封印されし花子さん


 明日香が指差す先は、変わらない旧校舎の裏側。

 

 さっき正面玄関の前で見かけたフェンスも、ここまでは置かれてないらしい。そして明日香の言う通り、教室らしき部屋の窓の一枚にひびが入っており、左下の方が小さく割れている。


「もう……空き巣じゃないんだから」

「別に誰かの家じゃないんだし。あ、でも花子さんはここに住んでるのか」

 そう言いながら、明日香は割れたところに右手を突っ込んで鍵のある窓枠の下をガチャガチャやっている。

 

 カチャン

 

「ほら、開いた」

 明日香が窓を開けると、むわっとした暖かい空気に、古い木の匂いが鼻をつく。

 今は七月の初め。たまっている良くないものが、一斉にこちらへ飛び出してきたような、生ぬるい風だ。


「うわ、中あっつ……あ、でもなんかちょっといい匂いかも」

 明日香はもう窓を乗り越えて中へ入っている。

 わたしも後へ続いて、木の床を踏みしめる。



 旧校舎の中は、どこもかしこも歩くたびにキュッキュッと音がする。

 

 わたしの家の縁側も歩くと木の音がするが、それよりもずっと重みを感じる音だ。

 気を抜くと床が抜けそうな……周囲に細心の注意を払いながら歩いていく。


「花子さん? いますか?」

 一方、明日香は声をかけながら歩いていく。

 

「呼んでもそんな簡単に出てくるわけないでしょう」

「そうかなーできれば、話し合いしたいんだけどなー」

 と言いながら、なぜかファイティングポーズを取る明日香。

 

「……明日香本当に花子さんの噂知らないの? そんな親切な人じゃないわよきっと」

「じゃあなんで月菜は来たの? 花子さんと話とかしたくないの?」

 

「――だって、明日香心配なんだもの」

「大丈夫だって!」

 まるで自分に任せろと言わんばかりに私の肩を叩く明日香。


 ほぼ同じ身長なので、自然と二人の目が合う。

「……まあいいか。月菜、結構運動神経良いもんね。いざというときは、背中任せた」

 

「それはこっちのセリフよ、スポーツテスト全種目トップの人が何言ってるの」

「あーあれはちょっとびっくりしちゃった」

「なに他人事ぶってるのよ」

 

 わたしが返すと、明日香が少し笑う。

 ショートカットの茶髪が、月明かりの中でわずかに輝く様は、どこか人っぽくない、不思議な色彩だ。


 

 ***


 

「……で、着いたけどどうするの、明日香?」

 そうこうしてるうちに、問題の二階の北の端に到着した。

 手前に男子トイレ、奥に女子トイレが並んでいる。女子トイレの向こうには建物は無く、突き当りに窓があるのみだ。

 

「うん……月菜、あれなんだろうね?」

 明日香が、その突き当りの窓を指差す。

 

 窓には色あせたガラスがはまっているが、そこにガムテープで一枚の紙が貼り付けらけている。

 

 すっかり黄色くしなびているその紙には、円や様々な多角形が複雑に組み合わされた、まさに魔法陣とでもいうべき模様が、黒い鉛筆で書き込まれている。

 

「さあ……古そうだし、誰かがお祓いのために貼ったとか、そんなのじゃない?」

「でもこの模様、さっきも見たような……あっ、ここにもあるじゃん」

 明日香は続いて男子トイレの入り口の床に目を向ける。そこにも同じような紙が貼り付けられているのだ。

 

「よく見るとちょっと模様が違うね……もしかして、旧校舎が使われてた頃から残ってたのかな」

 そうだとしたら、窓はともかく床に貼ってあるのはおかしい気もするが……

 

「だったら、触りたくないわね。何が起こるかわからない」

 

「でも、気になるなあ……もしかしたら触ると花子さんが召喚されるのかも」

「やめとこうよ」

 こういうのは、軽い気持ちで触っちゃいけないものだと思うのだが。


 わたしは明日香の肩をつかんで止める。

「……じゃあ、花子さんへ会いに行きますか」

 

 明日香は方向転換し、そう言って意気揚々と女子トイレの中へ。

 

 ……心無しか、明日香の目が興奮で赤く血走ってるような気がするのだけど。

 止められるかな……


 

「またある……」

 

 女子トイレの中には、さっき見たのと同様、魔法陣の書かれた紙がいくつか貼り付けられている。

 奥の窓に一枚。並んでいる鏡に一枚。床の真ん中に二枚。そして、奥から三番目の個室の扉に一枚。


「ねえ、あの扉さ……」

「花子さんがいる扉ね」

 

「やっぱり何か関係あるのかな、そしたら本当に触らないほうが良いのかも」

 そう言いながら明日香は進んでいく。

 

 女子トイレの中は今まで通ってきた廊下以上に朽ち始めていて、床の木は黒や赤に変色、中には抜け落ちて下の一階の様子がうかがえるようなところさえある。

 

「気をつけてよ明日香、絶対その紙に触らないで。そこの扉ノックしたらすぐ帰ろう」

「大丈夫だって。……あ、念の為っと」

 明日香がぽつんと離れたところの扉に手をかける。

 

「何してるの?」

「いや、これきっと掃除用具入れでしょ? 万が一のとき武器になるものが無いかなーって」

 

「ねえ明日香、相手は普通の人間じゃないのよ? どう立ち向かうつもりなの」

「でも、無いよりマシじゃない?」

 そう言って明日香は手前に扉を開けようとする……


 

 バコッ


 古くなって傷んでたからなのか、あるいは単に明日香の馬鹿力のせいなのか、掴んだ扉はまるごと外れた。

「わっ……」

 さしもの明日香もバランスを崩し、後ろに数歩よろめく。



 ……あっ。

「危ない!」



 ビリッ



 ……やばい、やってしまった。

 よろめいた明日香の右足が、床に貼られた紙の一枚を思いっきり踏みつけて……そのまま真っ二つに破り裂いた。


「……えっ?」

 動きを止めた明日香が、足元を見下ろす。



 やばい。

 封印を、解いてしまった。




 ……ウオアアアアア!!!


 どこからともなく響き渡る声。

 当然わたしや明日香のものではないし、同時にものすごい圧が襲いかかる。



「何……何?」


 ドカン!


 今度は破壊音。奥の窓が割れたのだ。

「危ない!」

 固まる明日香に向かって木製の窓枠が飛んでくる。わたしは普通の手段では明日香を守れないと判断し……




 ――魔力の込まれた札を取り出した。

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