新しい噂


「どこ行くの? 明日香」

「ちょっとその……人のいないところに……」


 そう言って、カバンを持った明日香はわたしを商店街から少し入った路地の中に連れ込む。


 試験一週間前となって、他の部活も無いようだ。

 下校時間になると、ほぼすべての生徒が学校を出ていく。


 その中で、明日香は相変わらずのテンションの高さで、わたしを右手一本で引っ張る。


「……どうしたの?」

「うん。……やっぱり、我慢できなくてさ……」


 そう言う明日香の白いシャツは汗でうっすら透けて、目を凝らせば下着の形も見えるような状態になっている。

 でもそんなこと彼女にはお構いなしだ。

 良くも悪くも、開放的な少女なのである。

 

 ――昨日まではそう思っていたのに。


 秘密を抱えて生きるわたしとは正反対だ、と思っていたのに。

 


「……血、良い?」


 ……明日香の瞳は、昨夜のあの時と同じように、紅く染まっている。


「あのね……吸っていいとは言ったけど、こう……もうちょっと遠慮とか、ないの」

「だって……本当に月菜、美味しかったんだもん……」


 いつの間にか、わたしの背中は建物の壁に押し付けられている。

 その正面で、興奮するかのような顔を近づける明日香。


 本当に、良い顔してるんだから……


「昨日の今日で、もう我慢できないの?」

「昨日はほら、時間無くてちょっとしか吸えなかったし……」


 明日香の両手が、わたしの両肩を掴む。

 振りほどけない。

 

 こうなると、わたしから拒否することはもう無理だ。


「……わかったわよ。でも、あまりたくさん吸っちゃうと、わたしの身体が持たないかもよ?」

「そうなの? じゃあ、程々にする」


 それだけ言って、明日香はわたしの肩越しに首を伸ばす。


 そして、注射されたときのような、あの痛みがまた首筋に。



 ……やっぱり、血と一緒に、魔力のような。何かいろんなものが、吸われていくような気がする。


 別に心地良いわけではない。

 そもそも血を吸われること自体、良いことではないはずだ。


 でも、隣でゴクゴクとやる、明日香があまりにも気持ちよさそうにしてるから。

 なぜか、許せてしまう。



「ぷはーっ、やっぱ美味しい!」


 わたしの首筋から離れると、ビールのCMみたいな声を出しながら笑顔になる明日香。


「ありがと、月菜! 多分これからもちょいちょい吸わせてもらうけど、良い?」

「はいはい。元々そういう約束だし」


 明日香を軽くあしらって、ふと思う。

 なんかこれだと、普段はわたしが一方的に明日香のなすがままにされてる感じだ。


「でも、タダで、ってのはわたしも嫌よ」

「へ?」


「だって、こんなにすぐ明日香がねだってくるなんて思わなかったもの。そうね……頻繁に明日香がわたしの血を吸いに来るのなら……」


 わたしの放課後は、基本的に魔力の特訓や、沢守家の行事によって消える。

 一方、明日香の放課後は、本当に普通の女子中学生そのものだ。


 なら、それを生かさない手はない。


「わたしに情報を提供しなさい。怪異が絡んでいそうな怪しい噂とか。無ければ、今の流行りとか、最近あった事件とか、何でも良い」


 明日香の顔の広さと、そのコミュ力の強さは、使える。


「そういうのなら、いくらでも話すよ?」

「定期的にってのが大事なの。もちろん、あればあるほど嬉しいけど……」


「ふふーん、そうかそうか。……でもそうなら、月菜ももう少し人と話せば良いのに」

 

 明日香の言い分はわかる。

 でもわたしは、明日香みたいに気軽な会話はできない。


「向き不向きがあるのよ、こういうのは」

「そんなこと無いって。月菜、せっかく顔も良いのにもったいないよ。もっと笑って」


 普段笑わない人間がいきなり笑ってもな、という気はするのだが。

 笑顔が似合う人、似合わない人はいる。


 ……明日香は、本当によく似合う。


「わたしには難しいわよ。そこらへんも含めて、明日香にお願いするの」

「ふーん……」


 なんだろう、こういうところで明日香には及ばないのはわかってるけど、こうして上から目線をされるとやっぱり嫌だ。


「まあ、月菜がそう言うかもな、って思って、あたしも情報を集めてきたんだよ」

「そうなの?」


「うん。だって、面白そうじゃん」


 だから、怪異を面白そうとか言わないでほしいんだけどな……



 ***



「気になったのは、水道の噂かな」


 商店街に出て、歩きながら明日香が話し出す。

 日なたに出ると照りつける日光が暑く、ほんの少し歩くだけでたくさんの汗だ。


「水道?」

「うん。体育館の入り口前に水道の蛇口があるでしょ?」


 学校の体育館は、校舎と一体になっている。

 一階の端にある体育館の入り口のところには、確かに蛇口と鏡が四つ並んでいて、水を飲んだり手を洗えるようになっている。


「あそこにある、向かって一番右の鏡。あれ、こことは違う世界と繋がっている……らしいよ」


 違う世界……?


「文芸部の先輩が言ってたんだけど、たまに学校でどこを探しても見つからない、って子がいるんだって。そういう子はだいたい、そこの鏡から違う世界へ行っている。数時間で戻ってくるんだけど、その間の記憶は全く無い」


「それって、実際に被害にあった人がいるの?」

「放課後の部活中に、いたらしいよ」


 ふむ……いかにも怖い話、といった内容である。


「ねえ、どう思う?」

 明日香の話しぶりは、まるで先生の愚痴をこぼすかのように平然としている。

 気を緩めないようにしないと、こっちが明日香のペースに飲まれそうだ。


「……確かに、鏡がここではないものの入り口である、ってのはよくある話ね。違う世界について、もう少し情報が無いとなんともだけど……」


 古来から、鏡は神聖なもの、特別なものとされてきた。

 鏡の向こうに、こちらにあるものと同じものが映っているさまは、昔の人にとっては不思議でたまらなかったはずだ。


「じゃあ、あたし調べてみるよ」

「聞ける人とかいるの?」

「うん。先輩とかにもう少し当たってみる」


 任せてと言わんばかりの明日香。

 わたしだって調べるのに、わたしのことをなんだと思ってるんだ……


「ありがと。わたしの方も、昔の資料を当たってみる」

「そういうのは、月菜の家に行かないとわからないもんね」

「まあね。……そうそう明日香、あなた試験勉強もちゃんとしなさいよ。中間で赤点取った時、補習きつかったんでしょ?」


「……また月菜の家で勉強教えてもらって、いい?」

 やはりこうなるか。


 ……まあわたしとしても、他人に勉強を教えるのは、悪くない。

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