EP.6 女王様

「顔を上げて御覧なさい。」


頭の中でじんわりと、暖かな声が響いてこだます。


あれ⋯⋯?なんでわたし、聞こえるんだろう。

もしかして、ここが天国?


すっと重たいまぶたを持ち上げると、地の硬い感触と同時に、まっさらな風景がとびこんできた。


「ご無事ですか?」


どこか儚いのに凛とした声色にはっきりと目が覚める。横倒れていた体を起こして、辺りを見渡す。さっきもいったとおり、物も人も動物も、道や空すらもない。


ただただ霧のような、濃い真っ白な世界が、どこまでも続くイメージの、屋外か屋内かもよくわからない場所に、わたしは倒れていたのだ。そして、視界をずらしていくと、今度は見慣れないレースがわたしの目の前に現れる。


そのレースをたどっていくと、その真っ白い背景に混ざるような、白いロングドレスをまとった女性にたどりつくのだ。


「え⋯⋯?」


驚いた。

驚いた、というよりかは、圧倒された、のほうがあっているのかもしれない。


まっさらなこの空間を彩るような、金色の髪は、雪の地に余裕でとどいていて、川のように、波を描きながら先へ先へと流れていく。


雪のような白い肌に、野いちごの唇が小さく微笑む。

ペールからのぞく瞳は、純粋純潔なルビーが見え、頭に乗せられたティアラと輝きはほぼ互角だった。首もとのダイヤモンドのようなネックレスがかすかにゆれ、女の人はわたしに細い腕を差し出してくる。


「手をお取りになって。」


こんなにも美しい人には出会ったことがなくて、少々動揺してしまうも、静かにその手をとった。


「あ、ありがとうございます!天国の⋯…お方?」

「ふふっ。ここは天国ではございませんわ。」


え!?嘘でしょ!?

ここが天国じゃなかったら、わたしはどこに飛ばされたの!?

あ、もしかして今はやってる「あれ」かな。転生しちゃう系の。


「大丈夫ですわ。貴方様は活発でいらっしゃいますから。」


当たり前のことを、ゆったりと、上品な言葉で確認され、目がテンになった。


ん?あれ、わたし生きてるの?


「さようでございまして。貴方様の願いが、私に届いたのですわ。」


⋯…わたしの、願い?

そういえば、この女の人、どこかでみたことがあるような。


「誰かのために、全力を尽くしていける人になれるように、と。」


沈着に、一言一言を大切に扱う姿が、この世に存在しないくらいしくて儚くみえる。


ん?



「あの、もしかして貴方は、じょ、女王様?」


しどろもどろの言葉でそうきくと、たれ目がきゅっと細くなる。


「さようでございますわ。改めまして、ごぎげんよう。」


軽くひざを曲げ、レースの純白ドレスの裾をちょこんと持ち上げ、会釈する姿に、ぽかんとなる。


……え?状況把握しきれてないの、わたしだけ?

だって、だって、図書館で見た女王様が、今、わたしの目の前にいるなんてだれも思わないよ!!


「ほ、本当ですか?」

「美野里様のお言葉どおりですわ。」


この人が、妖精界の、女王様⋯…


たしかに見た目が異常なくらい、この世でいないよう美貌だし、なんとなく異世界の人みたいな風格はあるけど、ほんとに、妖精界の女王様だなんて、そんなこと⋯…。


「美野里様は、あの子をお助けになりたいのでして?」


さっとあげた右手の手のひらから、きらびやかに輝く手のひらサイズの水晶玉が現れる。その水晶の中には、赤とオレンジが混ざり合うような色が映し出され、その狭間をもがくように、必死に窓辺に近づこうとする、男の子が映った。


「りょ、りょうっ!!」


張り付くようにして水晶をみつめるわたしに、女王様は、水分をいっぱい含んだ唇をかすかに震わせた。


「りょう様は、美野里様をお助けしたいと、おっしゃっておりましたわね。」


『俺の願いはっ。美野里が生きてくれること、ただそれだけなんだよっ』


ふいによみがえる金切り声は、わたしの頭にささって取れない。


「りょう様は本当に、美野里様のことを、大切に存じていたのですわ。」


刹那、のどの奥で止めていた何かが、目からあふれて、流れ落ちた。


今までの緊張と切迫の中で、泣きたくても泣けなかったからか、とめどなくあふれてくる。


「おねがいしますっ⋯⋯うっ⋯…りょうを、助けてくださいっ⋯⋯」

「大丈夫ですわ。私がその御願いを、かなえて差し上げまして。」


ふわっと暖かく、やわらかく、包み込んでくれる。

ひなたぼっこをしているような心地よさに、涙腺がゆるむ。


「うあああああぁぁぁぁぁぁああああっ」


怖かった。


悲しかった。


いやだった。


火事の有様をこの目でみたとき、同時に未来が視えた。

りょうが倒れこんで、深く眠りこんでいる未来。


そんなの見たくなかった。考えたくなかった。

嫌な想像は振り払って、自分のできることをやろうと、思っていたのに。

りょうのやさしさには勝てなかった。


やさしさに甘えたわたしは馬鹿だ。馬鹿で大馬鹿者だ。

もしあのとき、りょうのことを振り払ってでも木に登っていれば、こんなことにはならなかったのに。


「美野里様だって、最善を尽くしていたではありませんか。りょう様と美野里様はご一緒ですわ。」


そんなこと、そんなことないです。


「ご自身の尊い命を愛するお方のためにささげになる⋯⋯それはとても、簡単ではないですのよ。」


微笑む女王様の、その透明に輝くルビーの結晶が、ふいにぼやけた。


「あ、ありがとうございますっ⋯⋯本当に、ありがとうございますっ」


かすれた声ですがるようにお礼を伝える。

女王様はすごいや。わたしが想像していた女神そのものなような気がする。


「ふふっ。こちらこそありがとう存じますわ。私も、また美野里様にお助けになられたようですわね。」


頬がべたべたになるまでないた顔の自分とは真反対なほど、透けるように水分を含んだ肌に、さらさらと金髪が揺れた。


お助けになられた⋯⋯って、わたし、そんな、女王様をお助けした覚えは一度もないんですけども!?


「そうおっしゃらないでくださって?美野里様は気立てが良くていらっしゃること。」


霧のようなペールで包まれた顔の頬に手を当てる姿は、世界美女ランキングでトップをとるほどの見栄えだ。そんな女王様に若干うっとりしながらも、そんなこといわないでください、と念を押した。


「きっと美野里様はあの方に⋯⋯」


麦わらのような黄金色のまつげを下に下げながら、ぽつりとつぶやくその言葉に首をかしげる。


「あの方、ですか?」

「いえ、こちらの御話でしてよ。」


そろそろお時間が、と抱いていた腕を緩め、ちょこんとウエディングドレスのようなスカートを持ち上げて、真っ直ぐ伸びていた背筋をすっと折り曲げた。


「では、ごきげんよう。美野里様。恐れ入りますが、最後に、美野里様のお願いをおっしゃってほしいのでして?」


わたしの願いって、りょうの願いは、いわなくていいのかな?


見上げると、5〜10センチくらい身長が高い女王様は、さっきと変わらず女神のように微笑んでいる。その様子に、わたしも笑い返しながら、女王様の腕の中で目を瞑り、暖かさに包まれながら口に出した。


「りょうを、助けてください。」


暗かったまぶたが、一瞬フラッシュがたかれて、また真っ暗に戻っていく。眠りこけるように、どんどんと意識が遠のく。黄金色の髪が、さらさらとなびく、その和らげな表情が、脳裏にちらついた。


女王様⋯…。わたしは⋯⋯。


いいかけようとした瞬間、すぅっと引き込まれるように意識を失った。

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