三
馬を厩舎に繋いで、餌をやる。
そのあと紅華はお櫃に移していたご飯を盛って、糠床に漬け込んでいた漬物を刻むと、それを皆に配った。
薄墨が「いただきます」と手を合わせてから食べはじめた中、鬱金は箸を持つ手すらおぼつかないことに気付いた。それに紅華は「ああ、もう!」と鬱金の手を取って箸の持ち方を教える。
「お箸はこう! 指を引っ掛けて、そして動かす!」
「こう?」
「こう!」
持ち方は不格好だが、どうにか漬物を刺して食べられるようになったので、ぎりぎり及第点だと、紅華は息を付いた。
薄墨はふたりのやり取りを眺めながら「ふうむ」と唸った。
「本当にこの辺りの子供ではなさそうだな。他国か?」
薄墨は鬱金を眺めていると、大分自分の知っている子供とは気性が違うように思えた。
鬱金はずいぶんと大人しい性分で、紅華のきつい物言いに泣いたり怒ったりする、年相応の子供の反応を示さないことが気になった。
郷の子供はどの子もやんちゃ盛りで、こうも大人しく言うことなんか聞きやしない。
薄墨の疑問に、紅華が赤い髪を揺らして首を振る。
「わっかんないよ。常識が全然ないし。役所に問い合わせたら、他国の旅客の行方不明の広報は出てないかねえ」
「そうだな……一応問い合わせてはみるが。だが紅華。どうするんだ?」
「なにをだい、棟梁」
紅華が尋ねると、薄墨はひと口漬物を齧ってから指摘する。
「こいつが他国のもんだろうが、うちの国のもんだろうが、拾ってきたのは紅華だ。面倒見るのはお前の仕事だろ」
「……あたし、櫻守の仕事があるよ?」
「ならこいつを孤児社にでも連れて行くかい?」
その指摘に、紅華が小さく「う」とだけ呻く。
崖崩れや火事で親を亡くし、行き場のない子供を預かっている社は、通常孤児社と呼ばれていた。だがあそこは喧嘩も多く、大人しい子供であればあるほど、食が細くなるほど弱って、長生きできないことも知っている。
ただでさえ自分の名前すら思い出せない鬱金をそこに送るのは、紅華の良心が咎めた。
「あー、わかった。わかったよ! あたしがこいつの面倒を見る! それでいいんだろう、棟梁!?」
「わかってるじゃないか、拾ったもんの面倒は最後まで見ろ。俺も役所に掛け合って、こいつの捜索願は出てないか確かめるから」
「むう……」
紅華はちらりと鬱金を見た。
おぼつかない箸使いでご飯を食べ、漬物をコリコリと音を立てて齧っている。本当にあどけない様に、故郷の子供たちを思い出した。
ひとまずこの子供の保護者が見つかるまでの間は、櫻守として立派に育てないといけない。紅華は大きく溜息を付いた。
****
日が登るか登らないかの時間に、寝床でくうくうと寝ていた鬱金は紅華によって叩き起こされた。
「ほら! 日が登ったら山に登らないといけないんだから、今の内に起きる!」
「うっ……!」
井戸で顔を洗うように指示をし、井戸の場所を教える。
「早寝早起きに体を慣らさないとやってけないからね。そもそも、日が出ている内に山を降りないといけないんだから、早朝から山に入らないと作業にならないんだよ」
「そうなの……?」
井戸の水はぬるく、外気の寒さが少しだけ治まる。鬱金は未だに寝ぼけ眼で、こんな顔をしていたのはいつだったかと、少しだけ紅華は遠い視線になる。
本来なら櫻守の一番下が食事当番であり、紅華より下に当たる鬱金が食事の準備をしなければいけないのだが、初日ではさすがに酷だろうと、紅華が一から十まで教える。
顔を洗い終えたら井戸の水を汲んできて、それで米を研ぐ方法を教える。鬱金は紅華に教えられるがままに洗うが、なかなかその手つきはおぼつかない。
「こう! 研ぎ水が透明になるまで力いっぱい洗うんだ!」
「こ、こう?」
「もっと力を込めて! きちんと洗わないと糠臭くて食えたもんじゃないからさ」
米を洗って釜に流すと、水を入れてかまどに薪と一緒に火を付けようとするが。途端に鬱金が震えはじめた。
「それ……火?」
紅華が擦った火が、パチンと音を立てて弾けた。
「ああ。そうだね。火を付けなきゃ米が炊けないだろう?」
ただでさえ透けるほどに鬱金の白い肌が、どんどん蒼白になっていく。それに紅華は顔をしかめた。
「……なんだい、あんた。火が怖いのかい?」
赤々と燃えた薪を見せると、鬱金は今にも気絶しそうなくらいにカタカタと身を震わせる。やがて、目に涙を溜めて紅華に向かって謝りはじめた。
「……ご、めんなさい」
「んー……困ったね。本当だったら新人が炊事をしないと駄目なんだけれど」
「ほ、他のことで、できることは……」
本当に鬱金が今にも気絶しそうなほどに小刻みに震えながら脅え切ってしまっているので、これ以上はさすがに可哀想になり、仕方がなく米を炊くのはいつもの調子で紅華がやりはじめた。代わりに糠床を混ぜてもらうことにした。
「糠床をよーく混ぜたら、そこからきゅうりを二本、茄子を一本取っておくれ。あとそこに壷があるだろう? あそこから梅干しを」
「う、うん……」
言われたまま取ってきたら、紅華は取ってきたきゅうりと茄子を布で拭き取って包丁で刻みはじめた。それにまで鬱金がびくびくと震えるのに、紅華は首を捻った。
「鬱金、あんたまさか刃物まで怖いのかい?」
「……ご、めんなさ……」
「いや、怒っている訳じゃないのさ。ただ、火が怖い、刃物が怖いって、なんだいと思っただけで」
紅華だけに限らず、平民として普通に育った場合は、どんな家でも家事を手伝うことは当たり前にある。薪に火を付けてかまどの面倒を見るのも、斧で薪を切るのも、子供の家事手伝いの範疇内なのだから。
しかし鬱金の脅えようを見ていると、どちらにも積極的に触れてこなかったからのように思える。
そもそもよっぽどのことがない限りは、最下層の母樹の傍になんか来られる訳がない。
櫻花国では母樹は神聖なものだから、櫻守や庭師、樹木医以外が近付くことはまず禁じられているため、平民がわざわざ山を登った上で、最下層に降りるという発想が出てこないのだ。
貧乏人であったら、口減らしに子供を捨てたり売ったりすることはあるが、そんな貧乏人すらも、母樹の近くに子供を捨てるなんて罰当たりな真似はしない。
この子はまさか他国の貴族の隠し子かなにかなんだろうか、とそこまで想像を張り巡らせた紅華は、首を振った。
家族が多過ぎた場合、下の子供の面倒を見るのに精一杯で、家事手伝いをする暇すらなくなることだってある。現に糠床を混ぜるのも梅干しを取ってくるのもなんの抵抗もないのだから、そんなお偉いさんの身内でもないんだろう。
となったら、他国の旅行者だろうか。他国では櫻花国とも違う生活習慣があるらしいが、花見の季節以外に旅行者を見ない紅華は、自分の知識にもいささか自信がなかった。
仕方なくこれならできるだろうと、「器を取ってきて。そこに朝食を入れるから」と指差して鬱金に言うと、彼はこくんと頷いて棚の器を持ってきてくれる。
米を炊いている隣のかまどで湯を沸かし、その湯で器に入れた味噌玉を溶かす。ふわんと味噌の匂いが漂いはじめたところで「おはよう」と薄墨が出てきた。
「おはよう、棟梁。ほら、あんたも挨拶する!」
紅華に言われて、言われるがままに鬱金も「おはよう」と挨拶をする。薄墨は目を細めて鬱金を見たあとに、紅華に目を向ける。
「紅華、俺ぁ今日はちょっと役所に行ってくるから、お前は鬱金に櫻守のいろはを教えてやりな」
鬱金が何者かはわからないが、最下層に埋まっていたなんてただ事ではない。
だからこそ役所を通して、朝廷から庭師に報告を上げなければいけなかった。他国の子供なら他国の子供で、捜索願が出ていたら引き渡さないといけなかった。
しかしどちらでもない場合は、鬱金は訳ありだが、櫻守たちも余裕のある生活をしているとは言いにくい。どの道、鬱金に櫻守の仕事を仕込まなければならなかった。紅華はそれに唇を尖がらせる。
「ええ……今日は作業しなくっていいのかい?」
「本当ならしなきゃならねえが、なにもできねえ素人をいきなり死ぬか生きるかの山になんぞ登らせられるか。いいな。ちゃんと鬱金を使い物になるようにしろ。でなきゃ本当に死ぬからな」
「……はあい」
横暴に聞こえる薄墨の言葉だが、櫻守は物の怪を狩り、山で作業を行う。
言葉で言うとそれだけの話だが、どちらも命がけの仕事だ。
物の怪狩りをきちんと行い、死骸の始末まで行わなければ、かえって桜を食らう物の怪が増える一方だ。おまけに山は常に人間を惑わせる。正しい登山方法に道に迷わない方法を身に付けなかったら、山に入っただけで死に至る。
自分の身を守る方法や、山での作業方法を学んでからでなければ簡単に命を落とす。
ひとりの櫻守は最低でもひと月間は付きっきりで面倒を見てから山に登らせなければ、簡単にぽっくりと逝ってしまうのだ。
紅華だってそうやって付きっきりで教わったのだから、彼女もまた鬱金に同じように仕込まなければならなかった。
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