第18話 一足遅くて

「信じられないわ、まさか悪女がこんな場所にいるなんて」

「なんか怪しいと思っていたのよね」

「追い出して正解よ。天使様をいびり倒した悪女よ? 大人しそうに見えても人は見かけじゃないのね」


 店内では一時間以上前に店から追い出されたハーディの話題で持ち切りだった。


 ルミナスは厨房で水仕事をしながら、ハーディに治してもらった指先に視線を落とす。


 どうしてあの子が……?


 勤務態度は真面目で素直、気が利くし積極的に仕事に取り組む良い子だった。

 とても噂の悪女とは思えない。


 もう少しちゃんと話を聞いてから対処した方が良かったのではないだろうか。


 ルミナスは有無を言わさずハーディを追い出してしまったことを後悔していた。

 ハーディと仲良くしていたカエナも心ここにあらずで、落ち込んでいるように見える。


 しかし、この店に噂の悪女がいるとなれば、客足に影響が出るだろう。そう思えばこのままこの店に置いてはおけない。


 自分の店と従業員を守るためには必要なことだったと思うしかない。

 そう思いながらも、懸命に働くハーディの姿を思い出し、胸が痛くなる。


「オーナー」


 水仕事を続けているとホールに出ていたカエナが厨房に飛び込んできた。


「どうしたんだい?」

「すぐに来てくださいっ!」


 血相を変えて言うカエナの様子からただ事ではないと思い、ルミナスはすぐに向かう。


 ルミナスの目に飛び込んできたのは店内にいた王宮の騎士達だ。

 騎士達に混ざって一人だけとても身なりの良い青年がいた。

 黒い髪に赤い瞳は燃えるように美しく、客や従業員の視線を奪っている。


「貴女がこの店のオーナーですか?」


 黒い髪の青年が前に出てルミナスに問い掛けた。


「えぇ、そうですが……一体、何の御用でしょうか?」


 王宮の騎士達がこのように押し寄せたことなど今まで一度もなく、夢にも思っていなかった事態にルミナスは困惑した。


「こちらにプラチナブロンドの髪を持つ女性が働いていると聞きました。お会いしたいのですが」


 柔らかい表情で青年はルミナスに言う。


 その言葉にルミナスは周囲を見渡す。

 今この場にいる従業員に該当する者はいない。


 一人だけ思い当たる者がいるが彼女は既にこの店にいない。


「……その者は今日付けで辞めてもらいました。もうこの店にはおりません」


 穏やかに微笑む青年に申し訳なさそうにルミナスは告げた。


 すると青年から微笑みが消える。


 冷たい空気が室内に充満し、室温を急激に下げていく。

 まるで雪か霰でも降るのではないかと思うほど寒さを感じた。


「辞めてもらった?」

「……は……はい」


 ルミナスは青くなった唇で答えた。


 緊張と肌を刺すような寒さで身体も言葉も震えてしまう。


「何故です?」


 真っ赤な瞳が冷ややかにルミナスを見下ろしている。

 燃えるような赤なのにそこに温度はなく冷気を放っていた。


「そ……それは……」


「あの子が『ファンコット家の悪女』だからです!」


 寒さで腕を擦り、ガチガチと歯を鳴らす従業員の一人が叫ぶように言った。

 青年は眉根を寄せて声を上げた従業員を睨みつける。


「ファンコット家の悪女?」


 青年の疑問に従業員達は次々と口を開く。


「そ……そうです、天使様を虐げた悪女ですっ」

「さっきだって天使様の優しさを無下にして……」

「追い出されたのに全く反省もないのだわ」


 噂話と先ほどの光景を見て信憑性を持った従業員達がハーディの存在を否定する言葉を重ねる。


 しかしその様子を見てルミナスは危機感を募らせた。


 この青年を怒らせてはならないと、心の中で警鐘が鳴り響く。


「だからこの店からも追い出したのよ」


 その一言が一人の従業員の口から零れた瞬間、室内に冷たい風が吹き抜けた。


「きゃあっ!」

「何っ⁉」

「さ、寒いわっ」


 悲鳴を上げる従業員達は互いに身を寄せ合って寒さをしのごうとしている。

 そしてルミナスは店内の異変に気付いた。


「こ……これはっ……」


 床や窓ガラス、ケーキが並ぶショーケース、何から何まで霜を被ったように凍ってしまっている。


 これは聖力なの……? 一体、この青年は何者なの?


 吐く息の白さに今起こっていることが夢なのではないかと思ってしまう。


「貴女は彼女自身から話を聞いたの?」


 青年の冷たい声にルミナスは押し黙る。


「彼女が本当に噂の悪女だと感じたの?」


 それにもルミナスは答えることができなかった。


 ハーディス自身から話を聞くこともせず、彼女を追い出してしまった。

 心の中では悪女だとはとても思えなかったことも青年の問いに答えられない理由である。


「ろくに事実確認もしないで彼女を解雇したんだ?」


 大きな溜息と共に肩を落とし青年は踵を返す。

 丁寧な言葉遣いと穏やかな微笑みは幻だったかのように、その表情と声は冷ややかだった。


「ここの菓子は気に入っていたけど、がっかりだよ」


 青年をそう言い残し、騎士達と共に店を出て行った。

 青年達が出て行くとみるみるうちに氷は解け、店内の温度も上昇する。


「オーナー、さっきのは何だったんですか?」

「悪女を捕まえに来たんじゃない?」

「ここにいないから怒ったのかも」


 違うわ……。


 ルミナスは心の中で呟いた。


 きっとあの青年はハーディスを捕まえにきたのではなく、迎えにきたのだ。


 あの赤い瞳をルミナスは一度、王宮で見たことがある。

 随分と前になるが王妃がこの店の菓子を気に入り、献上するために城に入ることを許された。


 その頃、王妃の側に佇む少年がいた。


 天候や気温を操る強い聖力を持つ、この国の小さな太陽。

 そして怪我や物を修復する聖力を持つハーディ。


 悪女になんて見えなかったのに……。


 何故、話も聞かずに追い出すようなことをしてしまったのだろうか。


 私は……とんでもないことをしてしまったのかもしれないわ…………。


 ルミナスは休憩室の椅子に腰を降ろし、力なく項垂れた。




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