第5話 俺の人生は、さらに狂い始める

 木曜日。

 朝のHRが終わった。


 教壇前に立つ、女性の担任教師は連絡書類をまとめ、席に座っている生徒へと視線を向ける。


「私の面子を潰さないように、一時限目は送れないようにな。わかった?」

「「「「「はい……」」」」」


 教室にいる生徒一同が、声を揃え、返答した。


 担任教師は女性なのだが、どことなく癖が強い先生である。

 見た目はいいのだが、勿体ないほどに男勝りというか、発言の仕方がハッキリとしているのだ。

 初見だとそうは見えないのだが、怒らせると何かと面倒であり、皆一同に従っている。


 クラスの陽キャらは、人付き合いが得意ゆえ、そこら辺をわきまえているのだ。


 このクラスでよかったのか、悪かったかは断定できない。が、ただ一つ断言できるのは、咲良と一緒のクラスなのが、今世紀最大級の汚点であること。




 嫌だ……。

 ああ、もう、さっきのことを忘れたい。

 早く、この教室から逃げ出したいと思うほどだ。


 朝のHR前。現在付き合っている吉岡咲良よしおか/さくらに見られてしまった。

 陽キャらに、咲良の悪口を言っているところをだ。


 こんなはずではなかった。


 咲良は朝のHRが始まる、十分くらい前に登校してくるのが定番。

 今日だけは予想を上回る結果となり、席に座っている陽向汰は頭を抱え、苦悩を感じていた。


 でも、逃げられない。

 なんせ、一時限目は体育なのだ。

 しかも、この学校の体育は基本的に自由時間のようなもので、席に座って授業するタイプと違い、生徒同士が会話しながら運動をすることができる。


 必然的に咲良と関わる機会が増えるのだ。

 体育の授業中、担当の先生は別のところで作業していることが多く、体育の見回りなどは、クラスの委員長に任せっきりになっている。


 ゆえに、先生の見えないところで、色々な問題が生じることだってあり、その問題が表面化しない場合が多く、実に怖い。


 陽向汰が椅子に座り、悩みこんでいると、大半の人が席から立ち上がる。体育専用の服を、通学バッグや教室のロッカーから取り出していた。


 そろそろ、着替えの時間に移行する頃合いである。


 杉本陽向汰すぎもと/ひなたは、もう逃れられない運命の歯車の中に取り込まれようとしていた。


 嫌だ……。

 絶望のカウントダウンが、ひしひしと遠い場所から歩み寄ってきている気がする。

 幻聴かもしれないが、陽向汰には、ハッキリと聞こえていた。






「ねえ、あんたさ、何様のつもり? 私の悪口言ってなかった? あ?」

「す、すいません」


 体育館から少し離れた、体育館倉庫の中。そこで、咲良と向き合うように立ち、頭を下げる陽向汰がいた。


 体育館の倉庫ゆえ、薄っすらとだけ、窓から外の光が入ってくる程度。

 嫌いな彼女と一緒にいると思うと、心が痛んでくる。

 収監されているような環境下に、具合が悪くなってきた。


「すいません? そんなクソみたいな言葉で済むと思ってんのか?」

「ほ、本当にすいません……」

「ふんッ、あんたみたいな奴に、バカにされる時が来るなんて。本当、イラつくんだけど。あんたさ、ホント、立場をわきまえていないよね?」

「わ、わきまえております……」

「は? なんて、聞こえなかったんだけど?」

「だから、その……」

「聞こえないって」

「あれは、その、悪口ではなく、咲良と一緒にデートできたりして、嬉しいってことを……言っていただけで……」

「……」


 咲良の睨む視線が、陽向汰の心を踏み潰すかのようだ。


 信用するかよ、といった態度を見せる咲良。


 この状況、どうすりゃいいんだよ。


 陽向汰は、俯きがちになった。


「ねえ、あんたさ。私のこと、バカにしていないのなら、私の足を舐めれるでしょ?」

「……え?」

「もしかして、聞こえなかった? もう一回言ってあげようか?」

「だ、大丈夫です……」

「じゃ、足を舐めて。丁度、体育の時間だし、靴下履いてないの」

「……えっと……直で、ということでしょうか?」

「そうよ。こんな美少女な足を直接舌で舐められるのよ。むしろ、感謝しかないでしょ?」


 と、咲良は運動靴を脱ぎ、白い肌をした足を見せるように前へと出してきたのだ。


「ほら、舐めなさい。舐めたら、さっきのこと、私の悪口の件はなかったことにするわ」

「……」

「ほら、さ、早くしてよ。誰か来たら、どうしようもないでしょ」


 む、無理だって。

 美少女って、和香のような美少女の足だったら、何とかできそうな気がする。

 こんな性格が捻じ曲がってる奴の足は死んでもごめんだ。




「そ、それだけは……い、嫌だ」

「……あんた、反抗的ね。私を怒らせるとか……」


 咲良がちょっとだけ、驚いた顔を見せる。

 まさか、奴隷のような存在が、反抗してくるとは思ってもみなかったのだろう。


「じゃあ……だったら、私にも考えがあるわ」


 咲良がそう言いかけた時。


「ねえ、咲良? どこにいるの?」


 クラスメイトの陽キャ女子の声が遠くの方から聞こえた。

 咲良はドキッとした顔を見せると、すぐさま、晒していた足を隠すように靴を履いたのだ。


「あ、ここにいたんだ。咲良……あれ、陽向汰も一緒じゃん」


 刹那、体育館倉庫の重い扉が開かれ、外から朝の陽ざしが入り込んでくる。

 すると、その女子は明るい笑みを見せつつ、中に入ってきた。

 先ほどまでのやり取りを知らないから、そんなのんきなことを言えるのだと思う。


「なに? 私に用事?」

「用事っていうか。そろそろ、一緒にバスケしない?」

「バスケ?」

「いいね」


 咲良は、普段通りに愛想の良い表情を見せている。


「それとさ、さっき、誰か大声出していなかった?」

「ちょっとね。陽向汰が、私と別れたいって大声で言ってきたの。だからね、それを宥めていたって感じ」


 ⁉

 陽向汰は、何言ってんだこいつは、と思った。

 空いた口が塞がらなかったのだ。


「そうなの? もう、こんないい人なんていないよ? 陽向汰も考え直したら?」

「……え? いや、そうじゃなくて」


 陽向汰が戸惑っていると、陽キャ女子に見えないところで、ニヤッと口角を上げていた。作戦通りといった顔つきである。


 この女は本当にヤバい奴だ。


「陽向汰。何かの間違いでしょ? 咲良と仲直りしよ。ね」


 彼女の、その優しさは凶器に近い。


 あまり余計に話を拗らせたくないと思い、陽向汰は手を差し伸べた。

 そして、咲良は応じるように手を差し伸べてきたのだ。


 二人の手は繋がる。咲良は少々強めに握ってきた。

 そんな彼女は距離を詰めてきて、耳元で囁くように言う。


「あんたさ、今日のことは覚えておきなさい。あとね、あんた、図書館系の部活をしてるでしょ?」

「……うん」

「私に、喧嘩を売ったこと。絶対に後悔すると思うわ。あんたの部活とかが無事であればいいわね」

「⁉」


 どういう意味なのか分からない。

 が、その頃には、咲良は陽向汰から距離をとっていた。


「ね、陽向汰。私たちと一緒にバスケやる? やるでしょ?」


 咲良は満面の笑みで問いかけてきた。

 この状況。拒否することなんて悪手である。陽向汰は、うん、とだけ頷いたのだった。

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