scene 12 : 馴致はオトナの理屈

 彼は真っ直ぐな目でわたしを見ていた。

 一度発信されたそういう視線を受け流す技量は、わたしにはない。

「君もそうなんだろう? 隅方いい子さん」傘鷺さんは、残酷なまでに直線的に続ける。「君は、人の心を読むことができるし、手を触れずに物体を操作することもできる。君が過剰なまでにひとの顔色を伺うのは、相手の考えていることが分かってしまうからだろう? 文野史織の弾丸が止まったのは、君がそう願ったからだろう? ESPとPK――超感覚的知覚と念動力――両方を備えている」

 否定するのは簡単だった。

 しかし、それはあくまでポーズにしかならなかった。

「我々のような人殺し家業は、はっきり言って外法な存在だ。そして、だからこそ、そういう存在を否定しない。どうせ社会の皆様にはご理解いただけない事業だからね。だったら、君や文野史織のような〈超能力者〉の存在を認めても、同じことだ。理解されない者は、理解されない者同士で連むしかない。それが生存に適した戦略だからね。オオカミが群れを為すのと同じことだよ。オオカミにはオオカミの文化圏がある。世界観と言ってもいいし、日常系と言ってもいい。嗅覚を軸に構成される世界観と、紫外線を色彩として含んだ視世界――世間一般の感覚から外れた理屈で構成されているという点では、どちらも同じだ」

 普通じゃない。

 それは、わたしが今まで何度も言われてきた言葉だった。他とは違う。”知ったような気にならないで”。

 小学生の頃は、まだ良かった。足が早かった何某君は一目置かれ、ある教科の成績が良かった何某ちゃんは尊敬された。であればわたしも、と小石を動かしたのはマズかった。一時注目は浴びたが、結局は失敗だった。手品にはタネがあるべきなのだ。タネのない手品は、魔法になりかねない。わたしは、こども裁判にかけられた。みんながわたしを非難して、距離を置いた。

 分かった、じゃあこれは封印しよう、とわたしは決めた。

 こんな力があるからいけないのだ、とわたしは判断した。

 でも、そう上手くは回らなかった。

 わたしには、みんなの思っていることが聞こえていた。それは声に出しているのと変わらないことだった。言葉になる前の思念すらも、手に取るように分かった。不定形のあやふやな着想、なんとなくの思いつき――そう言ったものが、そのままわたしの中に投影されていた。

 犬種までは分からなくても、犬が通り過ぎたのだとは分かるように。よく見れば、知識がちゃんとあれば、遠目でも犬種くらいは分かる。みんな見ようとしないだけだと思っていた。わたしの視力が他より優れているだけで、みんなも望遠鏡を使えばちゃんと分かるでしょ、と思っていた。

 だから、文野さんの殺意だって、本当は分かっていたのだ。それがあまりに突然現れて、そうと気づいた時にはすでに死という形になっていたから、対処の仕方がなかっただけで。

「わたしは、みんな同じだと思っていたんです」とわたしは述懐する。「みんな、相手の考えていることが分かっているんだと思っていました。その上で見ないことにしてるんだって思ってました。わたしにとって、それは当たり前のギアだったんです」

 言わなきゃ分かんないんだよ、という言葉の意味が分からなかった。言わなくても相手の思っていることが分かるはずなのに、どうしてそんなことを言うんだろうと思っていた。結論はこうだ――言葉に出さない思いは、価値あるものとして採用されない。口に出したものが、書面に記したものだけが、有意義なものとして成立する。それ以外は、みんな見てみないフリしているのだ、と。

 もちろん、後付けの理屈だった。

 理屈を整理できた頃には、全てが遅かった。

 わたしは人間社会の”当たり前”を履き違えていたのだ。気づいたときには、すでに普通を傷つける行為は数えきれないほどになっていた。コミュニケーション上の暗黙のルール――分かったようにならないこと、あくまで言われたことを検討し、あるいは検討せず、自分の気持ちを優先させること。理解できるなんて思ってはいけない、と知るまで、わたしはただならぬ数の違反行為を犯していたのだ。

「それは、文野史織も同じだよ」

 傘鷺さんは言う。

「文野史織は、人殺しだ。彼女は、物心ついた時にはすでに人を殺していた。決定的なまでに人格の否定を実行してしまっていたんだ。それは彼女にとって、”当たり前”のことだった。文野史織にとって、”気に入らない”は、世界の摂理なんだ。生命に直接関わる基準だった、と言っても良いかもしれないね」

 彼はため息をつく。

 そのニュアンスをわたしは掴みかねる。なんにも聞こえない。ただの呼吸にも聞こえた。

「文野史織は、流されやすい」と彼は続けた。「才能はある。射的のセンスも抜群だ。訓練も施したから、格闘術だって優れている。ただし、それは下書きをなぞるようなもので、漢字の練習みたいなものだ。誰かが彼女に、動機を与えてやらねばならない。先生や親がやりなさい、と言うようにね。今のところ、僕はそれに成功している。だから、このビジネスも成立している」

 単純な事実を列挙するように、彼は言っていた。

 私情の絡まない事実は、心を読めても仕方がない。

 ねばならないってこともないんじゃないか、とわたしは思う。

 きっと、いくらか縋るような目をしていたのだろう。

 それを見たように彼は「彼女が合法的でなくとも、少なくとも社会的な意義を持って存在するためには、誰かが導いてやらなくてはならないんだよ」と言い、「手綱を握る者が必要だ」とわたしを見た。

 いかなる感情も、つまりは同情も、そこには見つからなかった。彼の正面にたまたまわたしがいただけで、わたし自身に何も思うところのない者の目をしていた。

 鏡を見ているような気分になる。

「僕個人としては、君も不幸な子だと思う。君くらいの歳の子はもっと感情を表に出しても良いはずなんだ。君は不幸にしてそういう才能を持っているが、望むべくは、相手の気持ちが見えても問題にならず、何かを動かしても驚かれない社会だ。世間には色んな感じ方の人間がいるし、それで大抵の場合は回っている。世の中は、経済事情だけで回れば良いんだよ。感情とか主観なんて、誰に噴き込まれたかも分からない、あやふやなものが絡むべきではない」

「絵空事ですよ。大人の言うことじゃありません」とわたしは言う。叫ばなかったのは、コドモじゃないからだ。「ユートピアの話はこりごりです」

「大人だから、言っているんだよ」傘鷺さんは、ブレない。少なくとも、その様子を見せない。「君たちみたいな青少年を、懸念のない世界に生かしてやれなくて申し訳ない。僕たちの勝手な思い込みで、君たちには窮屈な思いをさせてしまっている」

「卑怯です」とわたしは言っていた。「わたし達は、あなた方大人から考え方を学んでいるんです。みんなそうです。だから、わたしは――」言葉は続かなかった。なんて言えば良いんだ?「――いえ、わたしのことはどうでもいいんです。わたしは、諦めています。……やめてください、まだ学生だろ、なんて言わないでください。年齢も身分も関係ありません。そんなのはどうでもいいんです。もうどうにもなりません。今問題なのは、現実なんです。これからなんです」

「そう言わせてしまっているのが、僕たち大人の罪なんだろうな」と傘鷺さんは言った。

「ふざけるな」

 わたしはハッと口を閉じた。

「――すみません」と差し込むが、それで止まるものではなかった。

 ダメだった。わたしはコドモだった。

 文野さんと出会ってからこちら、失言が留まるところを知らない。

 完全に壊れていた。

「謝ってもらっても、今こうなっちゃってる事態は、変わりません。反省してもらっても、意味なんてありません。罪とか罰とか、知りません。あなた方は全員首を括るべきです。絶滅してください。真っ新にして、白紙の状態で、わたし達にはじめからやり直させてください」

「僕たちは神様じゃないんだよ。本当に申し訳ない。神様にもできないと思う」

「知っています」

 そんなことは、分かっている。わたしは”手のかからない子”なのだ。

「だからこそ、腹が立つんです。もう一度言いますが、わたしのことはどうでもいいんです。文野さんのことです。文野さんを物みたいに扱わないでください。歯車みたいに語らないでください。わたしと文野さんを同列にするな。わたしは人殺しじゃないし、文野さんだって――」

 そこまで言ったところで、頭の中に、禁止事項が浮かんだ。

 コミュニケーション上の暗黙のルール――分かったようにならないこと。

 わたしは口をつぐむ。

 しばらくの沈黙を置いて、傘鷺さんは口を開く。

「君の言うことはもっともだ。すべて、我々大人が悪い。責任転嫁は君には通用しないだろうが、我々もまた、更に上の大人たちからこういう考え方を植え付けられている。僕たちの世代で、全ては終わりにするべきだったかもしれない。しかし、我々は無力だった。君たちのような青少年に頼らざるを得ないくらいにはね。文野史織のような存在に頼らなければ、我々は世界を些かたりとも改めることができない」

「解放はしてもらえないんですね」

「文野史織については、そうだ。僕は他の青少年たちのためにも、更にその下の世代の彼ら彼女らのためにも、文野史織を手放すつもりはない。だが、君については、解放する。君は君で、引き続き苦しむだろう。ひょっとしたら、君にも導き手は必要なのかもしれない」

「文野さんとあなたのようにですか」

「そうだ」と彼は答える。「しかし、君は見ないフリをすることもできる。それは、君が自分の能力に抗うようにして培ってきた第三の素養だ」

「こんなの、ただの適応ですよ」

「それでも、だよ。そしてそこにこそ、文野史織と隅方いい子を分ける線がある。君は適応できる。彼女は適応できなかった。これからもできないに違いない。だから――」

「――だから諦めろって、言うんですか。馬鹿にしないでください。甘く見るな。わたし達はいつだって生き延びてきた。これからも生き延びてやります。あなた方が絶滅するまで生き延びます」

 わたしはどうしてこんなことを言っているんだろう。

「解放、感謝します」

「こちらこそ、ありがとう」

「地獄で聞きます」

 わたしは所長室をあとにした。

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