EP.20 記憶の齟齬

遠くにある無人の遊具には、眩しいくらいの橙色の光が当たっている。

坂の斜面に位置するこの公園は、見晴らしもよく、風も吹き抜けていく。大木の下にあるベンチに並んで座りながら、ただ隣にいる黒い影に埋もれた中野くんの顔を見つめていた。さっきの芝居がかった笑顔は取っ払って、目元を少しだけ腫らした中野くんは、静かに息を吐いた。


「この間の調査チーム会議の日の夜にさ、変な夢を見たんだ。」


変な、夢?


「そう。でも、夜中に目が覚めてわかったんだ。これ、昔起こったことだったって。」

「それが、俺らに隠してたバッドエンド……呪われた妖精、なのか?」


中野くんのさらに横に座っていたりょうが、顔を覗き込んで呟く。

木陰の色がくっきりと映っている中野くんは、こくりと頷いて、ゆっくりと穏やかな風に乗せて語り始めた。


「……あの村で遊んでた時、ふと目に止まった家があったんだ。家の前にたくさんの花が置いてあって、どれも枯れていなくて綺麗でさ。探検だっていって、その家に飛び込んで行った。それまであの村に人なんて見当たらなかったから、チャンスだと思って。」


家の中に入ると、やっぱりたくさんの花が飾られていて、花屋さんみたいな内装だったそう。


「そしたら、奥の方で何か物音がしたんだ。気になって、花道みたいな店内の奥に進んで行った。」


ふと、中野くんの唇が緩んだ。


「いたんだ。そこに。花に水をやっている女の子が。」


水平線上に暮れ始めた日の光が、中野くんの儚げに潤む瞳に灯っていた。


「名前は、思い出せない。だけど、その女の子とすぐ打ち解けたのは覚えてる。一緒に外に出て、村を案内してもらって、たくさん遊んだ。」


そしたら、と続けた言葉に、玉のような瞳が揺らいだ。

穏やかだった表情が、色をなくしたように強張って、大きな手は無造作な髪をくしゃっと乱していた。


「そしたら……いつの間にか、初めの場所に立っていたんだ。あの、綺麗な花が置いてある建物の前に。きっと何かの間違いだと思って、扉を開けて店内の奥に入ると、またいるんだ。彼女が、さっきと同じように。」


不思議なことに、彼女は中野くんと初めて会ったように接して、前起きたように仲良くなった。まるで、ビデオを初めから再生しているかのように、何もかも前と同じ状況で。


「また日が暮れて、帰ろうとしたらまた店の前にいるんだ。信じられなかった。それから何を思ったのかはあまり思い出せないけど、何度か同じことを繰り返して、それで最後彼女に聞いたんだ。『なんで繰り返すのか』って。そしたら彼女はこう言ったんだ。」


そのオークの瞳が、ゆっくりと、滲んでは揺れて、揺れては滲んでを反復する。

前のめりに座った姿勢のまま、膝は少し震えたまま。

太陽が坂道に隠れてしまった暗がりで、掠れた声が地面に落ちた。


「私は妖精だから、って。外に出させない、って。背中には半透明の綺麗な羽が在った。」

「……つまりは、信太をあの村から出られないようにしてたってことか?」


中野くんの背中に手を置いて、静かに切り出したりょうに、顔を向けずに頷く。

表情はわからない。なのに、見える背中はあまりにも小さい。


「きっとまた出会ったら、あの村に引き摺り込まれる。美野里ちゃんやりょうに迷惑がかかる。彼女は……呪われた妖精だから。」


喉から絞り出すように出された声は、とても苦しそうだった。

まるで身体自体がその言葉を拒否しているかのような、苦しそうな話し声。


「……中野くん、呪われた妖精って、本当に思ってるの?」

「え?」


違和感よりも先に声が出る。

ふと反射的に顔を上げた中野くんと目が合った。潤んだ瞳から、暗い涙が溢れている。


「おい美野里!信太はしっかり今話してくれてるんだから、変な憶測は良くないぜ。」

「ご、ごめん。ただ、ちょっと中野くんが苦しそうだったから……。」

「それは苦しいに決まってるだろ。閉じ込めようとする妖精だぜ?そんなトラウマを話すのは苦しいだろ。」


そ、そうなんだけど!


「でも、中野くん、その女の子のこと話してるときは、苦しそうじゃなかった。顔も緩んでて、嬉しそうだったよ。だから、あの女の子のこと、本当はそんな人じゃないって思ってるから苦しいのかなって。」


中野くんは、瞼を開けて、その宝石みたいな瞳を覗かせたまま固まっている。

そして、ふと澄んだ涙がこぼれ落ちた。一粒、一粒と、流れ落ちては、柔らかな土へと消えていく。


「……中野くん?」

「い、いや、嘘、じゃないんだ。りょうの言ってる通り、本当に、呪われた妖精なんだ。みんなの危険になる、ひどい妖精、で……。」


それでも、頬から伝う涙は止まらない。

必死に言葉を繕っても、その言葉の分だけ、心臓をえぐられたように苦痛の色を浮かべたような顔をする。その反抗が、あまりにも痛く可哀想で、いても立ってもいられなくなって、口を開けてしまった。


「わたし、中野くんが今話したことは嘘だと思ってないよ。でも、中野くん自身が、中野くんの気持ちに嘘をついてるんじゃないかって。」

「嘘なんて、ついてない。彼女は、みんなを害する存在だっ。だから、もう2度と会っては行けないんだよっ」


立ち上がって、そのほんのりと焼けた腕で顔を拭う。


ああ、またそんな顔をする。自分に言い聞かせてるみたいな顔をする。


「じゃあ確かめに行こうよ。中野くんの気持ちを。」

「行かなくていい、もういいんだっ。あの子のこと、けど、でもこれでいいんだ。言ったらみんながあそこから出られなくなる。それだけは絶対にだめなんだよっ」


普段とは違う、荒々しい中野くんの声は、ずっと震えていた。

やっぱり、中野くんは。もしかしたら、記憶の齟齬があるかもしれない。もし、本当にそうだったら、どこかで中野くんは一生後悔するかもしれない。


「わたしは、こないだの喧嘩みたいに中野くん一人が負担を背負う方が嫌だ。」

「それは……。」


苦虫を噛み潰したように、眉間に皺を寄せる。子供が拗ねたような目つきに、つい微笑みが漏れる。立ち上がって、横を見てやれば幼馴染もほぼ同時に立ち上がって、屈託のない笑みを浮かべていた。


近くの街灯がチカチカと点滅し、点灯する。子供みたいに、頬を濡らして目を腫らした彼の方に、しっかりと向き合った。


「知ってしまったら、もう行くしかない。前へ進むしかない。」

「それに、俺らもう結成当初から危険は覚悟してたしな。」


ねー!と二人で笑い合うと、中野くんはゆっくりと瞬きをして、力の抜けた唇から空気が漏れる。


「本当に……本当に、大丈夫なの?」


りょうと顔を見合わせて大きく頷く。

すると、また瞬きをゆっくりして、そして、緩やかに笑顔になった中野くんがそこにいた。


もう、取り乱しても、演じてもいない、いつもの中野くん、素の中野くんがそこにいた。


「……ありがとう。ごめんね、反対は取り消すよ。」


そう言って、気の抜けた微笑みを見せる。水平線上から、大きなお月様が顔を見せ始めていた。


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