明日香について……①


 ――その瞬間、目にも止まらぬスピードで右から突っ込んできた何かが、空中で花子さんを吹っ飛ばして通り過ぎていった。


 

 ドーン!


 左を向くと、突き当りの窓の下に花子さんが叩きつけられている。

 壁は衝撃で一面にひびが入っており、窓枠とガラスが完全に無くなってしまった。


「月菜、大丈夫?」

 花子さんとわたしの間に立ち、いつになく真剣な表情でわたしをチラ見しているのは……



「明日香……?」


 明日香だけど、何か、違う。

 その瞳は真っ赤に染まり輝き、月明かりに照らされた茶髪も、紅色混じりに光っている。

 そして見た目だけでなく、なにかこう、立ち昇るオーラが……


 ……怪異の放つそれに、近い。



 そうだ。こんなの人間わざじゃない。

 わたしのいる女子トイレの前から、明日香がいた階段のところまで、教室3つ分の距離がある。

 そして、ギリギリまで、明日香は階段のところからわたしの様子を見ていた。


 ……どんなに明日香の足が速くても、一瞬で詰められる、ましてや蹴りなんて入れられる距離じゃない。

 それにここから突き当りの窓までだって、手を伸ばせば届くぐらいの近さというわけではない。

 中学生がキックで、人の身体を吹っ飛ばせるような距離では無い。


 明日香、あなたは、何者なの……?

 

 

「……あっ、ごめん、やっぱ全力は厳しいや」

 明日香の言葉で、思考が中断する。

 目の前の明日香が、足をふらつかせた。


「明日香……?」


「……月菜、ほんのちょっとだけ我慢して」


 そう言うと、明日香はわたしへ向かって倒れ込む。



 ……え?

 明日香がわたしの右肩のところに顔をつける。

 同時に首筋に走る、注射を打たれたような痛み。


 な、なに、これ?

 考えるのが追いつかない。というか、止まる。



 身体の中から、何かが吸い取られていくような。

 そして同時に、わたしの顔のすぐ隣で、何かを飲み込むような、そんな音が、明日香の後頭部から……



 ……いや、本当にそうなのだ。きっと。

 

 


 ……わたしは今、明日香に血を吸われている。


 

 ゴクリ



「新鮮で美味しいー!」

 そうじゃなきゃ、この場の雰囲気には絶対に合ってない、明るい声が聞こえてくるわけはない。

 どんなに普段の明日香がハイテンションであっても。


「えっ、しかも何これ、なんかすごい力が湧いてくるんだけど? やっぱり月菜のその蒼い髪とかと関係あるの? ほんと、今なら何でもできる気がするよ?」


 再び立ち上がった明日香は、両腕をぐるぐる回す。


 彼女から感じる気は、紅色。

 花子さんから、いわゆる怪異から立ち昇るものが真っ黒なら、明日香からは、その瞳や髪色と同じように真っ赤なものが、湧き上がっている。

 

 これではまるで、人間では……ない……

 というか……もう……


「明日香……あなた……何……?」


「えっとね……話すと長くなるんだけど……」


 

 

「……許さ……ない……!」

 

 その時、明日香の声を遮って、廊下の奥から響き渡る花子さんの声。


「二人して……何を……」

「だってそうしないと、花子さん、月菜を殺そうとしてたでしょ!」


 立ち上がった花子さんに対し、明日香の言葉が荒くなる。

 その強い口調に、すぐそばで聞いてるわたしも思わずたじろいでしまう。


「だって、彼女が封印のフリして、変なことを……」

 

「だからといって……」


 明日香は花子さんの言葉を遮り、わたしが座り込む上の壁に右手をめり込ませる。

 ……振動音とともに、壁に穴が開き、木のかけらがパラパラとこぼれ落ちる。


「月菜になんかしたら、怪異だろうがなんだろうが、あたしは許さないよ……!」


 明日香から湧き出る紅い気が、だんだん大きくなっていく。


「……部外者は黙ってて!」


 花子さんが叫ぶ。

 と同時に、床板の一枚がめくれて飛んできた。


 1メートルぐらいの木の板。薄いけど、あの速さでぶつかったらひとたまりもない……



 

 パシッ


 


 ……まるでキャッチボールをするぐらいの軽い手の動き。

 明日香の右手に、床板が収まる。


「こんなんじゃ、あたしは倒せないよ?」


 明日香はそのまま、大きく振りかぶる。

 そして、両手でも持つのは大変そうな床板を、とんでもない速さで花子さんに向かって投げた。


「あすかストライーク!」


 ドカーン!

 

 

 

 ……今度は、奥の壁が半分ぐらい、崩れ去っていた。


 


「……ええ……」


 驚きで、声が言葉にならない。


 わたしが今見ている光景は、何だ?

 

 人でないもの、怪異の超常的な力というなら、経験はある。


 でも、今そんなことをやっているのは、小学校の時からずっと一緒だった明日香だ。

 まるで、アメリカのヒーロー映画か、はたまた変身魔法少女モノのアニメか。

 そうじゃなきゃありえないような状況が、今起きている。


 ――確かに、沢守家が代々持つ魔力だって、現実離れしているといえばそうかもしれない。

 ファンタジーの世界のもの、と言われても仕方ない。

 

 でも、魔力は力を強くするものじゃない。

 こんな、普通の人がするような動作で、相手を吹っ飛ばしたり、壁を破壊するようなことなんて、魔力じゃあできない。


 ある意味、魔力なんかよりもよっぽど無茶苦茶なことが、今わたしの目の前で起きている。


 ……どうすれば……いいの……?



「月菜、チャンスだよ! このまま倒しちゃおう!」


 明日香が振り向いて発した声で、はっとする。


 ……花子さんは、奥の壁の残ったところに背中がめり込んでしまっている。

 そのまま頭は下を向き、ピクリとも動く様子はない。

 ……湧き出る黒い気が弱まっていることからも、花子さんがかなりのダメージを受けていることが分かる。


 ……そうだ。

 わたしがここに来たのは、花子さんの封印を更新するため。


 ……あれだけダメージを受けていて、動けそうもない花子さんなら、わたしの魔力が多少弱っていても……


 

「……倒しちゃだめよ、明日香。花子さんは封印するの」


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