第42話 参加の理由
ハーディスは廊下の壁にぴったりと身を寄せて、曲がり角の向こう側の様子を覗き見る。
自分の目に映るのは幻ではないらしい。
何故彼がここに……?
ハーディスは首を傾げながら、ノバンの背中を見つめる。
あれは……へラード・ヘンビスタ侯爵かしら。
最初はノバンの影になり見えなかったが、少し視点をずらせばノバンの兄であるへラードの姿もあることに気付く。
まさか、あの二人……狩猟大会に参加するつもりなのでしょうか。
ハーディスの記憶ではノバンが狩猟大会に参加したことはなかった。
それが一体どういう風の吹き回しでこの場所にいるのだろうかと首を傾げずにいられない。
それもよりによって私がいる今回に限って何故……。
同じ屋根の下に顔も見たくない相手がいると思うと一気に気分が悪くなる。
そもそもノバンは武術に秀でてはいない。
体術も剣術も貴族の男性として一通りの経験はあるはずだが、これと言って得意な物はなかった。
それを自分でも理解していて腕っぷしに自信のある者が集まるような武術大会や狩猟大会には参加していない。
なのに何故急に?
もしかして参加するのは兄の侯爵でノバンは応援に付いてきただけなのかもしれない。
あまり褒められた行動ではないが、ハーディスはノバンとへラードの会話に耳を傾けて様子を探る。
「それにしても、お前が狩猟大会に出ると聞いた時は驚いたな」
そう言うのはノバンの兄であるへラードだ。
「俺も驚きました。兄さんこそ、狩猟大会なんて興味がないものとばかり」
「あぁ……まぁ、その……あまり興味はないが、知人も珍しく参加すると言っているし、お前も参加するのであればこの機会に、と思ったんだ」
ノバンの疑問にやや歯切れ悪くへラードは答える。
どうやら今回は兄弟揃って参加をするらしい。
「知人……というのはもしや、あのゼノという男ですか?」
不機嫌そうな声音でノバンは言う。
ゼノ……? 一体、どこのどなたでかしら?
ノバンの交友関係を全て把握しているわけではないが、初めて聞く名前だ。
聞き覚えのない人名にハーディスは記憶を辿るが、やはり心当たりはない。
「ゼノ? 気が向けば参加するとは言っていたが……どうしてゼノだと思ったんだ?」
「いいえ、その……アマーリアに沢山贈り物をした話を聞きましたので……」
「その話は聞いているが、ゼノの勘違いだったそうじゃないか」
「それはそうなんですが……」
沢山の贈り物……あれのことかしら?
ハーディスが屋敷を追い出される直前、アマーリア宛に高価なプレゼントが山のように届いたことがあったのを思い出す。
どうも二人の会話を聞くに、あの送り主はゼノと呼ばれる人物らしい。
名前に聞き覚えがないのも仕方ないですね。
どうやらそのゼノという人物はノバンではなくへラードと親しい人物らしい。
へラードとほとんど交流がなかったハーディスが知らないのは無理もないだろう。
「心配するな。ゼノはアマーリア嬢ではなく、別の女性を探してるんだ。何かの手違いでアマーリア嬢と勘違いしたようだが、彼女にその気はないときっぱり断言したからな」
険しい表情をするルマンを安心させるようにへラードは明るい声で言った。
へラードの発言にハーディスは驚く。
アマーリアに贈り物までしたのに、探していたのがアマーリアではなかったって……どういうことでしょうか?
アマーリアに魅了され、手紙やプレゼントを送ってくる男は多い。
あの大量に高価なプレゼントを贈って来た人物はアマーリアではなく、別の誰かへ贈ったつもりだったが、何らかの理由でその誰かをアマーリアだと勘違いしたらしい。
一体、どういう勘違いをしたのかしら。
「ゼノはアマーリア嬢と対面して、探していたのはアマーリア嬢ではなかったと本人に直接告げているし、それっきりだ。心配することはないさ」
その言葉にもハーディスは驚く。
あのアマーリアを前にして魅了されなかったということですか?
ハーディスは驚きのあまり思わず声が零れそうになる口元を手で押さえた。
アマーリアには老若男女問わず惹きつける魅了の力がある。
ゼノって人は男性ですよね……。
異性であるほど影響は受けやすい傾向にあり、男性がその力の影響を受けないのは珍しい。
力のある天使や神の生まれ変わりであればアマーリアの力の影響を受けないこともあるので、もしかしたらゼノは天使か神の生まれ変わりなのかもしれないとハーディスは思った。
「だと良いのですが……」
明るい調子で言うへラードだが、ノバンの声は硬い。
なるほど……もしかしてアマーリアの方がゼノという人を気に入ってしまったのですね。
ノバンの様子とへラードの言葉から察するに、アマーリアはゼノに他の女性と勘違いしたと言われたことで逆にゼノに執着してしまったのだ。
それをノバンも察していて、不安になっているのだろう。
いい気味ですけどね。
ノバンの背中に冷めた視線を向けながら心の中でハーディスは毒づく。
アマーリアは男に恥をかかされたのは初めてでしょうし、本当にいい気味ですね。
だが、アマーリアの性格からそのせいでゼノという男性はアマーリアの標的にされてしまったと思うと申し訳なくなる。
ゼノ様、どうか妹から逃げ切り、お探しの女性と幸せを掴んでくださいませ。
ハーディスは心の中で強く願った。
嘘偽りのない真摯な願いである。
「そんなに心配なら明日の狩猟大会でアマーリア嬢に良い所を見せようじゃないか。他の男が怯むくらい大きな獲物を仕留めてみんなの前でアマーリア嬢に捧げればいい。そうすれば他の男達への牽制になるだろ? 彼女もお前に惚れ直すさ。勿論、俺も協力する」
ノバンの肩を抱き、へラードは陽気に言う。
「本当ですか?」
「あぁ、当然だ」
仲の良い兄弟ですね。
自分と妹にはない兄弟の絆のようなものが視えてハーディスは少しだけ羨ましく思えた。
今となって妹と仲良くしたいわけではないし、そんな気はさらさらないが、生まれ変わりの力を持たない普通の人間に生まれていればここまで拗れることもなかったのではないかと思わずにはいられない。
まぁ、今更ですけど。
今まで自分が受けた仕打ちを忘れることはできないし、許すこともできない。
自分はあの家から離れて正解なのだと強く思った。
そんな風に考えながらヘンビスタ兄弟の様子を見ていると、ノバンが驚きの発言をする。
「俺はこの大会でラム・ハーゲンを仕留めようと思います。協力してもらえませんか?」
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