EP.19 和解は小さな雨の中で。

「十六夜先生!?」


屋上の出入り口の壁にもたれかかって、腕を組んでいる背の高い女性に思わず声が漏れた。

シックな黒髪は太陽に照らされ青白く靡いている。その絹のような長いポニーテールに、無駄なく整えられたセンター分け。白い肌から見えるその瞳は青い炎が揺らめいている。

初夏だというのに黒のインナーを着て、その上から白いジャケットを羽織った、すらっと足の長い美人な人。


「さぞ次回の小テストは自信があるのだな。恋人と談笑してる暇があるくらいなのだから。」

「こ、恋人じゃありませんっ。ていうか、テストと関係あります!?」

「ああ、ある。大有りだ。」


カラッと晴れた空に似合わない重たく沈んだ声と独特な言い回し。

十六夜先生。清野高校の歴史教師であり、生徒指導の先生でもある。すごく美人な先生なんだけど、その独特の雰囲気とあまりにも変わらない表情があって近寄りがたいんだよね。


「すみません。時間を見ていませんでした。」


後ろから現れたりょうは、そう言って軽く頭を下げる。それに対して、先生はふん、と鼻で笑った。


「どこぞの赤点娘と違って、しっかり謝れるようだな。全く、見習って欲しいものだ。」

「す、すみませんでした。」


ぐうの音も出ない。にしてもなんで屋上に十六夜先生がいるんだろ?

いつもは生徒しかいなくて、十六夜先生どころか先生自体来ない場所だと思うんだけど……。


「屋上の利用を控えるようにわざわざ君たちに忠告しにきたんだよ。最近暑くなり始めたから熱中症予防でこの屋上にいる生徒に話しておけと上司に言われてね。」


生徒指導は面倒なものだ、と先生らしからぬ発言をこぼして、その絡まり一つない髪を肩から手で払う。


「わかりました!以後気をつけます!」

「おまえはテスト勉強にも集中しろ。いらぬことに首を突っ込まないように。」


軽く頭にチョップをくらい、反射的に目を瞑ってしまう。

ちょ、わたしにだけ当たり強くないですか!?


「ごちゃごちゃ言ってないで、予鈴なったぞ。急げ急げ。」

「すみません、失礼します。ほら美野里行くぞ。」

「ちょ、なんかわたしの扱いだけ雑くない!?」


なんか都合よく丸め込まれた気がするけど……。


しかし、ワーワー騒いでも結局屋上の出口に押し込まれてしまい、蒸し暑い階段を下っていく。階段の踊り場で少しだけ振り返ると、屋上への扉の鍵を閉めた十六夜先生と目があった。ふと、スロープに手をかけたまま立ち止まってしまう。


「……先生?」

「美野里、早く行かないと遅れるぞ。」


十六夜先生の目が恐ろしく冷たかったけど気のせい、かな。うん、気のせいってことにしよう。それより今は中野くんのことを考えなくちゃ。


「うん、今行く。」


止まった足を再び動かして、振り返らずに階段を降りていった。



___________________




スマホの画面を眺める。画面上には「18:30」と映し出されていた。

夏至を通り過ぎた夕暮れはまだ明るく、このちっぽけな公園にも日が届いている。わさわさと乾いた風が吹いて、木陰も揺れ動く。わたしもまた、胸が揺れ動いていた。


「中野くん、来てくれるかな。」

「……来てくれるよ。きっと。」


本を読んでいた幼馴染が、ふとこちらに視線を向けた。

小学生も大人もいない公園は、ちょっぴり静かで余計胸がざわつく。

今日は中野くん生徒会のお仕事があるから、「六時半に公園にきて」っていうメッセージを送って、一旦着替えてからこうしてここで待ってるわけなんだけど。


「……美野里、来たぞ。」

「えっ!?」


思わず立ち上がって公園の入り口の方に首を動かす。小さな石の階段から、白いTシャツを着た、くりっとした目をわたしに向けた男の子が現れた。

妙に静かな空間が出来上がる。口角は上がっているのに、その柔らかな瞳は笑っていない。


「……中野くん、忙しいのにごめんね。」

「大丈夫だよ。でも、りょうがいるとは思わなかったな。」


背後にいるりょうは、何も言葉を発さなかった。苦笑した中野くんは、半歩前へ踏み出した。


「それで、どうしたの?もしあの村に行く説得をするのなら、僕の考えは変わらないよ。」


やっぱり、いつもの中野くんじゃない。でも、悪に変わったというわけじゃない。

わたしたちのために、わざと「悪」になったふりをしている。

わざと、自分を嫌われるようにしている。


よくない。よくないよ。

なんでもないように振る舞って、口角を無理やり上げて震えているのに。


「中野くん、あの村のこと、思い出したんでしょ?」


絞り出した言葉に、手を握る力が強まる。


「中野くんが中学生であの村に行った時のこと。わたしたちに伝えた以外の、嫌なことを思い出しちゃったんでしょ?」


中野くんは言っていた。あの村へ行かないのがだって。そんなこと、実際自分が体験しないと分からない。


中野くんは一度だけあの村へ行ったことがあると言っていた。


調査チームに入る前に教えてくれたけど、あの時はまだ中野くんは村に行くことに賛成してた。それに、その前中野くんはあの村のことをだと思って忘れていたんだ。


「知らなきゃよかったことを、知っちゃったんだよね。思い出しちゃって、わたしたちに危険が及ぶからって村に行くことを阻止しようとした。」


中野くんの無理やり上げた口角が下がっていく。その淀んだ目は、苦しそうに歪んでいた。


「でも理由を言えば、その知りたくないバッドエンドをわたしたちも知ってしまうから、周りを巻き込んでしまうから、言わなかった。自分を悪者にして、わたしたちを守ろうとした。そうでしょ?」

「……そのバッドエンドが何なのかは、わかったの?」


日が傾き始める。木陰の影がすっぽりと中野くんを包み込んだ。


「それは……まだ、分からない。」

「じゃあ何を言いたいの?同情しても、僕の考えは変わらないよ。」

「信太。」


不意に肩に手が置かれる。顔を上げると、斜陽が当たったりょうが、頭を下げていた。


「ごめん。信太。信太が俺たちのこと考えて助けようとしてくれてたこと、一人でつらかったのを堪えていたこと、全く気づかずに信太のことを責めて、本当に悪かった。」

「……りょう。」


目を見開いて、ただ固まっている。

ふと、そのビー玉のような瞳が緩む。目を伏せた。


「厚かましい奴だっていうことはわかってる。でも、教えて欲しいんだ。信太が思い出したこと。別に『知らなきゃよかった』なんて思わない。たとえ思ったとしても、信太が味わった苦痛は、俺も味わうべきなんだ。」


乾いた風が頬にあたる。一歩踏み出して、手を胸に当てて、叫ぶように伝えている。


知らなきゃよかったこと。その言葉の重みは、きっとわたしたちと中野くんとじゃ全く違う。それでも。


「ごめんね、中野くん。わたし、きっと『知らなきゃよかった』っていう後悔よりも、『何も知らなかった』っていう後悔の方が、一番辛い。」


わたしだって、中野くんが味わった「苦痛」を味わうべきなんだ。


「教えて欲しいの。だって、わたしたちは友達で、チームメイトなんだから。」


呆然と立ち尽くした中野くんの手を取った。氷のように冷めている手が、じんわりと熱を帯びる。


ふと、その手にが降った。


一粒、また一粒と、徐々に激しくが降る。

気づくと、目の前には、頬を濡らして唇を噛み締めた少年がいた。


「……妖精に、会ったんだ。呪われた、妖精と。」


雲ひとつない藍色の空の下、傾きかけた日を置いてこの三人の中だけはしっとりとが降っていた。

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