第20話 やっぱり一足遅かった


「えっと……貴方は確か……」


 ハーディスは突然のことに驚きながらも記憶を辿る。

 先日、王妃の乗った馬車を操っていた御者の青年である。


「ルマン・ドレシアと申します。この間は本当にありがとうございました」


 そう言って青年は深々と頭を下げる。


 深く頭を下げる青年を見て、道行く人達が何事かと視線を向けてきてハーディスは慌てて顔を上げるように促した。


「怪我の具合はどうですか?」


「全く問題ありません。あの時は死を覚悟しましたが、貴女に救って頂いた。本当に感謝しております」


 そう言って爽やかな笑顔を向けるルマンにハーディスは嬉しくなった。


「それは良かったですわ」


 自分の力が人の役に立ったことが嬉しくてハーディスは微笑む。


「あの、もし貴女様がよろしければ神殿に来て頂けませんか?」

「神殿に?」


 唐突なルマンの言葉にハーディスは首を傾げる。


「私は何の力も持ちませんが、神殿で重要な役職を務める方のお世話させて頂いている者の一人なんです」


 話によるとルマンの上司は高齢で精神的にも肉体的にも今の仕事が厳しくなり、後任もしくは少しでも使えそうな人材を探しているのだという。


 最近は仕事が嫌に少し目を離すと姿をくらませたり、ボケ老人のフリをしてみんなを困らせているという。


「神殿に仕える貴方が、何故王妃様の馬車を?」


「…………たまたま、王妃様がお忍びで外出する際に近くを歩いていたら捕まってしまいまして……。噂には聞いていたのですが、まさか自分の身に起こるとは思わず……」


 神殿は王宮の隣に立地している。


 王妃は頻繁に神殿を訪れ、祈りを捧げているらしく、大人しそうな神官や補佐官を捕まえて町を案内させたり、馬車の御者をさせるらしい。


「本当に参りました……馬車を操るのは初めてではないのですが、何せ王妃をお乗せするのは初めてでして……」


 遠い目をするルマンを見れば王妃の命令はルマンにとって相当な無茶振りだったに違いない。


 お疲れ様でしたね……。


 ハーディスは心の中でルマンを労う。

 ルマンはコホンっと小さく咳払いをして話を戻す。


「先ほどお菓子屋さんでの騒動を耳にしまして、勧誘に参りました」


 ルマンはハーディスがファンコット家の悪女と呼ばれていることを知っていて声を掛けて来たらしい。


「私には貴女様が悪女には思えません」


 そんな風に言われると嬉しい気持ちもあるが、自分の噂がどこまでも広まっている気がして恥ずかしくなる。


「神殿には多くの人々が足を運び、祈りを捧げます。悩みを抱えている人々も多いです。不治の病や大きな怪我、精神病、治療の難しい病を抱えた人達が多く訪れ、そういった人々に神官達は加護を願います。ですが、貴女はその人々に加護を願うだけでなく、与えることができます」


 ルマンは手を胸の前で組み、祈るような仕草を見せる。


 そしてハーディスの前でルマンは膝を降り、ハーディスに懇願した。


「お願いです、女神ハーディス。貴女様の力を必要とする人々が沢山いるのです。どうか、我々をお救い下さい」


 





 ゼルディノは馬車を飛び出し、人混みを搔き分けて地面を蹴った。


 あの髪、あの立ち姿は間違いなくゼルディノが探している女性のものだった。


 良かった、やっと見つけた。


 ゼルディノは安堵しつつも、見失わないように道行く人々に視界を遮られながら女性の立っている橋を目指す。


 お願いだからそこにいて。動かないでよ。


 思ったよりも人が多く、色んな方向に歩いているのでなかなか彼女の元に辿り着けないことをじれったく思う。


「お待ちください!」


 後ろから追いかけて来たクライシスの声に一瞬だけ立ち止まり、振り向く。


「一体どうしたんですか?」

「彼女がいたんだ。橋の上に」


 少しだけ声を弾ませてクライシスに告げるとゼルディノは橋の中央に視線を向ける。


「あれ……?」


 ゼルディノは目を大きく瞬かせて、辺りを見渡す。


「どこですか?」


 クライシスもキョロキョロと辺りを見渡し、ハーディス・ファンコットの姿を探した。


 歩いて橋の中央付近まで進み、ぐるりと周囲を確認してゼルディノは溜息をついた。


「見失った」


 ついさっきまでここに立っていたのに……。


 ゼルディノが立つ場所は先ほどまでハーディスが立っていた場所だった。

 しかし一足遅く、既にハーディスの姿はそこにはなかった。







『で、どうすんだ?』

「とりあえず保留にしてきた。労働条件は明確に提示してもらわないと」


『まぁ、神殿なら良いんじゃない? ハーディにウザ絡みする奴も少ないだろうし』

「そうかしら……」


 神殿には貴族も多く足を運ぶ。


 アマーリアやノバンも定期的に訪れる場所であり、万が一遭遇したらと思うと考えただけで気鬱になる。


 天使や神の生まれ変わりは本来であれば能力が覚醒した時点で神殿に名前を登録し、定期的に神殿に聖力を捧げる義務が発生する。


 しかし、ハーディスは自身に聖力があることに気付くのが遅く、その頃は母も他界していて誰もハーディスに関心がなかった。


 そのため、そんな義務があることも最近まで知らなかったし、名前の登録も行っていない。


 ルマンに名前の登録を行っていないことを伝えると、そのようなことは頻繁にあるので気にしなくていいと気さくに答えてくれた。


「明日、またあの橋で会う予定なの」


 考える時間が欲しいことと、労働条件や待遇の詳しい話も明日教えてくれることになっている。


『私達も一緒よね?』

「勿論よ。一番譲れない条件だもの」


 流石にこの場所から神殿まで毎日通うのは大変だ。


 愛犬達と離れなければならないのであれば断ると伝えると問題ないとルマンは言った。


 神殿の奥にある森には聖獣も住んでいるし、神殿の周りをうろついていることも多いから気にならないだろうと。


 口では詳しい話を聞いてからにするとルマンに伝えたが、もう心は決まっていた。

 正直、自分の力を神殿で使うことは何だか自分を利用されているように感じて少し抵抗がある。


 けれども、ルマンのように私の力で救われる人がいるなら悪くないかもしれませんね。


 ルマンからの感謝の言葉でハーディスの胸は温かくなった。


 人から感謝されるというのは良いものだと、ルミナスの店で働いていた時も感じていた。


 感謝されるというのは良いものですわね。


 家ではハーディスが仕事をするのは当然のことで感謝もなければ、ケチをつける父がいる。


 自分はろくに仕事もしないくせにと、思いながらも口に出来なかった頃が懐かしい。


 仕事をこなしていたのは私ですのに……あぁ、でももう終わったことですし、私にはもう関係ありません。


 大変なことも沢山あるとでしょうけど、立ち止まっていてもいたずらに時間が過ぎるだけですものね。


 大変でも家にいた時よりは充実した時間を過ごせるはずだ。

 ハーディスは神殿で働く決意を固め、就寝準備を始めた。

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