第15話 私、陽向汰先輩のためになんでもしてあげたいんです♡

 杉本陽向汰すぎもと/ひなたは二階の自室にいた。

 そして、同じ空間には後輩の和香がいる。


 八木和香やぎ/のどかは二人っきりになってから、積極的になったような気がする。

 積極的というよりも、ちょっとばかし誘惑してくる感じ。

 それに、悪戯っぽい態度を見せている。

 陽向汰の自室に入ってから、グイグイと距離を詰めているのだ。


 普段は見せない大人びた後輩の表情に、勉強机前の椅子に座っている陽向汰はドキッとしていた。


「先輩。今日は泊っていってもいいですか?」

「泊まる?」

「はい……もしかして、両親が帰ってくるんですか?」

「……そういや、確か……明日の夜まで帰ってこないはずだったな」

「でしたら、今日は一緒に過ごしませんか?」

「一緒に……か、別にいいけど……」


 これは、丁度いいシチュエーションになるような前触れなのか?


 陽向汰は、咲良さくらとの関係もほぼ断ち切り、気が楽になったことで、和香の誘いに乗ることにした。


「私、先輩のために、夕食を作ってあげますね」

「作ってくれるの?」

「はい。ようやく、あの人と別れられたんです。その記念ってことで」

「だったら、お願いしようかな」

「では、作らせてもらいますね。でも、その前に、冷蔵庫の中を確認してもいいでしょうか? 何も材料がなかったら料理できませんし」

「冷蔵庫は一階のキッチンのところにあるから」

「はい。では、ちょっと行ってきますね」


 後輩は部屋から出ていこうとする。が――


「ちょっと待って」

「なんです? 先輩?」


 椅子に座っている陽向汰は立ち上がり、和香を引き留める。彼女は扉の前で振り向いてくれた。


「えっとさ。一つ聞いてもいいか? 部長から、あのことを聞いたのか?」

「小説の件ですか?」

「ああ」

「……はい。本当は言わない約束だったんですけど」


 和香はこっそりと大人しめの口調で言う。


「ん? でも、いつ部長と関わったんだ? 今年の四月頃からあまり顔を出してなかったし」

「それは……内緒です」

「なんか、都合の悪いことでもあるのか?」

「いいえ。そうじゃないですけど……まあ、そういうことより、夕食の方です。私、先輩のために、一生懸命に作りますから。楽しみに待っててくださいね♡」

「あ、ああ……」


 えっと、どういうことなんだろうか?

 意味不明なことが多い。


 つい最近までは普通の子だったのに。どこか違和しか感じなくなってしまった。


 まさか……いや、それはないか……。

 陽向汰は怖い方には考えないようにし、一応、和香と共にキッチンへと向かうことにした。






「んん……先輩の冷蔵庫的には……殆どないですね」

「まあ、そうだな。殆ど何も買って来てないからな」


 二人はキッチン内にある冷蔵庫前に佇んでいる。

 和香は確認し終えると、冷蔵庫の扉を閉めるのだった。


「先輩って、普段何を食べてるんですか?」

「インスタント系のモノとか、親が作り置きしたモノとかさ。あとは、自分で炊いた米に、お茶をかけて食べたりとか? そんな感じかな?」

「あまりよろしくないですね」

「そうかな? 今のところ、体に大きな変化とはないけど?」

「それはまだ、何年もそういった生活をしていないからです。今後、大変になっていきますから」

「怖いこと言うなって」

「怖いことって。先輩がちゃんと食事をとってくれればいいんです」

「そこまで心配しなくても、今は大丈夫じゃないか?」

「ダメです。今日から、先輩と一緒に付き合っていくんですから。体の体調管理はしっかりとしてくださいね」


 和香は本気な目をしている。

 何が何でも、ちゃんとしたものを食べさせようとしている瞳だ。


「来週から私が弁当とかを作ってきてあげますから。その方がいいですよね」

「いいよ。手間だろ?」

「いいえ。大丈夫です。先輩のためなら、なんでもできますから」


 和香は本気でやりかねない。

 やはり、彼女の瞳は真剣そのもの。慕ってくれているのは嬉しいことだが、弁当まで作ってもらうのは、少々申し訳ない気分になってくる。


「先輩は、どんな料理が好きですか? 私、先輩の好みに合わせますから」

「じゃあ……ハンバーグとかかな?」

「ハンバーグ? 先輩はハンバーグが好きなんですね。他には何かありますか?」

「あとはな……肉じゃがとか?」

「肉じゃがですね。ふむふむ……」


 和香はスマホを手に、メモ機能を使って、陽向汰の好きな食べ物を入力していた。


「では、今日は、どんな夕食がいいですか?」

「ハンバーグかな?」

「はい、承知しましたッ、ハンバーグですね」


 後輩は元気いい笑みを見せると、近くのスーパーまで行ってきますねと言い、陽向汰の自宅を後にして行った。






「先輩ッ、あーんしてください」

「う、うん」


 陽向汰は緊張した面持ちで頷き、口を開けた。


 リビング内。

 テーブル前の椅子に座っている和香は、隣にいる陽向汰へとハンバーグの一部を箸で食べさせていたのだ。


「……どうですか、ハンバーグの味は?」

「うん、普通に美味しいよ」

「ですよね。私、先輩のことを想って一生懸命作ったんです。絶対に、美味しいに決まってます」


 和香は自画自賛するように言う。


「先輩? あの……先輩のこと、陽向汰先輩って名前で呼んでもいいですか?」

「ッ? べ、別にいいけど。でも、なんで、今まで名前呼びじゃなかったんだ?」

「だって、陽向汰先輩には彼女がいたので」

「それだけの理由で?」

「はい。彼女がいるのに、あまり馴れ馴れしく名前呼びはできないと思ってたんです。でも、今日から、そんな心配はいらないですよね。先輩は、あの人とやっと別れてくれたんですから。それにしても先輩があんなに勇気を出して言い切るなんて、やっぱり、私の想像通りの人です」


 女の子から褒められて、嫌な気分になる人はいない。しかも、彼女は美少女であり、なおさらである。


「陽向汰先輩。確認なんですけど。今は、小説って書いてるんですか?」

「いや、何も書いてないよ」

「え? もうやめちゃったんですか?」

「やめたっていうか。一応、書いてないことはないけど……」

「じゃあ、昔のようにネットに投稿した方がいいです。絶対にうまくいきますから」

「でも、今のところは、何となくやる程度でいいんだ。俺はラノベを読めれば、それだけで」

「そうなんですか……ちょっと残念です。私、中学の頃に陽向汰先輩のネット小説を見て、小説を読もうって思い立って。それで先輩が通ってる高校を教えてもらったんです」

「え……? 教えてもらった?」

「あ、いいえ。そういう噂を聞いた的な、そんな感じですから。そんな深く考えないでください」

「え……でも」

「それより、私がハンバーグをもう一度食べさせてあげますので、あーんしてください」


 和香は強引に話を切り替えようとする。

 何か絶対に隠しているような気がしてならなかった。


 その疑問に、脳内が支配され始めている感じだ。


「陽向汰先輩、口元にご飯がついてますよ」

「え?」


 陽向汰が、口元に手を当てようとした直後、和香の顔が近づいてきて、そのご飯が舌で拭き取られたのだ。


 一瞬ではあったが、ほのかに暖かい和香の舌が、陽向汰の頬に接触したのである。


「陽向汰先輩。来週から私、弁当を作ってきますので、楽しみに待っててくださいね♡」


 陽向汰が言葉を切り出す前に、恥ずかし気にも頬を紅葉させる和香が元気よく満面の笑みを見せる。


 陽向汰は、気恥ずかしさに押し負け、黙り込んでしまうのであった。

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