あの事件から数日経った。

 その日鬱金は起きて、朝市に出かける準備を進める。

 弁当を買いに行くのだ。

 本来であったら、櫻守の一番下である鬱金が米を炊いて魚を焼き、味噌汁をつくらないといけないのだが、彼は火を触ることも刃も怖いので、ほぼ料理をすることができない。あまりにも櫻守に向かない性分ではあったが、彼も記憶がない以上は行き場所もない。困り果てた薄墨と紅華により、「朝市で朝から昼まで働けるくらいの食事を買ってこよう」ということで落ち着いた。

 風呂敷を何枚も確認していた鬱金は、既に起きている薄墨に気付いて、ぺこりと頭を下げた。


「おはよう、棟梁」

「ああ、おはよう。鬱金」

「なに?」

「お前に師匠ができないか、ちょっと役所を通して庭師に連絡をしてみることにしたよ。朝食までには戻るから、お前もさっさと買い出しに行け」

「……うん? 行ってらっしゃい」


 薄墨を見送りながら、鬱金はきょとんとして首を捻った。

 自分が使ったと言われているのは術だと言うが。鬱金は使った覚えもないし、物の怪を殺したくもなかった。

 自分はいったい何者なんだろうとうすら寒い疑問が頭に浮かんだが、それはそっと払拭した。考えてもあまりにも埒が明かないからだ。

 薄墨が出かけたあと、鬱金も朝市へと出かける。

 まだ暦の上では冬だが、朝市は比較的に賑やかだ。

 大根やかぶを売る屋台、干し魚を売る屋台に混ざって、握り飯を売っている屋台を見る。

 それは元々朝市に物を売りに来ている人々向けの屋台だったが、朝早くに山に登る櫻守や一日役所に籠もりっきりの役人、他国から訪れた観光客などに評判がよく、気付けばあちこちで少しずつ品を替えて握り飯の屋台が出るようになっていた。

 梅の果肉が細かく刻まれて入っている握り飯を指差し、鬱金が店主に言う。


「すみません、握り飯の包みを六つ……」

「おや、薄墨の旦那のとこの子だね? はい、六つ」


 お金を支払い、握り飯の包みを風呂敷に入れ、お礼を言って持って帰ろうとする中、「どうなんだい?」としゃべっている声が聞こえた。


「うちの裏山を見上げたけど、今年は桜の木が不安でなあ……年に一度のかき入れ時なのに、花をちゃんと付けてくれるのかがわからん」

「でも櫻守はちゃんと毎日世話に登ってるじゃないか。物の怪だって麓まで降りてきてないんだから、問題ないだろう?」

「そりゃ、仕事はしてんだろうよ。でもなあ……うちみたいな郷、他国から客が来てくれねえとどうにもならんだろ。もし桜が咲かなかったら、来るはずのもんも来ないのに、どうなってんのかねえ……」


 格好からして、麓で商いを務めている者たちだろうと当たりを付ける。

 薄墨の性格上、山の出来事を触れ回ることもしないだろうが。

 既に麓の人々の知るところとなってしまっている千年花の異変。薄墨は既に役所を通して苦情を伝えているが、本当にどうにもならないんだろうか。

 鬱金はぎゅっと風呂敷を抱えると、そのまま走り出していた。

 やらなくてはいけないことは、なにも変わってはいない。ただ今までの行いが徒労で終わってしまうのを息苦しく思うだけだ。

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