第28話 医神の杖
「大体の話は分かった」
そう言って長く伸ばした白い顎鬚を撫でるのはアスクレーだ。
アスクレーとテーブルを挟んで向かい合うように腰を降ろしている。
応接室に通されたハーディスは神殿を訪れた経緯をアスクレーとブラウンに話した。
自分が生まれ変わりであること、家を追い出されたこと、自分の力を役立てることができるならここで働きたいということもなるべく正確に話した。
「しかし、神殿の登録名簿に貴女の名前はないが?」
分厚い名簿に目を通しながら訝し気な視線をハーディスに向けるブラウンからは刺々しい雰囲気が抜けない。
生まれ変わりは能力に目覚めると神殿に名前を名簿登録される。
「貴様は何を聞いとったんじゃ? 能力の覚醒も遅く、家族から虐げられ、自身の能力を隠して生きてきた娘の名前が名簿にあるはずなかろう」
そんなことも分からないのかと、呆れ声でアスクレーは言う。
わざとらしい大きな溜息にブラウンは拳を握り締めて感情を抑え込んでいる。
「なら、何故今まで能力を隠していたんだ?」
「…………利用されるのが嫌だったからです」
少し間をおいてハーディスは言葉を口にする。
「利用? それはどういう……」
眉を顰め、更に追及しようとするブラウンの頭をアスクレーの杖が再び直撃した。
ガツンっと鈍い音が響き渡り、ハーディスも驚いて目を丸くする。
そしてアスクレーの手元から離れた杖は床に転がり、今度は石ではない部分が破損した。
「おおぃ! じじいっ! てめぇ、何しやがるんだ! 俺のデリケートな頭が損傷したらどうしてくれるんだよ!」
頭を押さえて大きな声で喚くブラウンにアスクレーは冷めた視線を向ける。
「デリケートだと? 笑かすな。無神経な奴ほど自分がデリケートだと勘違いしておる」
出会い頭にハーディスを怒鳴ったアスクレーは打って変わってハーディスの話を真剣に耳を傾けてくれた。
そしてハーディスが今はまだ踏み込んで欲しくない部分を追求しようとするブラウンを咎めた。
言葉遣いはやや乱暴で素行は荒いが困っている人達の話には真剣に耳を傾ける優しい人なのだとルマンが教えてくれた。
少し話してみればルマンの言葉の意味がよく分かる。
アスクレーからは思慮深さや相手の心を解きほぐす穏やかな雰囲気を感じることができた。
「アスクレー様、また杖が破損してしまったではないですか」
床に広がった杖を拾い上げてルマンは損傷した部分を優しく撫でた。
「お前は俺より杖が大事なのか⁉」
「ハーディス様、この杖をもう一度修復して頂くことは可能でしょうか?」
「無視か⁉」
怒鳴るブラウンを無視してルマンはハーディスに向き直る。
ルマンの身に纏う長衣が翻る様が何とも華麗ですね。
目の前に差し出された杖を受け取ったハーディスは破損した場所を確認する。
「……アスクレー様、この杖は歴代の医神から受け継いだ大切な物だと仰いましたがそれは本当ですか?」
ハーディスは先ほど杖を再生した時に違和感を持った。
疑問を口にするとアスクレーはギクッと肩を跳ね上げ、表情を硬くする。
「どういう意味でしょうか?」
ルマンが首を傾げながらハーディスに問い掛けた。
「神殿に医神の杖が収められているというのは有名な話です。杖には青い宝石が取り付けられ、その青い石は歴代医神達が力を注ぎ込んだ特別な石なのだと聞いたことがあります」
「その通りです」
医神の象徴として大切に扱わなければならない物だとルマンは言う。
「ですが、この杖の石は……」
ハーディスは一度言葉を切り、アスクレーに視線を向けると何故かコソコソと部屋から出て行こうとしている。
その姿を見てルマンとブラウンは何かを察した。
「おい、クソじじい! どこ行く気だ!」
ブラウンは逃亡しようとしているアスクレーの首根っこを素早く掴んだ。
「放せ! この、医神たる儂に何たる無礼じゃ!」
暴れるアスクレーを引き摺り戻してブラウンはアスクレーを椅子に座らせた。
「それで? その杖の石が何だって?」
ブラウンに話の続きを促される。
その間、アスクレーは額に汗を浮かべながら視線を彷徨わせていた。
「この石……医神の力の宿った石ではないのではないでしょうか?」
少し言葉にするのを躊躇った。
何せ、アスクレーが滝のように汗を流している。
きっとアスクレーはこの事実を隠していたに違いない。
「それは本当ですか?」
「はい。神や天使の聖力の結晶は私でも修復することはできませんので。それが簡単にできたということは紛れもなく偽物です」
ルマンの問いにハーディスは答えた。
事実を突きつけながらも自分の話に真剣に耳を傾けてくれたアスクレーに悪いことをしてしまったかもしれないという罪悪感が生まれる。
てっきりこの杖は飾りのようなもので、本物は一般人の目に触れない場所で厳重に保管されているのではないかと思ったのだ。
しかし、どうやら違うようだ。
「おい、本物の杖はどこにやったんだ?」
「そ……それは……」
ブラウンに迫られて小さくなるアスクレーの様子から、ブラウンもこの杖が本物だと思っていたらしい。
それはルマンも同様らしく、険しい表情を浮かべている。
「アスクレー様、正直に話して下さい。この杖は次代の医神に引き継ぐ大切なもので、神殿にとって重要なものです」
ルマンの厳しい声音にアスクレーは唇を噛み締める。
アスクレーはルマンに弱いらしく、すぐに白旗を上げた。
「魔物の森……ラム・ハーゲンに奪われてしまった」
まるで罪を告白するかのようにがっくりと肩を落とすアスクレーにルマンとブラウンは目を見開き言葉を失っている。
「ラム……ハーゲンとは……?」
一人状況を理解できないハーディスは首を傾げる。
「ラム・ハーゲンとは魔物の森に存在する魔獣のことだ。だけどただの魔獣じゃない」
ブラウンの説明にハーディスは耳を傾ける。
「ラム・ハーゲンは魔と聖、両方の性質を持つ両性獣だ。よって駆除の対象外になっている」
この世界には魔獣と聖獣が存在する。
魔獣は悪魔と同質の力を持ち、聖獣は神や天使と同質の力を持つ。
魔獣は魔物とも呼ばれ、同一のものとされている。
そんな両性獣のラム・ハーゲンに本物の杖を奪われたとアスクレーは告げた。
一体、何故にそんな状況に陥ったのだろうか。
「昨年の狩猟大会で数名の参加者がラム・ハーゲンを魔物と勘違いして攻撃し、その不興を買った。儂は彼らを助けるためにラム・ハーゲンと交渉したが、彼らを助ける対価として杖を持って行かれてしまった」
対価はそれだけではなく、参加者達の記憶を消すことも含まれていたとアスクレーは語る。
「ラム・ハーゲンの怒りを買い、死にかけた記憶がない彼らは再びラム・ハーゲンを狙うかもしれない。そうしたら今度こそ彼らは命を落とすじゃろう」
恐怖が根強く残っていれば二度と同じ過ちは繰り返さないが、記憶がないのであればアスクレーの憂いも真になるかもしれない。
「魔獣は駆除の対象ですが、両性獣となるとそうはいきません。神の力を持つ生き物を駆除することは違法……困りましたね」
ハーディスの飼い犬三匹は本来の姿は魔物に近いが力の質は神や天使と同じ聖力なので聖獣として扱われる。
「…………ハーディス、そなたに頼みがある」
悩まし気な表情でアスクレーが口を開いた。
「頼み、とは何でしょうか?」
この話を聞いた後で改まって頼まれることとは……。
何となく嫌な予感がしてハーディスの身体は強張る。
「そなた、相当強い聖力を持っておるな。どうか、ラム・ハーゲンを説得し、杖を取り返してはくれぬか?」
嫌な予感ってどうしてこうも簡単に的中するのでしょうか。
深々と頭を下げる医神を前にハーディスは嫌な予感が的中し、表情を引き攣らせた。
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