EP.22 幸せになってね。

「お、遅くないっ!?」


ばっとページュのプリーツスカートのポケットから携帯を取り出すと、大きく『10:15』と映し出されていた。


今日は、待ちに待ったあの村へ行く日!なんだけど。


日曜日にもかかわらず、向こう側に見える遊具には子供一人いない。

がらんとした公園で、じりじりと照りつける太陽に焦がされながら、ショルダーバックの紐に手をかけ、入り口の階段を覗き見る。


……やっぱり、絶対いつもの公園ってことは間違ってないよね。


もう一度携帯に視線を戻し、チャットアプリを起動させ、グループチャットを確認してみるけど、十分前に送ったはずのわたしのチャットに、応答がないどころか、既読すらも一つもついていない。


「なっ、なんで?」


そんな動揺の言葉さえも、いつのまにか鳴きわめきはじめたツクツクボウシの声にかき消され、汗が地面に滴り落ちる。

りょうに電話しようと、通話ボタンをタップし、携帯を熱で帯びた耳にくっつけた。



トゥルルトゥルル___ツーツー___

『おかけになった電話番号は、現在利用されておりません。』



「えっ」


何の変哲もないその電子音に、ぞわっと背筋に伝っていた汗が冷や汗へと一変する。


この音……どこかで、聞いた覚えがあるような。


おかしいくらいに胸の鼓動が止まない中、汗を握った手の指の先で、中野くんに電話をかけた。それでも、あの電子音で遮られる。


「⋯⋯なんで、つながらないの?」


いつもどおり変わらない、なんの変哲もない公園の中で呆然と立ち尽くす。


どこかで、どこかでこの音を聞いたような気がする。

それでも、そのどこかが

それだけ消えちゃったように、なにも記憶の糸すら探り出せないまま、片手に持った携帯を握り締める。


とっ、とりあえず、りょうの家と中野くんの家にいってみよう!

そしたら、なにがあったのかわかるかもだし!


そう思って、ばっと前を向いたとき、その目線ごと全部持っていかれるが浮遊していた。


「あっ」


一瞬のうちで中野くんの顔がフラッシュバックして、すぐ記憶の点と点がつながった。


中野くんがあの村に行くときに見たあの蝶。エメラルド色の、

その蝶が、なぜか街中のわたしの目の前で、ふわりふわりと優雅に羽を羽ばたかせているのだ。


可憐なほどに羽ばたかせる羽は、刺繍のように黒い高貴な模様が刻まれ、目が眩むようなエメラルドを輝かせている。羽ばたくごとに、その宝石を摩り下ろしたような講粉が宙を舞った。誘うように、ひらりひらりと公園の外へと舞っていく。


その光を見た瞬間、気づいた瞬間、もう既に足はその蝶へと動き始めていた。

止まろうとしても、言うことを聞かない。どんどん、どんどん走っていく。


あれ?おかしいな。

息が切れるほどのスピードを出しているはずなのに、疲労も息切れも心拍数も、なにもかもがいつもどおりで、平常どおり。


蝶の行くままに足は軽やかに回って、目線はあの鱗粉をまぶす蝶ただ一つに釘付けにされる。住宅街を抜けて、どんどんと道が開けていくと、今度は心地よいせせらぎの音が聞こえる川沿いを走っていた。右へ曲がって、蔦や苔で覆われた石の橋を渡って、その蝶を追いかけ続ける。


不意に、蝶は牡丹のような真紅の大きな花に留まった。

ふと夢から覚めたように、足も思考も我に帰る。顔を上げれば、木で作られたゲートが出迎えていた。


「ここは……。」


あの村に、来てしまった。

来れたことが嬉しいはずなのに、なぜか、歓声が喉から出てこない。

それどころか、なんだか頭が痛くなる。


「行かないと……。」


『助けて』


不意に、ゲートの向こうから鈴の音のような声が聞こえる。


『あの人を助けて。』


ぼんやりしていた声が、どんどんはっきりと色を灯して聞こえてくる。


『もう、来ないでね。』


どうして。

どうして、そんな苦しそうに、そんなことを言うの?


なんて言おうにも、金縛りにあったかのように息ができずに、体は硬直して声にならない。


『わたしのことは忘れて。お願いだから、忘れて。』


悲痛の叫びのような声が、ゲートの中から徐々に膨れ上がる。


『こんなバッドエンドは忘れて。』


内から外へ、弱から強へ、頭はズキズキと痛み出して止まらない。


助けるからと叫びたい。

今行くと伝えたい。

どうかそんな悲しいことを言わないでと抱きしめたい。


それなのに、声を出すこともおろか、手を伸ばすことさえもできなくて。

滲んだ視界の色と色が混ざり合う。パレットの絵の具のように、ぐちゃぐちゃになって、黒く染まっていく。


『幸せになってね。。』


「はぁっ」


柔らかな布団を手汗が滲む手で握りしめて起き上がる。カチカチと秒針の音がくっきりと聞こえる。

暗がりの中、ぼんやりとクローゼットや勉強机が視界に映し出された。


「はぁ……はぁ……」


ドキドキと心臓が蠢いて止まらない。汗で額にへばりついた前髪を手で触る。


「夢、か。」


首を動かして窓を見れば、まだお月様が昇っていた。月光が、布団を握りしめた手を照らす。


ただの悪夢じゃなかった。いつも見る、あの「案内人」さんの夢じゃない。


「あの声の人……。」


鈴の音のような愛らしい声で、「」という名前を言っていた。

そしてあの村。あの村に、「呪われた妖精」がいると言っていた。

もし、さっきの声の主と「呪われた妖精」が同一人物なら。


『幸せになってね』


その言葉が、耳に張り付いて離れなかった。

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