EP.5 ネガイゴト
清野高校の門を潜り抜けて、まっすぐ道を進んでいくと、やがて交差点に出る。美香は交差点の左側へ、わたしは交差点の右側へと続く道が帰り道だ。
「じゃあまた明日〜」
そういって美香と別れて数分で大通りともお別れをして、住宅街を一人で歩いて帰っていた。
まだ蒸し暑い。ハンカチで何度も首周りを拭いても、汗は滝のように流れてくる。
こんなんじゃ夏休み倒れちゃうよぉ⋯⋯。体制をつけなきゃね。
なんて、思いながら、りょうの家がちょうど見える位置に来た。
「え⋯…?」
信じられない光景に、目を疑う。破裂するように心臓が鼓動を大きく打ち始めていた。
目をかっぴらいて、りょうの家らしきものを見る。
燃えていた。
ごおごおと、大きな音、地ならしのような音をたてて、燃え盛っていた。
「りょう⋯⋯?」
りょうっ!!!
かばんを放り投げて、りょうの家めがけて走り出す。黒い煙が辺りに充満していた。
煙を避けるように、りょうの家から数メートル離れた道に立ち尽くす。
いや、いやだ、なんで、りょうの家がっ
「りょうっっ!!!いたら返事して、おねがい!!!」
馬鹿うるさい声で、そう叫びまくる。
すると、二階の窓が勢いよくあいたとおもえば、もくもくと立ち上る煙から、人影が見えた。
「美野里っ。逃げて、早くっ。ごほごほっ。おばさんたちにも連絡して逃げろ。燃え移る!!」
ところどころむせたりする声が、頭に響き渡る。
逃げろなんていわれたって、見過ごせるわけない。見殺しになんてできない。
「まってて、りょう!!わたし、なんとか助けるから!!」
電話を汗ばむ手で取り出し、いそいで「119」と番号を打ち込み、通話ボタンをタップする。
トゥルル――トゥルル――ツーツ――
『おかけになった電話番号は、現在利用されておりません。』
「え⋯⋯?」
何度やってもつながらない。ネットで検索しても、なにをやっても、「消防署」というものは、出てこなかった。
「だ、誰か!!!誰か助けてください!!!友達とその家族がこの家の中にいるんです!!誰か!!」
叫んでもだれもいなかった。通行人どころか、近所の人のインターホンを押しても、返事一つ返ってこなくて。
な、なんで?なんで、だれもいないの?
「おかあさんっ、おとうさんっ」
きょう、お母さんは有休で、夜ご飯にからあげ作ってくれるって、そういってた。
いそいで玄関に飛び込んでみても、居間にはだれもいない。電話をしてみても、さっきと同じことが起こってしまう。
「りょうっ!!!生きて、お願いだから、あきらめないでっ」
「いいからおまえは逃げるんだ⋯⋯ごほっ、ごほっ。美野里だけでもいいから逃げろっ」
炎は絶頂で、りょうのいる二階まで上昇してきてしまった。
窓辺にいるりょうも、立っているのが精一杯なくらいだ。
なんとかしなければ、りょうは―――
そんなの、そんなの絶対いや。わたしがなんとかしなきゃ。
あたりを見渡せば、ほとんどのりょうの家周辺は、やけ焦がれていて、使えそうなものがあまりなかった。
けれど、りょうが顔を出している窓の方角には風は流れていないようで、いくつか生きている物を見つけれた。
「りょ、りょう!!わたし今からそこまで上るから、気を失っちゃだめだからねっ!!」
目の前の炎を睨み返して、一番家に近くて、まだ燃えていない庭木のそばにいった。あと五分も絶てば、この木に炎が燃え移りそうな、そんな場所に立っている。
幸い、木のてっぺんよりちょっと下の枝に登れば、りょうの窓辺にたどりつくことができる。
他に方法がないのだ。わたしが最善を尽くしてできる方法は、これしかないのだから。
邪魔くさい革靴をぬぎかけたそのとき、金切り声がわたしの耳をつんざいた。
「やめてくれっ。やめてくれ、美野里っ⋯⋯ごほごほっ。美野里までが、死んじゃう」
消えかけた声にかぶさるように、ごおごお、ぱちぱちと、燃え盛る音が、すぐそばで聞こえる。
熱い。皮膚がただれるように熱くて、気管に容赦なく灰が入り込んできて、むせ返る。
「むり、むりだよっ⋯⋯ごほっ。あきらめるなんて、そんなこと」
「俺の願いはっ。美野里が生きてくれること、ただそれだけなんだよっ⋯⋯ごほっ、だから、来るな」
そんなこと、いわないで。
本当は、足ががくがく震えてとまらないの。
脳裏であっちゃいけない未来がみえてきちゃうの。
だから⋯⋯
言い争いをしているうちに、炎はこれみよがしに勢力をあげていたらしい。見る見るうちに膨れ上がり、上ろうとしていた庭木に、火がぼんっと点火した。一瞬にして炎に侵食されていく木に、望みも希望もまるごともっていかれたような気がした。
りょう⋯⋯りょうっ!!
「ああ、よかった。ごほっ。時間、稼げて⋯⋯よかった」
途切れ途切れの言葉にはっとして上を見上げる。
どこか安堵したような、いつまでもやさしげな笑顔で微笑んでいる幼馴染の姿は、上昇してくる炎で見え隠れしている。
まさか⋯⋯わたしを、生かそうとして⋯⋯!!
「りょうっっ!!!!」
死に物狂いで叫んで、立ち上がった、その瞬間。
「美野里っっ!!!」
さっきまでやわらかな微笑みだった姿とは一変した荒げた声に、思わず振り返る。
炎が燃え盛る音も、耳鳴りのようななり続ける暴風の音も、全部無音に変わった。スローモーションのように、目の前の光景が、鮮やかな赤に塗りつぶされる。
窓辺から、いままでみたことのないような、目をかっびらいてなにかを叫ぶりょうの顔が視界の端でちらつく。
「あっ」
瞳に映る。さっきまで炎で包み込まれていた庭木が、ぽっきりと簡単に折れまがって、傾く姿を。張り裂けた心臓も、せきこみそうな器官も、一瞬時がとまった。
ああ、女王さま。
聞こえますか?
わたしを助けなくてもいいので、どうか。
どうか、りょうを助けてあげてください。
どん、と沈痛な音がとどろいて、おかしいくらいの地鳴りがした後。視界が消えた。
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