第17話 解雇


「ハーディス? 何故、君がここに?」


 それはこちらの台詞ですね。


 最初に口を開いたのはノバンだ。

 給仕服を着ているハーディスを不思議そうに見つめていた。


「ねぇ、今、天使様は『お姉様』って言わなかった?」

「どういうこと?」

「それにノバン様が『ハーディス』って言ったわよ」

「じゃあ、彼女が例の『悪女』?」

「何で悪女がこの店に?」


 客や従業員の口から次々と飛び出す言葉にハーディスは冷や汗を流す。


 マズイですわね……。


 ハーディスの全ての視線が集中している状況だ。

 こっそりこの場を離れることはもう難しい。


 どうしたものかしら。


「お姉様! こんな所にいたのね!」


 ハーディスがこの状況をどうするか考えあぐねていると、驚くことにアマーリアが抱き着いてきたのだ。


「ちょっ…………!」


 いきなり飛びつくように抱き着かれてハーディスはよろめく。


「お姉様! 私、ずっとお姉様を探していましたのよっ」


「…………はぁ?」


 今何て言いました?


 感極まったようなアマーリアの言葉にハーディスは顔を引き攣らせた。


「お姉様が出て行ってからというもの、私はお姉様が心配で夜も眠れなくて……まさか、こんな所にいるなんて」


 アマーリアはわざとらしく声高らかに言った。


 この子は何を言っているのでしょうか。


 追い出す原因を作った張本人が自分を心配していたという旨の発言にハーディスは呆気に取られる。


「まぁ、何てお優しいんでしょう」

「酷い仕打ちをした姉に対してもなんて慈悲深い」

「流石、天使様はお心が広くていらっしゃる」


 聞こえてくる周囲からの言葉にハーディスは納得する。


 なるほど。そういうことですか。


 追い出された姉を心配する心優しい妹を演じて人々に印象付ける気らしい。


「お姉様、私と一緒に帰りましょう?」

「は?」


 思いもよらないアマーリアの発言にハーディスは目を剥いた。


「私からもお父様にお願いするわ。こうなったのは私にも原因があるんだもの」


 そうですね、貴女と貴女の後ろにいる男が原因ですよ。


「僕からも伯爵にお願いするよ」


 その声にハーディスは視線を移す。


 ノバンが腕を広げて歩み寄り、優しく微笑んでいた。


「君が反省しているのであればきっと伯爵も許してくれるよ。僕らも協力するから」


 悪女に手を差し伸べる優しい天使と心優しき天使に寄り添う優男の構図が出来上がっていた。


 ノバンの勘違いも甚だしい言葉にこめかみに青筋が浮かぶ。


 反省するのはあなた達の方ですし、許してもらおうなんて思っておりませんけど。


 そもそもそんな必要ありませんし。


「許しを請うのは本来、あなた達のはずですけど」


 ハーディスは我慢出来ずに本音を零す。


 その言葉を呟いたことで周囲の目は更に厳しいものへと変わった。


「今の聞いた?」

「天使様達の優しさを無下にするなんて」

「家を追い出されたクセにこの期に及んでまだあんな事を言えるなんて、どんな神経しているのかしら」

「流石は悪女だわ」


 何も知らないくせに。

まぁ、仕方ないことですけど。


 ハーディスは心の中で呟き、拳を強く握り締めた。


 心無い言葉と侮蔑の視線がハーディスの心を抉る。

 真実など知る由もない人達は噂を鵜呑みにして自分を悪女だと決めつけていて、この場所に自分の味方はいないのだと思い知った。


「おい、ハーディス! 今のはどういうつもりで……」

「いいのよ、ノバン」


 アマーリアと自分の手を振り払うようなハーディスの発言に憤りを滲ませるノバンをアマーリアは制する。


「……お姉様、今日は帰るわ。また来るわね」


 ハーディスの言葉に傷付いたような表情まで完璧に演技するアマーリアはまるで女優である。


 名残惜しむように帰り際にハーディスの方を振り向く仕草まで健気で姉想いの妹のように見える。


 もう二度と来なくていいですけどね。


 ハーディスはアマーリアとノバンの姿が見えなくなると安堵の溜息をついた。

 俯くハーディスの前に誰かが立つ。


 顔を上げるとそこに立っていたのはオーナーのルミナスだ。


 険しい表情でハーディスを見つめている。

 その後ろにはカエナと他の従業員の姿もあり、その冷たい視線にこれから起こるであろうことをハーディスは予想して肩を落とす。


「ハーディ、これ以上はこの店に置いておけない。出て行って頂戴」


 ルミナスは目を吊り上げてハーディスに厳しい声音で言い放つ。


「そうよね」

「悪女がこの店にいるなんて知れたら……」

「店の評判に関わるもの」


 冷たい視線がハーディスに向けられる。


 恐ろしいわね。


 長い時間一緒にいたわけではないのに周囲の人間を魅了し、味方につけるアマーリアの力は非常に厄介なものだった。


 屋敷でも社交界でも『姉に冷たくされる健気な妹』を演じて、その姿に同情する者達の心を取り込んできた。


 今回もいつもと同じだ。


 アマーリアが現れた時点でこうなることは予測できていたが、この場所で頑張っていこうと決心した手前、虚しさは拭えない。


 ハーディスは深く頭を下げた。


「短い間でしたがお世話になりました」

「さっさと出て行っておくれ」


 深く下げた頭の上から降って来る冷たい声があの優しいルミナスのものだと思うと身体の芯が凍えそうになる。


 顔を上げるとカナンと視線がぶつかった。


 視線が交わった途端、他人のように目を逸らされる。


 あんなに優しく、親切に接してくれたカエナの態度は傷付きますね……。


 従業員達のあまりの変わりようにハーディスはこれ以上ここにいることは出来なかった。


 従業員達にもう一度頭を下げ、荷物をまとめて逃げるように店を出た。

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