月菜について……①


「…………え?」


 間一髪、助かった。

 わたしの左手の先の札から出た魔力で編まれた小さな魔法陣が、窓枠の勢いを殺して真下に落とす。

 

「月菜……?」

 明日香が、テストで赤点を取った時のような表情でわたしを見る。

 まあ、信じられないだろう。


 

「あなた……また来たの?」

 ゆっくりとした声。同時に、奥から三番目の扉が開く。

 

 そして、わたしたちと同じぐらいの背丈の、女の子が出てきた。

 長い黒髪。古そうなセーラー服。とてもかわいらしい顔。

 

 ……でも、その子からは、真っ黒な気が出ていた。

 

「あなたが花子さんね? はじめまして」

 

「……誰? 前に来た子と似てるけど……違う」 

「それはわたしの母さんね。……!」

 

 またどこからか木材の破片が飛んでくる。

 わたしは札を出して、明日香の身体を守る。

 

「ねえ……月菜? どうなってるの? それに髪……」

 きっと今、わたしのセミロングの黒髪は青みを帯びてきているのだろう。

 魔力が溜まっていることの証拠だ。

 

「えっと……後で説明するから、明日香は逃げたほうが良いよ。とりあえず旧校舎からは出たほうが良い」

「う、うん……」

 さしもの明日香も、ゆっくりと後ずさり。

 それを確かめて、わたしは花子さんに向き直る。


「わたしは沢守 月菜。沢守家の次代当主として、母の姫夜から、あなたの管理と封印を任されました」

「そう」

 

「あなたに危害を加えるつもりはありません。封印を解いてしまったことはお詫びするわ」

 わたしは明日香が破いた紙を拾い上げる。


 母さんが残したものだろう。

 最後に封印を更新しに来たのは10年前だというから、もう効力も切れかけだ。

 

「今から大急ぎで封印の更新を済ませるから、ちょっとだけ耐えててくれる?」

「……」

 

 わたしはあらかじめ家で下書きをしてきた魔法陣を見せる。

 儀式を済ませてきた魔法紙に書かれたその模様は、この女子トイレやその周りに貼られていたものと同じだ。

 

「……」

 無言をOKと受け取り、わたしは作業に入る。



 ***


 

 ――江戸時代、沢守家がこの地域の管理を任されていたのは、単にお金や影響力があったからだけではない。

 

 沢守家の人間だけが代々持っている魔力。

 怪異や、今で言う超常現象に、唯一対処できる存在、それが沢守家の歴代の人々。

 だから必然的にそういうことを頼まれてきたし、その伝統は今でも続いている。

 

 花子さんは単なる噂ではない。

 れっきとした、本当にいる怪異。

 そして、ほっとくと何をやるかわからない花子さんを封印するのは、代々の沢守家の人間の役目。

 封印は時間が経つと弱まるから、こうして数年おきに更新しないといけないのだ。

 


「……早く」

 女の子にしては低くこもった声。


 花子さんのその声からは、少し苦しそうな雰囲気が漂う。

 それが木造の旧校舎に響くことで、何重にも恐ろしさが高まっていく。


 いや、実際に花子さんは苦しいのだ。

 現に、今まで起こった事象は全て、苦しさに耐えきれず花子さんが暴れてしまったことが原因である。

 

「もう少しだから。今13枚め」

 わたしは母さんが残した魔法陣を、慎重に廊下の床からはがす。

 一気に取ると魔力に波ができ、花子さんに痛みを与えてしまうから。

 

 そして、はがしたものと同じ内容が書かれた魔法紙を手元から出す。

 17枚ある魔法紙にはすべて少しずつ違う魔法陣が書かれており、設置する場所が決まっている。

 場所を間違えるとやはり魔力に波やムラができ、封印の力が弱まってしまうのだ。

 

「早く、して」

 花子さんの声を聞きながら、場所が合っているかを確認してスティックのりで魔法紙を貼り付ける。

 しっかりと貼り付けたら、小さな札をそっと当てる。

 

 左手を通して、かすかな魔力が魔法陣から伝わってくる感覚。

 ……よし、大丈夫だ。

 

 

「……月菜……大丈夫……?」

 

 かすかな声が聞こえてくる。

 花子さんのものではない。

 

「……明日香? 駄目だってそこにいちゃ。何があるかわからないんだから」

 振り向くと、階段の影から明日香の頭が覗いていた。

 相変わらず、月明かりに照らされて彼女の顔が輝く。

 

「でも……月菜、心配」

 嘘だ。

 ……あっいや、心配の気持ちが全く無いわけではないとは思うが……


 ……明日香の表情は、目の前にごちそうをぶら下げられたかのごとく、キラキラと輝いている。

 いや、好奇心の強い彼女にとっては、この状況は本当にごちそうかもしれない。

 

「……わたしは大丈夫だから」

 

「本当?」

「……明日香の方が心配よ。さっき見たでしょ? 本当に怪我するわよ?」

「平気」

 ……強がってるな……とはいえ、明日香の興味を他に反らせそうにはない。

 

「……わかったわよ。その代わり、わたしが良いと言うまで絶対にそこから動かないこと」

「……はい!」

 声は少し静かになったが、これは絶対に喜んでるな……

 

 ……やっぱり、明日香を無理にでも止めるべきだっただろうか。


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