二
気付けば日の出が早まり、寒さも気のせいか前よりも棘が抜け、丸みを帯びてきた。
開花前になると、
樹木医は貴族だけで成立している庭師とは違い、平民も貴族も所属している。そもそも桜が病にかかった場合、直せるのは樹木医だけだ。彼らは日々知識を集め、その知識の元に桜に診断を施しているために、この時期にならなかったら櫻守でもなかなか彼らを捕まえることができない。
桜が開花したのを確認したら、それを朝廷に伝えるためにだ。
紅華が最後のひと仕事とばかりに、茂みを刈っていると、樹木医が弾んだ声を上げる。
「この数年、若木がちっとも育ってませんでしたけど、今年の若木は生命力に溢れていますねえ!」
それに紅華は胡散臭い顔をして見つめる。
「あたし、この間千年花が代替わりしないと、桜はやわいままだって聞いていたんだけど」
「ええ、たしかに数か月前まで検査をした若木は、それもこれも本当に弱く、いくら治療を施しても対処不能なほどに弱っていました。ですが、見てください」
枝を折れそうなほどに下まで曲げたあと、手を離す。しなった枝はぴぃーんと張りつめて、元の位置に戻った。本当に折れそうなほどに曲げたにもかかわらず、だ。
「これは枝が若いから、これだけよくしなるんですよ。柳みたいにしなるじゃないですか。若木の特権です」
「あれ……千年花の代替わりは」
騒ぎになっていたように思うのに、いつの間に行われていたのか。紅華の戸惑う声をよそに、樹木医は楽し気に語る。
「おそらく行われたんでしょうねえ。本来は帝が庭師を伴って大々的に儀式を行うんですけど、今回はいろいろと勝手が違いましたからねえ……さすがに私も朝廷の貴族たちの儀式の様子はよくわからないんですけど」
平民である櫻守と貴族である庭師の間に挟まれ、樹木医はどちらにも気を遣わねばならない立場なため、言い方が曖昧だ。
それに紅華と薄墨が顔を見合わせた。
なにも知らない内にはじまって、なにも知らない内に終わっていた。
本当に現場で精一杯桜の世話をする以外できない櫻守たちは、いつだって置いてけぼりだ。紅華はなんとも言えない歯がゆい思いをしていたら、樹木医は「そういえば」と口を開いた。
「庭師はこのところずいぶんと増長していたみたいですけど、大きく人事替えがあったそうですよ」
「なにそれ……?」
貴族の人事異動なんて、ほとんど平民には関与できない話題である。その話を向けてきた樹木医を怪訝な顔で見ていたら、樹木医は「ええ」と続ける。
「なんでも手柄を取るために、危うく麓の郷を消失させるところだったというので。このところ、親の七光りでまともに仕事のできない庭師が増えていて、こちらも仕事の際に大変に困っていましたからね。今回の人事異動で、ちょっとはまともになるといいんですけれど」
その樹木医の言葉に、再び紅華と薄墨は顔を見合わせた。
どう考えても、それは物の怪の巣に土足で足を踏み入れた挙句に、空腹の物の怪たちが暴れ回った事件だった。
物の怪たちが巣に戻ってくれたからよかったものの、危うく郷の人々が食われるところだったし、そのあとに食われた山肌の整備で、応援に来てくれた櫻守たちと、植樹を行わなければならず、普段の仕事に戻るまでにかなり時間を食ったのだ。
あれで余計な人々が現場から離れてくれたのなら、たしかに櫻守たちも働きやすくなるというもの。
その中、こちらのほうに
「どうかしたかい?」
薄墨に尋ねられ、樹木医が「いやですねえ」と答えた。
「今年、帝が花見会を行うのは、この山だそうです」
「……この山?」
それにはさすがに薄墨も声を上げたし、紅華も驚いて目を見開いた。
花見会。山々の内のいずれかで、帝が貴族たちを伴って訪れ、櫻花国の桜が今年も健在だということを証明する。
花見の季節になれば櫻花国にも他国から花見に人がたくさん訪れるため、その金が麓の人々に転がり込むことになっている。
中でも帝主催の花見会の見物には大量の金銭が動くために、それをまだかまだかと待っている山もあれば、日々の生活に精一杯で帝をもてなす算段が付かない山だって存在している。
ついこの間、物の怪のせいでさんざんな目にあったばかりなため、花見の季節ぎりぎりまで復興作業に明け暮れていた。食われた若木の植樹だって、やっと終わったばかりにもかかわらず、だ。
そんなこの山に帝を歓迎する資金なんて、当然ある訳がない。
薄墨は困った顔で樹木医を見つめる。
「そりゃあ選んでもらえて嬉しいが、うちの郷はどこもかしこも復興のために金を使っているんだから、帝をもてなす金なんて出せるのかね」
「むしろ逆ですね。今回は庭師の暴走のせいで、この山が甚大な被害を被ったため、花見の席も簡略化して、これで山に人を呼ぶのだそうです」
それにますます薄墨は、首を捻った。たしかに他国からの観光客を入れてもらえたらありがたいことにはありがたいが、せっかくそこで稼いだ金も、帝が訪れたもてなしをしたら簡単に消えてしまう。
下手を打ったら、黒字にならないだけでなく、赤字になってしまうのが、花見会の難しいところであった。それくらいは、貴族社会には疎いが、現場で花見会に訪れる客の準備を行っている櫻守にだってよくわかる。
「そんなに上手く行くのかね……」
「なにぶん、今回の花見会の支度金は全て朝廷持ちですから」
それに紅華は目を見張った。ここまで太っ腹の花見会なんて、聞いたことはなかった。でもそれならば、たしかに郷に負担はかからないし、見物客の落としたお金はそのまんま郷の転がり込む。山自体の復興も進むし、悪い話ではないように思える。
「棟梁、いいんじゃないかい?」
「簡単に言うがなあ……まあ、この手の話は俺がどうこう言えねえから、郷ととっくりと話してくれや」
「ええ」
見上げれば、あれだけ涼し気だった桜の梢に、ぽつりぽつりと硬く引き結ばれた蕾が並んでいるのに気付く。
もうすぐ、春が来る。
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