庭師

 櫻守としてこの山の棟梁を務めている薄墨は、定期的に役所に出かけている。

 元々櫻守の棟梁は、山の管理状況や、桜の現状を役所を通じて朝廷に通達しなければいけなかった。帝が花見会をする際に、選定基準となる資料が必要だからだ。

 それと同時に、薄墨は行方不明の子供の帳簿の閲覧も行っていた。

 桜の麓の郷であったら、年に一度花見会により他国からの観光客により潤うが、特に特産品のない、飢饉のせいで年貢を納めることができない郷であったら、口減らしのために子供を捨てることも、売ることもある。

 中には貧困に喘いだ郷が、郷ぐるみで他の郷に忍び込んで子供をさらって売り飛ばすことだってある。

 あまりにも下種なために考えたくはないが、鬱金はとにかく器量がいい。貧困に喘いだ郷なり他国なりに売り飛ばされたのではないかと思い、薄墨は役所に出向くごとに帳簿を捲って昨今起こった事件の帳簿を捲っていたが、そこには鬱金のような子供が上げられることはなかった。


「やあ薄墨さん。最近ずいぶんと帳簿を捲っているじゃないか。なにかあったのかい?」


 顔見知りの役人に声をかけられ、薄墨は「どうも」と言いながら、もう一度帳簿を捲る。


「うちで預かっている子供がいるんだがな、どこから沸いてきたのか、わかったもんじゃねえんだ。もし人さらいの被害者だったら、せめて親元に連絡してやりてえんだが、うちのんの情報がねえなと。そういや、俺ぁずっと庭師に連絡をしているが、全然返事が来ねえが、どうなっている?」


 薄墨がそう話を向けてみると、役人はあからさまに困った顔をしてみせた。

 鬱金の親元もそうだが、彼の能力についてどうしたもんか、薄墨も手をこまねいていた。どんなに熟練の櫻守であったとしても、使えない術なんて教えようがない。

 朝廷にいる庭師は術を使役し、それにより物の怪を屠っているが、残念ながら庭師の術については薄墨も不得手であり、鬱金に教えてやることができない。

 せめて鬱金のために師事できる庭師がいないかという問い合わせをしていたが、一向に返事が来なかった。

 同じ櫻守という仕事ではあるが、現場の仕事に近い櫻守と、上からの政治に近い庭師だと仕事の目的が若干違うものだから、花見会の山の選定以外に庭師がしている仕事については、薄墨もそこまで詳しくはない。

 役人は困った顔で教えてくれる。


「それがねえ……最近庭師も仕事が忙しくって、現場のことは現場でしろの一点張りだよ。千年花が枯れてしまったら困るのは、この国の人間全員だというのにねえ」

「なんだい、そりゃ。この時期にそこまで庭師が行わなきゃいけねえ仕事があるのか? ……千年花が枯れかけていることについて、本腰入れてくれてりゃいいんだけどな」

「さあねえ。お偉いさんの考えていることはいまいちわからないよ」


 指示をきちんと現場に降ろしてくれるならともかく、上の思い付きで現場が振り回されるのがしょっちゅうだ。意図があるのならば、その意図まで教えてくれりゃいいだけなのに。

 所詮櫻守の棟梁も役人も中間管理職であり、上からの命令を聞くことはあっても、思惑まで教えてもらえない。ただ粛々と下を宥めながら上の機嫌を取るしかないのだ。

 さて、互いに溜息を付きつつも、役人は薄墨にこっそりと教えてくれた。


「ただねえ……最近どこの山にも庭師が勝手に入っているって噂が流れているから、気を付けておいたほうがいいよ?」

「……はあ? こっちはちっとも連絡もらっちゃいないんだが」


 櫻守が庭師に報告連絡相談をしているのと同じく、庭師だって民間である櫻守に報告連絡相談をせねばならなかった。そんな連絡はひとつも、薄墨の元には届いちゃいなかった。

 そうじゃなくても、貴族で統一されている庭師が、山登りに慣れている訳もない。櫻守の案内なしで無事に山登りができるとは考えにくかった。

 櫻守だって仕込みを終えてない人間は、絶対に山を登らせないのだ。それだけ危険なのだから。なにも知らない庭師に桜を荒らされたり……最悪の場合、物の怪の巣をつつかれて大惨事になったことだって、いくらでもあるのだから。

 役人も薄墨の苛立った声に震えつつも「あくまでそういう噂だよ!」と教えてくれる。


「……まあ、すまんな。肝に銘じておく」


 鬱金のことに加え、庭師の出現にまで気を配らなくてはいけなくなり、薄墨が軽くめまいを覚えた。

 櫻守の仕事は増える一方で、決して減ることはないというのに。


   ****


 その日は冷え込んだ朝だった。

 蒲団から出るのすらなかなか億劫だが、蒲団から出なければ仕事にならない。紅華は急いで火鉢に焼いた炭を入れてくれたが、部屋中まで暖かくなるものでもあるまい。

 鬱金はぶるぶる震えながら、直垂の上に外套を被って朝市に向かおうとしたが。


「……わあ」


 外に出た途端に、屋根につららが伸びているのに絶句している鬱金に、紅華は「ほらほら、危ないからさっさと落とす!」と言いながら、屋根に向かって木刀を振り上げてつららを落としていく。

 ようやく通り抜けられた小屋から出て、朝市に向かうと、いつもよりも山盛りで炭や薪が売られているのが見えた。


「弁当六つ」

「はいよ。今日はずいぶんと冷え込むだろう? これも持って行きな」


 そう言って渡されたものを、鬱金は首を捻った。端切れになにかがくるまれているが、持つと妙に暖かい。不思議に思って端切れを捲ろうとすると、店主に慌てて止められた。


「ああ、駄目だよ。かいろを駄目にしちゃ」

「かいろ?」

「焼き石を端切れでくるんでるんだよ。今日は天気が天気だから、山登りはしないかもしれないけれど、仕事はじまるまで寒いだろう? 薄墨の旦那や他の櫻守にもおあげ」

「……うん、ありがとう」


 店主がくれたかいろを大事に持つと、弁当を風呂敷に入れて元来た道を帰る。

 帰る途中、鬱金は鼻を赤くしながら山を見上げた。

 白く積もっているのが見える。寒いと思ったら、麓からくっきりと見えるくらいにまで雪が降ってしまったらしい。

 小屋に戻ると、薄墨は腕を組みながら山を見上げているところだった。やがて、がりがりと頭を引っ掻いた。


「こりゃあ、今日は山に登るのは無理だな。他の作業をするか」

「他の作業って?」


 きょとんとする鬱金に、紅華は笑う。


「他にも作業は山ほどあるさ。櫻守は桜を守るのが仕事なんだから。今日は平地でできる作業をするよ」

「う、うん……」


 ひとまず、いつものように朝餉を済ませてから、刀を佩かないふたりに連れられ、代わりに日々混ぜている肥料の入った樽を背負って、小屋を後にした。

 小屋を出た先に見えてきたものに、鬱金は「わあ……」と声を上げた。

 そこには藁で包まれた若木が何本も生えていたのだ。

 辺りには物の怪避けの香の匂いが混ざっている。薄墨が「ほら、肥料をそいつらにやってくれ」と言われたので、樽を降ろすと、手桶で汲んでそれぞれに分ける。

 まだ細くて、物の怪にひと口でも齧られてしまったらあっという間に折れてしまうだろうそれを、鬱金はまじまじと見ていた。


「でもさあ、棟梁」


 紅華は一生懸命藁に包まれた若木に肥料を与えつつ言う。


「母樹が弱っているんだったら、そこから取った種を育てて苗を育てても、またすぐに折れるんじゃないかい?」


 実際に山に登って確認したが、植樹した若木のほとんどは簡単にペキンと折れてしまう。本来なら若い梢はしなやかで、どれだけ曲げてもなかなか折れないものだというのに、簡単に折れるものだから、すぐに物の怪の餌になってしまう。

 紅華の指摘に、薄墨は渋い声を上げる。


「……俺たちだと、母樹をどうこうなんてできねえぞ。だから、やれることなんぞ例年と変わりゃしねえさ」

「それ、もう何度目なんだい」


 ふたりのやり取りを聞き、鬱金は苦笑しながらも、まだ若い苗を撫でる。細い梢はまだ細過ぎて頼りない見た目ではあるが、一生懸命枝を伸ばしていて、しっかりと生きているのがわかる。

 そうやって世話をし、手を洗ってから食事をはじめる。

 店主がつけてくれたかいろのおかげで、昼になっても温かさを保っていた。

 屋台の店主たちが働く人々への心配りだ。弁当箱の中には、梅干しを入れたご飯に、干し大根と薄揚げの煮浸し、干しきのこの炒め物、魚の干物を入れていた。

 温かい弁当をはふはふと食べている中、薄墨が山を仰いだ。


「……おかしいな」


 そう言って眉をひそませている。


「雪が降ったときなんて、山に誰も入りゃしねえはずなのに」

「どうしたんだい? 山になにかいるのかい? でも……雪山の危険を知らない奴はいないはずだよね?」


 熟練の櫻守になればなるほど、天候の悪いときに山に入るという無謀はしない。

 たとえ庭師にどやされても、朝廷から難癖付けられたとしても「櫻守が死ぬ」のひと言で跳ね返していた。

 薄墨が見ている視線を、紅華が追いかけ、彼女も顔をしかめる。


「……雪が、削れてる?」


 それは桜守になりたての鬱金でもよくわかるほど、山に積もった雪が不自然に削れていた。

 もし雪崩が起こるのならば、もっと地鳴りがするほどに雪が崩れるというのに、そんな音を聞いていない。それでも雪が削れているということは、誰かがそこを通ったということに他ならない。

 櫻守たちからしてみれば、雪山に入る行為はあんまりにも無謀だ。

 なによりも、山で遭難者が出たら、その責任はその山担当の櫻守に降りかかるというのに。してもいないことで、櫻守が朝廷から責任を問われるのだ。

 当然ながら薄墨は苦々しい顔をしていた。


「ああ。いくら日が昇ってきたからって、あんなに簡単に雪が消える訳がねえ。誰かが今日みたいに櫻守が入ってない山に立ち入ったんだ……ちょっと俺ぁ山に入って来るから、紅華は役所に報告を入れてこい。雪山に人間を入れるんじゃねえってな」


 そう言ってさっさと弁当を食べ終えると、薄墨が立ち上がる。紅華はおろおろとしながら、それに続く。


「そんなこと言っても……棟梁、危なくないかい!?」


 何度も言う通り、雪山に入るのは無謀な行為だ。

 いくら山仕事に慣れている櫻守の棟梁とは言えども、無謀に入った人間の救出に入って二次災害を引き起こした例だって数多く存在している。

 しかし、自分たちの担当の山に遭難者が出た可能性があるのでは、放置しておく訳にもいかなかった。立ち上がった薄墨は、苦々しい顔のままだった。


「だから俺が行くしかないんだろうが。まだ半人前のお前たちを連れて行く訳じゃねえからな。俺ひとりなら、まだなんとか帰って来れるだろうさ」

「棟梁……」


 紅華が泣きそうな顔をしているものの、仕事なのだから行くしかあるまい。

 薄墨は紅華と鬱金を交互に見比べる。


「お前たち、絶対についてくるなよ。本当に雪山は危ないからな、お前たちのお守りをしながら見回りができるもんじゃねえ。俺が山に行ったら、紅華はすぐ役所に行って来てくれ。いくらなんでも、こっちの管轄の山に誰かが勝手に入って勝手に遭難したんじゃ、こちらも目覚めが悪いときちんと抗議しといてくれ」

「……うん、わかった」

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