第49話 涙の再会
「よくお似合いですよ」
「あぁ。良いんじゃないか? 頭はどうする? 女は多少飾り気があっても問題ないんだろ?」
神官や神官見習いは公の行事に参加する時は指定された衣装を着なければならない。
ハーディスは神官として参加するか、見習いとして参加するかでアスクレーを交えて相談を繰り返していたために衣装作りに着手するのに時間が掛かってしまった。
衣装に袖を通すのは仮縫い以来である。
乳白色の生地をメインに使っているので全体的に柔らかい印象を与え、袖口や裾にあしらった銀糸の刺繍が清廉された雰囲気を作っている。
ハーディスは相談の結果として神官見習いとしての参加となる。
アスクレーとルマンが神官としての参加を勧めるのに対して反対したのはブラウンだ。
理由としてはハーディスが今後もずっと神官として神殿に留まり続けるかどうかの見通しが立たないから。
以前もブラウンはハーディスが神殿に身を置くことを快く思っていないと感じたことがあったが、それには理由があるらしい。
神殿に神官として仕えれば、様々な苦悩や我慢を強いられる。
女であるハーディスは男とは違う苦痛もあるかもしれない。
見習いと違って神官ともなれば公の場所への顔出しも多くなり、知名度が高くなれば、色々な思惑を持った人間が近づいてくる。
義務や責任も見習いよりも格段に増え、逃げたくても逃げられなくなるかもしれないと、ブラウンはざっくりと説明してくれた。
しばらくは神官としてではなく、見習いとして身を置くのが良いだろうという結論に至った。
ただハーディスが気に入らないという理由ではないことは知っていたがハーディスのためにそこまで考えてくれているとは思わなかったので意外だった。
「えぇ。あまり派手でなければ問題ありません」
姿見の前に立ち、ギリギリ仕上がった衣装を纏って全身を確認するハーディスの横でブラウンはルマンとアクセサリーの相談までしてくれている。
嫌われてはいないってことよね。
それを知ることができ、改めてほっとする。
「あの、私、アクセサリーなどは持ってきていませんのでこのままで……」
元々、アクセサリーなどの装飾品はほとんどない。
外出用にいくつか古いデザインのものはあるが、この衣装には合わないだろう。
「ご心配なさらず。こちらでご用意しておりますので」
抜かりはありませんとルマンは言う。
「いえ、あの……アクセサリーは無理に付けなくても……」
ハーディスはパーティーに来たつもりはないし、知っている顔もあるため、あまり目立ちたくない。
前夜祭の最初だけ会場に足を運んで、適当な頃に部屋へ戻るつもりだ。
目標は誰にも気付かれず、誰にも絡まれず、壁の花に徹することである。
「あの花のやつなんて良いんじゃないか?」
「細かい石がついたものもお似合いになりそうですね」
ハーディスの心など知らず、二人はあれこれ案を出し合っている。
「そういえば、そろそろ着いた頃かもしれません」
「あぁ。そうだな。呼びに行くか」
思い出したようにルマンが言うとブラウンも頷く。
何かが届くのでしょうか?
ハーディスが疑問に思っているとルマンがニコニコと人の良さそうな笑みを浮かべる。
「きっと驚くと思いますよ」
「驚く?」
一体、何に驚くのだろうか?
「ふふふ。すぐに分かりますよ」
何だか楽しそうな様子のルマンにハーディスはますます意味が分からない。
「まぁ、少し待っていろ。ルマン、俺達も準備をしよう」
「えぇ。ハーディス様、もう少しこちらでお待ち下さい」
そう言い残して二人は部屋から出て行く。
しかし閉じたドアがすぐに開かれた。
「不用心にドアを開けるなよ。いいな?」
ブラウンが顔を覗かせてハーディスに念押しする。
「危機管理はきちんと行えと言っているんだ」
「危機管理?」
「頭のおかしい奴もいるんだよ。女なんだから特に気を付けろ」
小首を傾げるハーディスにブラウンは少し苛立ったような口調で言う。
「わ、分かりました」
真顔で言うブラウンにハーディスは戸惑いながら返事をするとブラウンは大きく頷いて今度こそ出て行った。
クスクスと笑うルマンの声が遠ざかる頃、ハーディスは部屋のドアに鍵を掛けて椅子に腰を降ろした。
心配を……してくれているのよね……?
空き部屋に連れ込まれたり、人気のない場所で乱暴されたりと女性が被害に遭う話はたまに耳にする。
被害に遭っても女性側が事件を大事にすれば女性自身も家門も傷が付く。女性は一生傷物のレッテルを貼られ、結婚も叶わないこともある。婚約者がいれば婚約破棄もあり得る。
女性側は心に傷を抱え、生きなければならない。
ブラウンはハーディスがそんな目に遭わないように注意してくれたのだ。
「気を付けなければなりませんね」
私をもし襲おうと考えている人がいたら、私の場合はうっかり命を奪ってしまうかもしれませんし。
傷や臓器の再生や修復は可能でも奪った命はハーディスでも取り戻せない。
「気を付けなければ」
ハーディスは自分自身に強く言い聞かせる。
コンコンコンと部屋のドアを叩く音が小さく響く。
ルマンかブラウンだろうか? それとも何か忘れ物か、言い足りないことがあったのかしら?
そんな風に思いながらドアに向かって一歩踏み出した時、先ほどブラウンに受けた注意を思い出す。
いえ、そんなまさか……。
注意を受けて早々、不審者が現れることなどそうそうない。
しかし、油断は禁物だ。
ハーディスは少し警戒しながらドアの前まで移動した。
「どなたですか?」
ドアの向こうに人の気配を感じ、問い掛ける。
「ルマン様、ブラウン様から貴女様のお世話を命じられました。開けて頂けませんでしょうか?」
中年ぐらいの女性の声がドア越しから聞こえてきてハーディスは目を見開く。
その女性の声は微かに震えていて、ハーディスはその声に聞き覚えがあったからだ。
ハーディスは警戒を解き放ち、勢いよくドアを開けた。
そこに立っていたのは一人の女性である。
目元を潤ませ、無理に笑顔を作ろうとしていた。
「ソマリ……」
ハーディスがポツリと呟くように名前を呼べば、優しく温かな笑みをハーディスに向けた。
「はい、ソマリでございます。お嬢様」
ソマリは眦に溜まった涙を零しながら答える。
それと同時にハーディスの瞳からも涙が零れ、吐き出す息が震えた。
どうしようもない嬉しさと、驚きで胸がいっぱいになる。
「お一人にしてしまい、申し訳ありませんでした」
涙ぐみながら謝罪をするソマリにハーディスは首を振る。
長年自分に仕えてくれたというのに、ハーディスはお礼らしいお礼が何もできないまま、家を出た。
ハーディスが家を出てから、そのままあの屋敷に仕えているのか、辞めたのか、辞めさせられたのか、ソマリのことが気掛かりだった。
思いがけない再会に気付けば二人は抱き合い、再会を喜ぶ涙を流していた。
「さてさて、お嬢様、こうしてはおられませんよ。女性の身支度は時間が掛かりますからね」
「ふふ、そうね。そうだったわね」
ハーディスを急かす口調も何だか懐かしく感じられ、自然と笑みが零れた。
感動的な二人の再会を影からこっそり見守る姿があった。
「良かったですね」
「そうだな」
ルマンは微笑ましい光景を前に涙ぐむ兄に小声で声を掛けた。
『ハーディスの身の回りの世話をしていた者がいたらしい』
ハーディスの身辺調査を行った際にブラウンが気に留めていた人物がいた。
『敵ばかりの屋敷の中で唯一の味方だったようだ』
そう言ってソマリを探すように命じたのもブラウンである。
兄は厳つい見た目とは反対に優しく面倒見の良い性格で、ややおせっかい。今回も兄の人の良さが出たのだ。
ルマンはそこまでしなくても良いのではないかと思ったが、嬉しそうな笑顔を見せるハーディスを目にして今回は兄の言葉に賛同して良かったと思った。
涙を浮かべて微笑む彼女はまるで静かな夜に浮かぶ美しい月のようだ。
やはり女神だと思わざるを得ない。
「女性は笑顔が一番ですね」
「そうかもな」
ハーディスとソマリが部屋に入るところを見届け、二人もその場を後にした。
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