scene 17 : ファースト・シングス・ファースト

『――お電話ありがとうございます。スウィート・スウィーパー清掃事務所です。早かったですね』と電話越しに雀居さんは言った。『女子高生の頃を思い出しました。一日は今より長く、そして矢のように過ぎていきました。ご依頼でしょうか?』

「はい。車を一台、運転手込みで」

『承りました』

 彼女は何も尋ねなかった。代わりに、家のインターフォンが鳴った。


・・・♪・・・


 文野史織が負けるだなんて想像できない。でも彼女には勝つ理由がない。同じく逃げる理由も。なぜなら、彼女は仕事として決闘に向かったからだ。そこには動機がない。”気にいる”、”気に入らない”でひとを殺し、そして生きてきた女の子にとって、それは致命的な部品が欠けている状態だった。

 今の彼女は、ただの戦闘訓練を受けた少女に過ぎない。才能、射的のセンス、格闘術――どこまでが界隈におけるスタンダードなのか、わたしは知らない。彼女の業界偏差値がいくつなのか、わたしは知らない。殺し屋同士の決闘、その勝敗を分けるのが何かも分からない。

 しかし、一つだけ確かなことがあった。

 誰かが彼女のスイッチを入れる必要がある。

 訓練を受けた少女から、〈きまぐれトリガー〉文野史織へ。

 わたしのような能力が他にも実在するのなら、そして彼女が、傘鷺さんの言う通り、銃撃と絶命を取り持つことのできる存在なのだとしたら――もっともこれだってよく分かっているとは言いがたいけど――そこには、気持ちが大きく関わってきている。

 本来は独立した事象に、有意に関係性を持たせることができる存在を〈超能力者〉と呼ぶ。だったら、その関係性を見出しているのは、それを生み出すのは、ひとの感情だ。思い込みと言ってもいいし、気持ちの問題と言っても良い。間違っていると言われても構わない。事実そのようになっている、あるいはそう見える。そんな科学を超えた事象に理論をつけるのも、またひとの意志だった。

 そうあれ、と望む気持ち。

 そこには何かあるんじゃないか、という偏執狂的な願い。

 わたしは、文野さんに生きていて欲しかった。

 二度と会えなくなってもいい。忘れてしまってもいい。昨日起きた殺人事件も、その処理の手伝いをしたことも、全部なかったことになればどんなに楽かとも思う。けれども、起きてしまったことは取り返しがつかないのだ。そして、彼女のあの笑顔だけは確かだった。それすらも夢だったと、いつか言われたのならば、そのときは、赤茶けた髪の胸の大きな明るく笑う女の子がいた気がする――と、そうやって笑うことにしよう。悪夢と罪悪感に苛まされながらになるだろうけど、でもそんなのは、今にはじまったことじゃない。

 どうせ毎日愛想笑いを浮かべているわたしだ。仮面の種類がひとつ増えたところで、過ごし方は変わらないのだろう。理想の日常は、すでに望みすら砕けていた。どうにか送っていた日常も、ガタがきていた。

 文野さんは、わたしの機能不全の毎日にトドメをさしただけだ。しかも、ただのきまぐれで。それこそ許されることじゃない。理不尽だ。わたしは殺されたも同然だ。もともと生きていたかは疑わしいにしろ、おそらく大事なものを彼女に奪われている。

 呪いに足りるし、祟るに十分。

 そして、そのためには、彼女には生きていてもらわなければならなかった。

 奪ったものは、返してもらうか、償ってもらうしかない。その責任が彼女にはある。周りの大人が色々と手を回してくれるのかもしれない。未成年のしたことだから、とかホーリツが理屈を捏ねるのかもしれない。事実、そうして彼女は守られてきたのかもしれない。

 けれども、そんなことは知ったことではないのだ。

 これは、わたしと文野さんの問題。

 やられたから、やりかえす――そういう自分勝手な話。

 文野さんには、わたしから奪ったものを返してもらう。あるいはちゃんと補ってもらう。わたしの日常系を壊したなら、彼女の日常系を代わりにもらう。それでも足りない分は、ちゃんとその後も継続的に補填してもらう。決闘相手の〈なんでもナイフ〉なんて奴には任せていられなかった。わたしはそんな依頼は出していない。勝手なことをするな。

 人殺しみたいだ、と文野さんはわたしに言った。わたしの目が”気に入らない”と彼女は言った。だったら、次はわたしの番だろう。順番は守れ。あの子に終わりを突きつけるのは、途中で入ってきたワケの分からない男なんかじゃない。このわたし、隅方いい子だ。

「曲がりなりとも人殺しだぞ」とわたしは呟く。

 こんなことを思うのは間違っているか? ともちろんわたしは考える。ほっとけばいいじゃないか、とも言ってくる声がある。どうせ知らない世界、知るはずのなかった世界のことだ。ちょっと関わりを持っただけじゃないか。

 全てが正当だった。文野さんのことなんて、全然分からない。命を賭けてまで知りたい相手がいるか? この行動に、それだけの価値があるのか? 分からない。間違ったことをしようとしているのかもしれない。それがどうした。

 わたし達には、ふつうが分からない。

 だから、これは願いだった。ワガママも似ている。

 文野さんは言っていた――ふつうの女の子として生きてみたかった、と。「そんなの、わたしだって同じだ」。こんな能力なんて持たず、周りの顔色も窺わず、不遜に振る舞ってみたかった。とぼけた顔して生きてみたかった。人の殺意や生死なんて手に取るように分からなくてもいい。敏感さなんて要らなかった。

 ――わたし達、似てるんだよ。

 似てるだけで、同じではない。倫理も理屈も世界観も違う。

 わたし達は、わたし達の”ふつう”を探さなければならない。

 だから、わたしは、ここに来た。

 重いゲートを全力でこじ開けて、わたしは文野さんの名前を叫んだ。八つ当たりにも似た調子で、けれどもお腹から声を出して、はっきりと。わたしの知るあなたなど、世界にひとりしかいないと言うように。当たり前だろ、文野史織なんてひとりしか知らない。


「なんで来たんだ」と文野さんは言った。

「あなたがトモダチじゃないから」

「意味が、わからない」

「自覚してる」とわたしは言う。「でも、だから、そうなりに来たんだよ」

 彼女はなおも分からないという顔をした。

 その向こうには男が立っていた。

 コンクリートで塗り固められた地面。キャンプ用のテーブルと椅子、ケトルとコンロがあった。あちらこちらにナイフが突き刺さっており、銃も何梃か転がっていた。壊れているのもあったし、一見して無事なのもあった。弾痕がいくつか残っていた。電灯が揺れていた。

 わたしは進む。

 足元にキャンプ用の折り畳みテーブルの側に、一梃の銃が落ちていた。ここに来る前に、雀居さんに見せてもらった銃とよく似ていた。彼女には簡単な仕組みを教えてもらっている。安全装置を外すのは忘れずに、あとはトリガーを引く。狙いの付け方も聞いたが、命中は期待するなと言われていた。

 わたしが銃に目を向けたことに、二人が気づいた。

「その銃、拾うなよ」と文野さんは言う。「拾っちゃったら、あんたはこっち側だ」

 何を今更、とわたしは思った。

 あれだけ散々ひとのことを人殺しみたいだとか言っておいて、この期に及んでそんなことを言う。整合性の取れていないお人好しだった。

「もう見られちゃってるよ」とわたしは男を見て言った。わたしを文野さんと間違って刺してこようとした殺し屋、〈なんでもナイフ〉。「立派な”第三者”――そうですよね?」

「その通りだ」と彼は頷く。どことなく満足そうだった。

「”第三者が介入した場合は、誰だろうとそいつも殺す”と聞いています」

「物事には順序がある」と彼は言う。「あった、と言うべきかな」つまらなさそうに。「本来、文野史織が一番の脅威だったからな。第三者の介入を牽制するつもりの文言だったわけだが――来てしまった場合は、危ないものから順番に処理していって、その後に雑魚を始末するつもりだった」

「それ、過去形で大丈夫そうですか?」

「問題ない。こいつは、もう文野史織でも〈きまぐれナイフ〉でもないからな」

 彼は文野さんを蹴り飛ばした。彼女はガードしたが、衝撃で地面の上を転がった。わたしはイラッとした。大の大人が少女を蹴ったから、というよりも、文野さんは立ちあがろうとしなかったからだ。何やってるんだ、文野さん。

「順番を入れ替えてもいい」と男は言う。「実はおまえが本物の文野史織で、今すぐおれを殺してくれるというなら、もちろん俺はおまえを優先させるよ。髪だって染めてきたのかもしれないな」

「地毛ですよ。それから、文野史織は世界にひとりです」

「ここに転がってるのがか?」

 軽蔑するような調子で、彼はナイフの先で少女を示す。文野さんのスーツはもうボロボロだった。きれいだった髪もぐしゃぐしゃだ。初めて見る彼女だった。深層の令嬢面とした姿からはほど遠かった。ショッピングモールで笑顔を振りまいていた彼女からも随分離れている。

 わたしはしゃがんで、銃に手を伸ばした。

「……ダメだって、隅方さん」

 聞こえなかった。

 わたしは銃を拾い上げる。

「おまえ、それが使えるのか?」と男は訊いてくる。

「使えません。初めて持ちました。意外と重いんですね」雀居さんのものとは違っていた。それともわたしは緊張していたのかもしれない。好奇心で持つのとは違って、覚悟が必要だった。その分重量が増えて感じられた。

「じゃあ、どうして銃口をおれに向けてるんだ?」

「このままだと、どうせ殺されちゃうからです」

 安全装置を外した。

「もちろん当たらないと思います。そんなことは期待してませんが、万が一ってこともあるでしょうし、願わくばあなたに当たってくれたらなって思ってます」

「そんなに甘くないぞ」と男は笑った。

「ですよね」

「まあ、試しに、トリガーを引いてみるのも悪くはない。思い出にはなる。しかし、その瞬間に俺もナイフを投げる。この距離なら確実におまえを絶命させる。おまえは素人だし、大した能力もなさそうだ」

「どうでしょうね?」

 わたしは銃を構えた。

 隅方さん、ダメだって――という声が聞こえた気がした。というか彼女は心の中でもそう言っていた。でも、それらは遅過ぎた。わたしが聞きたかったのは、そんな弱々しい言葉じゃなかったからだ。彼女の言葉をかき消すように、わたしはトリガーを引いた。迷いなんかなかった。

 誰もが予測した通りに、銃弾は変な方向に飛んでいく。

 男はナイフを投げた。

 かなりの速度でナイフは飛んでくる。直撃必須の直線コース。心臓狙いの大振りナイフ。殺意が見えて、軌道が予測できても、そんなの避けられっこない。止めようにも早すぎる。わたしにそこまでの能力はない。

 だから、これは賭けだった。

「立ちなよ文野さん!」とわたしは叫んだ。わたしにできるのは、声を出すことくらいだった。「わたしが死んだら、誰があなたとデートするんだ!」

 そうとも、わたしにはナイフなんて止められない。

 死が迫っていた。

 目を瞑る。

 死を覚悟したか? ――

 銃声が鳴った。ナイフの進路が揺れた。わたしはそちらを見ない。なぜなら知っていたからだ。銃声が重なる。進路がまたブレる。銃が吠える。進路は完全に変更される。全部分かっていた。

 ナイフはわたしの横を掠めた。キャンプ用テーブルの上から、ケトルの落ちる音がする。

 目を開けて、目の前に立っている背中を見る。

 わたしと同じくらいの身長、黒いスーツの赤茶けた髪の女の子。

 これは信頼ではない。

 単なる事実だ――文野史織は、流されやすい。

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