弥勒の鼠

マ・ロニ

弥勒の鼠

 ――寺狙いの盗賊がようやく退治された。


 寒風の赤城おろしが吹く頃、太田宿では、この話題で持ちきりだ。ようやく安心して寝れる。これで、宿場も持ち直せる。多くの人々が安堵し、もたらされた吉報に喜びの声を上げていた。


「あの、いかつい飲んだくれの用心棒、相当な腕っぷしだったが、流石に大盗賊相手に、弟妹ていまい分と一緒にやられちまったに」


「ああ、そうだんべ。その筋じゃあ、伝説の大泥棒なんだんべぇ? なんつったかなぁ、一時、江戸の方を騒がせったつう盗賊に似たような名前で……」


「鼠小僧次郎吉と一緒にしちゃなんねえだろうが。あっちは義賊、こっちは急ぎ働きばかりの外道だろうが。でも、なんつったかなぁ……」


 そんな会話を道端でしている男衆の問いかけにふと、誰かが答えてくれた。


弥勒みろくねずみ


 声を聴いて一斉に振りむくが、道行く農民や宿場に立ち寄ったような者達ばかりで、その手の話に詳しそうな輩はおらず首を傾げるも、答えを思い出して会話に興じ続けた。


「そうだ、そうだ。弥勒の鼠。海に千年、山に千年、弥勒三千の弥勒にあやかった、大層な泥棒だったんだろうに」


「まったく、弥勒菩薩様の名を付けられたにしちゃあ、全くもってひでえ盗賊だんべよぉ。盗みに入った寺の住職、弟子諸共に皆殺してからによぉ」


 人のする所業とは言えないと口々に罵り、本当は魑魅魍魎、妖怪の類だったのではないかと身震いをした。


「そうだんべぇ、実際、あのおっかねえ、用心棒連中を相手に一人で歯向かって、共倒れだんべ? 本当に化け物だったんだろうが」


「ああ、そうだろうに。あの、大光院の住職様を無残に殺すなんて、神も仏も畏れねえ、悪鬼の所業にしか思えなかったに」




 三年前の事。太田金山に位置する大光院が盗賊の一味に襲われた。八州廻りも動員され、周辺の博徒や無宿人らが悉く取り調べを受けるも捕縛には至らなかったことには訳がある。


「下手人は弥勒の鼠だという噂がある」


 この噂が広まった頃から、太田宿近辺から博徒や無宿人の姿が目に見えて減り始めた。どうにか捕縛され、きつい取り調べを受けた連中も他の事はいざ知らず『弥勒の鼠』の名がでた段階で知らぬ存ぜぬを繰り返し、やもすれば自害を試みる者まで現れる始末で、流石の八州廻りもお手上げ状態に陥る。


 そんな最中、長年寺ちょうねんじが火事に見舞われた。住職らの寝所が焼失し、住み込みの者達は全員が焼死したと思われた。


 が、ここで小僧が一人生き残っていたことが判明し、火事の原因が盗賊の急ぎ働きの末に行われた焼き討ちだと発覚する。


 夜中に厠へ行った隙に、忍び込んだ金色こんじきの髪をした男が寝込みの住職諸共にあっと言う間に皆殺したと小僧は言う。震えて立てぬ状態で這いながらも茂みに隠れて、息を殺しながら隠れていたという。


「火まで付けることはなかったんじゃあねえのか!」


「黙れ! やるならいっそ全てを喰らうつもりでやったほうがいいのよ!」


 夜陰に紛れて走り去る幾つかの影を見てから、寝所が焼けていく様を呆然と眺めて気を失ったのだという。


 業を煮やした八州廻りは徹底して太田宿一帯を取り締まり始めるが、またもや空振りに終わる。


 ――金色こんじきの髪をした盗賊。その様が知れ渡った時から一帯に残っていた名うての無宿人、博徒、乞食さえも姿を眩ましてしまったからだ。


 捕縛して取り調べをする対象が悉くいなくなりお手上げ状態の八州廻りを後目に、凶行は続き、一時は火盗改かとうあらためが乗り出すとも言われたが、引き続き八州廻りで調査、取締りを続けることになる。そんな噂を余所に、たまたま別件で足を伸ばしに来ていた火盗改の古株からある情報が齎されていた。


「金色の髪の盗賊とあらば『弥勒の鼠』の名が出てはいまいか」


 八州廻りから来たものは二人とも若く、付き添いの目明しは威張り散らすだけが得意の連中ばかりであったため、その名は聞いたが、下手人達が頑なに口を閉ざすため、何者かまでは調べきれなかったと正直に返事をする。


「まあ、知らぬか。致し方ないか。もはや、お伽噺のようなものに近いからな。裏の住人達にとって『弥勒の鼠』は他言無用、手出し無用、知らぬが仏の大盗賊と言われておる。記録を紐解いてみても、時折名が出てくる程度」


 ならば、大した盗賊ではないのではないかと、八州方が疑問を挟む。


「その記録、権現様の頃から散見されておる。嘘か誠か『弥勒の鼠、三千年を生きながらえ候』と言われてな」


 それでは本当に妖怪の類ではないかと、八州方は身を震わすが、火盗改の古株は蒙昧事よと笑い飛ばすも、だが、話に聞く限りでは目立つような急ぎ働きをする盗賊ではないと思ったのだがと首を傾げて話を終えた。


 結論からすれば『弥勒の鼠』の名が出てきたために、主だった裏の住人達がこぞって太田宿近辺から手を引き、訝しんだ他の輩も逃げ出してしまったということになった。


 火盗改が出張ると噂が流れた頃から、日光例幣使にっこうれいへいしが過ぎ去るまでの間、凶行は行われなかったが、ほとぼりが覚めるころからまた、幾つかの寺院、商家が襲われることになる。いつまでも盗賊が捕まえられない八州廻りに不満を募らせた太田宿の主だった者達は、自らで金を出し合い用心棒を雇うことにした。


 三年ほど前から太田宿近郊にふらりと住み着き、近郊で一番の腕っぷしを持ち、荒くれ者達のまとめ役と名が知れている「上州の牛猫」と呼ばれる大男が雇われることになった。

 六尺を越える背丈に、四十貫は超えるであろう体格だが、ただ肥えているわけではなく、大層な力持ちで身のこなしも素早かった。

 以前、太田宿に立ち寄った荒くれ者の浪人集団が宿場の酒場で難癖を付けた時に一人で難なく数人を殴る、張り飛ばすで全員を伸してしまったほどで「牛のような怪力に、猫のような身軽さ」から牛猫の異名をとるようになった。


「おうおう、俺に任せておけ。鼠なら猫が食い尽くしてやるからに」


 雇われ中は飲み食いはタダとされ、日替わりで宿場の酒場に立ち寄っては大酒を飲み、帰りに廃寺で開かれる賭場による日々を続け、太田宿の住人達としては決して良い顔をすることはできなかったが不思議とそれ以降、太田宿で目立った凶行は行われなくなった。


 時は流れ、弥勒の鼠も鳴りを潜めたかと人々が忘れかけた頃、又、凶行は行われた。住職を殺された寺に代わって住み着いた幾人かの坊主が殺されたのである。

 住み着いた坊主らはどこからか流れてきた乞食坊主だったため、素性のほどは知られていなかったが、余りに無残な殺され方に、弥勒の鼠がまた現れたと太田宿では大騒ぎになる。


 終いには金山御林守かなやまおはやしもりの支度金が密かに盗まれる事態にまでなってしまった。流石に幕府直轄林の関係者が盗みに入られたと知られてはよろしくないと言うことで箝口令が言い渡されるも、噂は徐々に広まり、民衆にも知られることになる。


 面目丸つぶれの八州方は近郊全ての改革組合村の者達を動員し事に当たると息まくが、太田宿の者達は目明し連中が言いがかりをつけて集りに来るだけで、解決はしないだろうと愚痴をこぼした。


 そんな中、用心棒稼業を続けていた牛猫が突然、宿場の主連中に突拍子もないことを申し出てきた。弥勒の鼠を退治すると言うのである。


「なに、俺に任せておけ。こう見えても顔が広いのよ。幾分前から弟妹ていまい分を呼び寄せていたからに」


 そう言ってから太田宿を訪れたのは、はるか蝦夷から来たという痩躯の気味の悪い背丈が六尺五寸を越える無表情の大男と、島原から来たという赤毛でやはり五尺八寸の上背の大層な美女であった。


「ひょろ高い男は蝦夷の大猫、女は鍋島の赤猫って呼ばれているに。俺と同じ猫の異名を持つものだからよ、盃を交わした仲なわけだが」


 実力は保証するし、今度は俺達、猫の弟妹が鼠を退治してやると嘯いて、命を張る仕事だから前金をくれと脅すような凄みを効かせてきた。

 しかし、八州廻りやら周辺一帯の改革組合村の面子が調べに調べても捕まえられなかった大盗賊を、地方の用心棒ごときが見つけて退治ができるのかと訝しむが、牛猫は当たりがあるとニヤリと笑い


覚無寺かくなしでらがここいらじゃあ、唯一狙われていねえ寺だんべ。徳が高いのかどうかは知らねえが、次に狙われるのはあそこだけだろうが。住職とは話がついているから、今晩はあそこで待ち伏せするに」





「で、いい加減、ここいらで引き上げようとっていう訳だ」


 くたびれた本尊を背に、中年の凡庸そうな顔立ちをした住職が牛猫達と向かい合いながら、ニヤリと笑う。


「……最近の乞食坊主、俺達の手下が殺されたのは関係がねえのかに」


「さあな、もしかするとバレたのかも知れねえが、なら、なおさら引き上げるのが得策っていうもんだろう。全くどこのバカが、御林守の支度金に手を出すんだか。まあ、この寺ごと燃やして、死んだことにして、弥勒の鼠に擦り付ければそれで終わりよ」


 こんな芝居支度の派手なカツラ付けただけで騙しとおせる、伝説だが何だか知らねえが、どいつもこいつも名前に怖気づく臆病者ばかりよと、住職は嘯きながらクツクツと笑う。


「まあ、きちんと分け前さえ寄越してくれれば、俺としては一向にかまわねえだろうが……」


 そんなつもりは無いのだろうと、牛猫は懐から短刀を取り出し住職――弥勒の鼠を騙っていた小悪党に見せつけ脅し始める。


「どうせ、始末した手下連中への分け前ケチろうとしたんだろうが。そうはいかねえよ。盗んだ金どこに隠したのか言えや!」


 おいおい、落ち着けそんなことをするわけがないだろうと、余裕の仕草で懐に手を入れ、こいつで少し頭を冷やせよと言うや否や、ズドンと音が鳴り、何事かと自分の身体を窺った牛猫が、腹から熱を感じて見やれば、孔があき血が流れだしている。


「舶来の拳銃って言う、短筒よ。案の定、裏切りやがったか。助かったぜ、赤猫。いいもの持ってきてくれたぜ。それにしても、今回は本当に上手く化けたものだ」


 惚れ惚れするくらいの良い女っぷりだ――そう言うと、さあ、さっさと火を付けて

ずらかるとしようぜと言うが――


「まあ、待ちなよざる転がしの旦那。もう、後がないんだからさ」


 と、赤猫が言うのを聞くと、拳銃を向けて睨みを利かす。


「……てめえ、誰だ。今の俺の名、お前に明かしたこたあねえはずだ」


「子供攫いの笊転がし。坊主に化けて、子供を攫って墓場に連れ込み売り飛ばす小悪党だろう。どこで弥勒の鼠の名前を知ったかは知らないが――あんたぁ、やっちゃあいけないことをしたのさ」


 笊転がしが拳銃を撃とうとするが、いつの間にか後ろに回り込んだ大猫に腕ごと捕まれ、難なく組み伏せられてしまう。


「大猫、てめえも偽物か!」


「違うさ、違うのさ。あんたが以前に遭った赤猫、大猫も騙りの偽物。猫の名がつく知れた悪党は皆――弥勒の鼠様の手下なのさ」


 ねえ、若様と甘ったるい声がすると、本尊の影から湧き出るように一人の男が姿を現す。髪だけ綺麗な黄金色に輝くが、闇に紛れて面が見えない。


「て、てめえ、一体いつから!?」


 潜んでいやがったと言う前に、男は拾い上げた拳銃で笊転がしの頭を撃ち抜いた。




 覚無寺の焼け跡から見つかった死体は四つ。二つは余りにひどく焼けてしまったため身元が分からないものの、牛猫と共にした赤猫と大猫であろうと片付けられた。八州方は始末がついたとさっさと引き上げ、太田宿の人々は鼻つまみ者にしていた牛猫が弥勒の鼠――三千年を生きたであろう大鼠を退治したと感謝して墓を作り、弟妹分と共に、丁寧に弔てやった。


 復興の目途がついた大光院の先代住職の墓前で、身振りのよさそうな若者と従者と思われる黒髪の艶のある女が共に手を合わせていた。


「孤児の頃、お世話になった上人様の仇討ち、無事に済みましたね」


 四国方面に出張っていたため、知るのが遅れ、今となってしまいましたがと女がこぼす。それにしても、弥勒の鼠を騙るなんて、本当に馬鹿なことをしたものだと続けて言う。


「長きを経て、比類もないと呼ばれる続けるお方の名前を騙るなんてさ」


「最近は、ろくにお勤めをしてはいなかったからな。先代から、いい加減、盗賊稼業も潮時、お前の代で名をつぶせとは言われている」


 すうと音もなく、若者は立上り、上人の墓へ手ずから水をやり清める。座ったままの女は困った顔で若者を見上げるが、同じようにすっと立ちあがると強く吹き始めた風に乱された髪を手すきで軽く整えて


「……空っ風が身に染みます。そろそろ、宿に戻りましょう。それに、いい加減、次のあてについて教えちゃあくれませんか若様」


 と、微笑みながら若者に問えば、八州廻りが鬱陶しいから水戸のよかろう様でも揶揄いに行こうと静かに笑った。




                               いちがさけた。

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