鏡のその先


「そうそう、あたしもちょっと他の子や先輩に聞いてみたんだ。何か追加情報無いかって」

 気を取り直すかのように明日香が話し始める。


 明日香が今朝から、クラス内でその話題を出すのは聞こえていた。

 わたしでは話に行けないようなクラスの中心にいる子から、(わたしもそうだけど)人の輪には加わらない目立たない子まで、男女や先輩後輩の区別なく接しても違和感がないのが明日香の強みだ。

 

 情報源として、これ以上格好の存在はない。


「どうだったの?」

「なんか、又聞きの話ばかりだった。先輩の先輩のときに、人がいなくなるってことは何回かあったみたい。えっと……3,4年前?」


「じゃあ、実際に見聞きした人はいないのね」

「うん。あ、でも、10人ぐらいから話聞いてみんな同じようなこと言ってたから、嘘とかじゃないと思うよ」


 昨日の放課後から今までで既にそれだけの人数から話を聞き出した明日香の能力にまず驚きだが、それによって噂の信頼性はだいぶ高まった。

 ただ、又聞きだとその間に話が変わっていくことはよくある。


「どうするの? 月菜が良かったら、先輩を紹介しようか?」

「いや、それよりも、現場を見て調べたいところね。……今日の放課後、少し見ていこうかしら」


「じゃあ、あたしも行く」

「明日香は試験勉強しなさい」


 明日香のお願いを予想していたので、バッサリ切り捨てる。

 わたしは毎日決めた分の勉強していれば今の成績をキープできるから大丈夫だろうけど、基本的に下から数えたほうがかなり早い明日香の成績ではそうはいかない。


「えー……」

「赤点取りたくないでしょ? 大丈夫よ、そんなすぐ何か起きるわけじゃないし。わたし一人でも、少し見るぐらいなら問題ない」


「……本当?」

 もしこの噂に実際に怪異が関わっていたとしても、そんな危険なものではないだろう。

 いなくなった子が、何らかの傷を負って戻ってきた、巻き込まれた誰かが怪我をしたという記録は無かったし、明日香の集めてきた情報でもそのようなのは無かった。


 何かあったら、そのときに対応を考えよう。


「平気よ。わたしだって、いつも明日香がいないと不安ってわけじゃないんだからね。今日は帰りなさい」

「んー……」

「明日、わたしの家で勉強教えてあげるから」


「はーい……」

 明日は土曜日。

 

 ……せっかくだから、勉強教えるついでに少し怪異の資料も見せてあげようかな。



 ***



「それじゃあこの週末は、ちゃんと試験勉強するんだぞ」

 先生の言葉で、帰りのホームルームは解散になる。

 

 まだ残りたそうな明日香をしっかり昇降口で見送った後、わたしは帰る生徒たちの波に逆らって体育館へ向かう。


 

 ……あれ?


「何かあったんですか?」


 誰もいないと思っていた体育館の前で、何かを探し回っているのは、体育の先生。

 後片付けをしているとか、そういう雰囲気ではない。


「沢守か、どうしたんだ?」


「あ……更衣室に忘れ物をしちゃって……」

「……? まあいいか、すぐに取って帰れよ」


 わたしはとっさに適当な事を言う。

 今日は体育の授業は無かったのだけど、とりあえずごまかせたようだ。


「先生こそ、どうしたんです?」

 というかよく見ると、わたし以外に数人、二年生の生徒が帰る素振りもなくそのへんにいる。

 まさかみんながみんな忘れ物を……そんなわけはなくて。


「ああ……さっきまで体育の授業だったんだが、生徒が一人いなくなってな」



 ……!


「いなくなったって、どういうことです?」

「どういうこともなにも……授業の最後に点呼取ったら一人いなかったんだよ。先生もよくわからなくてな……」


「今もいないんですか?」


 思わずはやる気持ちを抑えて聞く。

 わたしと明日香が噂を知った、このタイミングで。


「帰りのホームルームでもいなかったから、今学校中を探しているところだ」


 さっきの授業の途中でいなくなったとすると、せいぜい30分前。

 ……もし噂通りなら、あと数時間は……


「誰か、その人が消えるところを見てなかったんです?」

「うーん、本当に誰も気づかなかったんだよな……」


 気づいたら、生徒が消えている。

 部活中と授業中の違いはあるが、わたしが調べている噂と同じだ。


 

「……って、沢守は気にしなくて良いんだ。忘れ物を取ったら、帰った帰った」


 何よ、そんなに避けるような態度を取らなくていいじゃないの。


 わたしは体育館手前の更衣室に入って、忘れ物を取るふり。

 すぐ出てきたら、先生や他の生徒に怪しまれないようにして、問題の鏡の前へ向かう。



 横に開く、体育館入り口の扉。


 その向かって右隣のところに、金属製の蛇口が四つ、わたしが身体を前に傾けてちょうど飲みやすい位置についている。

 蛇口そのものは、ごく普通のやつ。水の出口を上に向ければ飲めて、下に向ければ手を洗えるようになる。

 わたしも体育の授業終わりによくお世話になっているものだ。


 問題は、その蛇口の上についている鏡。

 ……各蛇口の上に一つずつ、計四枚。


「ほんと、汚いわね……」

 どれも洗剤が流れた跡のような白い何かがこびりついていたり、隅の方は茶色くなっていたり。

 この校舎が出来たときからあるとしたら40年あまり、これぐらいボロくなっているのは仕方ないだろうか。


 ……その中でも、例の向かって一番右の鏡が、一番ボロボロだ。

 全体的に汚れて白く濁っているし、上の端から真ん中へ向かってひびも入っている。

 顔を向けても、わたしの顔はきれいに映らない。


 雰囲気はあるが、これだけ汚いと鏡としての役割を果たしていないような、そんな気さえする。


 

「じゃあ、失礼して……」

 わたしは周りに見られないように、スマホで鏡を撮影。

 その後、小さな札を取り出し、右手で軽く握って魔力を込める。



「……これは……」


 ……魔力の波が感じられる。

 周りにあるのは、体育館の扉、掃除用具入れ、窓。

 あるいは、先生や普通の生徒。


 魔力的におかしなものは、なにもない。


 なのに、わたしに流れ込んでいる魔力の波に、ムラがある。



 ……そのムラが最も大きいのは、やっぱり目の前の鏡だ。


 鏡の中に、何かがある。間違いない。


 でも、鏡に映っているのは、変わらずわたしの顔だけ……



「……だけ?」

 思わず言葉が口をついて出る。


 背景の白い壁は?


 時折後ろに映り込む先生や他の生徒は?



 ……うん、おかしい。

 鏡に映る闇、その中にわたしの顔だけが浮かび上がる。


 この鏡は、鏡じゃない。


 明日香には半分冗談で言ったけど、きっと本当にここは、違う世界へつながる……



 そのとき。

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