞こえてくる。
……幸い、気を失ってるか、寝てしまっているかのどちらかのようだ。
呼吸音もわずかにする。命に別状は、無い。
「あなた、この人に何を……?」
「寂しかったから、少し遊び相手になってもらってただけ……」
彼女の狐耳が、ぴょこぴょこ動くのがわかる。
半分だけ隠れた顔。あらわになっている方の右目は、わたしに真っ直ぐ向けられている。
……いつだって攻撃できるのよ、そう言いたげな鋭い視線。
「答えて。学校の生徒を、時々ここへ連れ込んでいる、そうじゃないの……?」
わたしは、新たな札を持って防御姿勢を取りながら尋ねる。
わたしと彼女の間には10mぐらいの距離。
でも、わたしが近づけばすぐ、彼女から魔力の波が飛んでくる。
今でさえ、気を抜くとやられそうなのだ。
近づいて、まともに守れない状態で攻撃を受けたら……
「その前に、わたしの気分をよくさせてよ……!」
まただ。
わたしは札を持つ手に力を入れる。
彼女から広がる魔力の波に耐えきれず、たちまちのうちに札はボロボロに。
……このまま消耗戦になったら、勝てない。
「明日香……」
ふと、思った。
ここに明日香がいたら、これぐらいの距離なんか一瞬で詰めて、あの狐耳の少女に飛びかかっているんじゃないだろうか。
わたしよりも何倍も、何十倍も素早い明日香なら。
わたしじゃできない解決策を見出していたかも……
「……本当に、祠のことは知らないのか」
また彼女が言葉を放つ。
同時に、魔力も飛んでくる。
「……知らない……」
「……そうか」
……彼女がつぶやくと、攻撃が止まった。
わたしは、息も絶え絶えになり膝をつく。
「……なら、尋ねる者を変えることにしよう……」
指パッチンの音が聞こえるのと同時に、目の前が再び真っ白になった。
***
……生暖かい風。
膝の感触は、固いコンクリート。
……見上げた空は、太陽が傾きかけているものの、まだ青い。
わたしは膝をついた状態から立ち上がって辺りを見回す。
……ああ、ここは、校舎の屋上だ。
わたしたちの中学校の校舎は4階建て。
その屋根の上にある、ただ何もないだだっ広い空間。
緑のフェンスの向こうに、学校の周りに広がる住宅街が見えていることが、ここが周りより高い位置であることを示している。
「あれ……わたし、なんでここに……?」
後ろから聞こえる小さな声。
……さっき一緒にいた、二年生の女子生徒がそこに座り込んでいた。
「あ、大丈夫ですか?」
「大丈夫……だけど……えっと……」
消失している間の記憶は無い……という噂の内容を思い出す。
おそらくこの人も……
「とりあえず、ここから出ましょう」
わたしは校舎内につながるドアを指差す。
屋上への唯一の入り口となるドアは普段鍵がかけられており、生徒が自由に開けることはできない。
ただ、あのドアは、屋上側からは自由に出入りできるはずだ。
「……一年生?」
「はい。沢守といいます」
わたしが歩き始めると、二年生の生徒もついてきた。
「……あ、ここまでのこと、どれぐらい覚えてます?」
わたしはドアを開けながら話しかける。
これは、貴重な話が聞ける機会だ。
直接の噂の経験者である。何か重要な情報が手に入るかも知れない。
「それが……6時間目体育だったのだけど……途中で水飲みに、入り口の水飲み場に行ったら……あれ? それで……」
屋上から階段を降りながら、その生徒は首をかしげ、何かを思い出そうとする。
「……思い出せないんですか?」
「……うん。なんで……」
わたしの目の前に、この生徒は意識の無い状態で現れた。
そのあいだの記憶は、何も残っていないということなのだろう。
おそらく、あの狐耳の少女の能力によるものなのだ。
……もしかしたら、わたしも……あそこでやられていたら……
……そう考えると、あの恐怖が再び背中を襲った。
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