第三章 公爵家の家庭教師になりまして、平和な日常に笑顔が溢れてしまいます
第1話 変な虫
ラシュレ公爵領までは一週間ほどかかる。
隣町に夜半に着き一泊し、旅はまだ二日目。
レンリと二人旅もとても楽しかったし、エミルと一緒ならもっと楽しいだろうと思っていたのだけれど、馬車の中は異様な雰囲気に包まれていた。
私たち三人の向かいに座るのが、メルヒオール様になったからだ。
昨日は青藍騎士団のクレイルさんが馬車に乗っていた。
イリヤ様に知らせる為に、メルヒオール様と夜通し馬を走らせていたので、休息の為だと言っていた。
馬車なんて乗ったことがないし、落ち着かない。メルヒオール様は目立つから馬車に入れておきたいのに、と言っていたので今日からはメルヒオール様が乗車するであろう事に気付くべきだった。
メルヒオール様は、馬車に乗り込んでから一言も話していない。
クレイルさんは、こうも言っていた。
メルヒオール様は必要最低限の事しか話さないと。
交渉の時は饒舌なのに、それ以外の時はほとんど話さないそうだ。
それに、常に眉間に深いシワが刻まれているので、大抵の人は半日共に過ごすと胃の痛みを訴えるという。
多分怒っているわけではないので気にしないことだと助言してくれた。そして、放っておけば何処でも寝る人なので放置推奨だそうだ。
でも、やっぱり気になる。
レンリはもう胃の辺りを押さえているし。
エミルもちょっと顔が強張っている。
「ねぇ。メルヒオールさん。昨日の姫騎士様ってお友達なの?」
「……顔見知りなだけだ」
「へぇ。いいなぁ。すっごく綺麗でカッコ良かったよね!」
エミルはメルヒオール様へ問いかけたのだろうけれど、それはスルーされて車内は沈黙に包まれた。
エミルは悔しそうに目を細めると、私へクルッと顔を向けた。
「だよね。コレット先生!」
「そうね。私も憧れちゃった。あんな風に堂々と悪い奴を成敗してみたいわ」
「僕もっ。いつか町に戻ったら先生も一緒に騎士様になろう?」
「私はファルケ王国の出身だから、リンデルの騎士にはなれないのよ」
「ええー。何で?」
「リンデルの方と婚姻でもしない限り、法的に認められていないのよ」
「じゃあ、ボクがお嫁さんにもらってあげるよ」
「な、駄目ですよ!」
エミルが胸を張ってそう言うと、レンリが急にムキになって反論した。
「何でレンリ先生が怒るの。弟でしょ」
「弟だからですよ。姉に変な虫がつかないように排除するのは弟の役目です。あれ? エミルも弟ではないのですか?」
「あ、そっか。じゃあ駄目だ。……でもさ。ボクって変な虫なの?」
それってどんな虫かな? と頭を悩ますエミルに、レンリは追い討ちを掛ける。
「はい。年も離れていて経済力もない。そんな男と結婚しても苦労するだけです。そういう男性を、僕は変な虫と解釈します」
「そうなんだ。じゃあ、メルヒオールさんは?」
「……メルヒオール様は――」
皆がメルヒオール様に目を向けて口を閉ざした。
彼は眉根を寄せたまま微動だにせず、瞳を閉じ腕を組んでいた。
「寝てるんじゃないかしら?」
「……寝てますね。クレイルさんの言った通りでしたね」
エミルはまじまじとメルヒオール様を観察すると、起こさないように小声でレンリに尋ねた。
「メルヒオールさんも変な虫だよね。寝てる時も怖い顔してるし」
「ふふっ。本当だわ」
「きっとこの顔圧で数々のご令嬢との婚約を弾き飛ばしてきたのでしょうね。女性は苦手で一切近づけないとのお噂を聞いています。ですから、余計にフィリエル様への女性達の圧が――」
「そうなのか?」
メルヒオール様の瞳が開き、レンリに視線を伸ばしていた。あー。起きてたのね。
レンリは口を開いたまま硬直し、間を置いてから返事をした。
「…………はい」
「ねぇ。フィリエル様って誰?」
「俺の妹だ」
「ええっ。母様には妹もいるの!? 似てるかなぁ。会うの楽しみだなぁ。あれ? レンリ先生は知り合いなの?」
「ええ。まぁ……」
レンリが私へ目を向けると、エミルは瞳を輝かせて私を見つめた。
「コレット先生も知ってるの?」
「ええ。とても素敵な女性よ」
フィリエルは元気にしているだろうか。
早く会いたいけれど、不安もある。
そういえば、ガスパルはどうなったのだろう。
後でレンリに、それとなく聞いてみようかしら。
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