scene 09 : 〈なんでもナイフ〉のズレた百合語り
「あんたの顔、〈殺し屋
殺し屋カタログ、実在するらしい。
「その呼び方は認めていない」と男性は言った。「しがないナイフ使いだよ。刃物であればなんでもいいし、転用できるなら刃物じゃなくてもいい。地図や名刺や折り紙なんかでもな」
彼の右手首のバンドが外れていた。Tシャツの内側には皮のホルスターがあり、ナイフはそこから飛び出したものらしかった。左手首にも似たバンドがあるので、おそらくそこからもナイフが出ると推測する。
「おれはお前と会ったことがあるはずなんだがな」
「人殺しの顔なんて覚えてないよ」
「釣れないな」と彼は言う。「しかし、驚いたよ。文野史織ってのは――」わたしと文野さんの二人に目を配り「――二人いたのか?」
とぼけたことを言う。背格好だけで、同一人物認定されてはたまらない。そんなことで仕事をやっていけるのかと、要らぬ心配をする。
「あんた、あたしと会ったことあるんじゃなかったのかよ。この美貌を忘れたのか?」
文野さんも文野さんで、そこまで言うか。
「じゃあ双子か? それとも単なるペアルック? いずれにせよ、困るな。大問題だ」
「どっちが本物の文野史織でしょうか」と文野さんは言う。
松葉杖を脇に抱える。そんなものどこから調達したのか。リュックサックの中に、教科書類と一緒に金属製のパイプが何本か入っていたことを思い出した。ちらっと見えただけだったが、なるほどそれを組み上げれば、こういう形になるかもしれない。
「ああいや」と首を振る男性。「それが問題というわけじゃない。どっちが文野史織かは関係ない。仮に双子だとしても、三つ子かそれ以上だとしてもだ、やること自体に変更はない。最終的には、文野史織の業績にストップをかければ良いんだからな。条件に当てはまる奴は、しらみ潰しにする。おれがやらなくても、誰かはやる」
「さっさと試してみれば?」彼女は松葉杖をくるりと回す。
「そこなんだ」と彼は顎の下に手を当てる。「正直、本物と偽物の違いは分かる。こっちの椅子の子は偽物だ。ここまで話して分かった。おまえが本物だな。しかし、そうなると余計に参ったことになる」
「聞いてるよ、続けろよ」
「おれはな、文野史織。百合の間に挟まるのは趣味じゃないんだよ」
「なんで花の話が出てくるんだよ」と文野さんは言った。
わたしもそう思った。
「専門用語だよ。ガールズラブの方が通りが良いか? ひとまずは女の子同士が仲睦まじくしている様を思い浮かべておけばいい。しかし、まあ恋愛感情は脇に置いておけ」
「ラブって言ったじゃねぇか」と文野さん。
「それは一アクセントであり、幻視される未来のひとつにすぎない。互いに強い思い入れがあれば、当座はOKだ。もっとも、これは一つの見解で、おれにはおれの細かな定義もあるが……まあ、語るほど親しい間柄ではないだろう?」
「それは当たり前なんだが、わかんねーな」と今度は文野さんが首を傾げる番だった。「なんであんたの性癖レクチャーを聞かされているんだ? おにーさん暇なの?」
「持て余すほど暇人さ。ちょうど仕事でこの街に来たところ、文野史織がいるって知ったもんで、ついでに殺してやろうって思うくらいにはな。有名人にサインをねだるようなもんだよ。ラッキーに免じて、予定を少し空けて探しに来たんだ」
「で?」
「おれは今葛藤に駆られているんだよ。もうひとつ、性癖があってだな」
「続くのかよ」
「すぐ終わる」彼は言う。「おれはな、離別ものが好きなんだ。そのために仕事をしていると言っても過言じゃない。趣味と一致しているんだ。文野史織、あんたが死ねば、横の女の子は悲しむんだろ? あんたも悲しむはずだ、お嬢さん」
わたしと文野さんの回答は一致していたと思う。しかし、わたし達は答えなかった。
「百合の間に挟まりたくない気持ちと、離別物が好きという気持ち――この間で揺れ動いている。おれはどうしたら良いんだろうな」
世間に言えるような間柄ではなかった。
なにしろ、ごっこ遊び。
「知らないよ。好きにしたら良いんじゃないか? 揺れてるなら揺れたままでも良いじゃん」と文野さん。「だがまあ、あたしの希望を言わせてもらうなら――」
「言ってみろ」
「うしろを向いて、立ち去ってくれないか?」と文野さんは言う。「で、あたしに撃たれて死んでくれ。”返り討ちにしろ”って言われてるんだ」
「拒否する。それじゃあおれの欲望はどうしろっていうんだ」
「知るか。あんたのフェティッシュのために生きてるわけじゃない」
そう言うが早いか、文野さんは松葉杖の先端を彼に向ける。
直後、小さなクラッカーみたいな音がした。松葉杖と思われたそれは、どうやら銃のようだった。傘鷺さん曰く、銃槍を作ると同時に、止血もするという特殊な弾丸を使用するもの。組み立て式。
彼女の命中率がどれくらいのものかは分からない。
だが、殺意は彼の胸元を狙っていた。
文野さんはトリガーを引く。
男は振り返るように身を翻す。
バックパックにパスっと音を立てて、穴が開く。彼の回避と反撃が同時だった。回転するその勢いの中で、左手首のベルトのボタンを外し、革製のホルダーからナイフを引き抜く。背中がギザギザしていた。それがまっすぐ文野さんの方に伸びてくる。
軌道は下から上。さっきよりも速度は早かった。
文野さんは、撃った瞬間に外れを悟っていたのだろう。右手だけで松葉杖を振っている。相当素材は軽いらしい。狙いは飛んでくる男のナイフ。阻止を企てていたのかは分からない。
男は気にせず、そのままナイフを突き出す。
金属パイプの歪む音。ヒビが入って、割れる。
しかしその先に文野さんの体はない。
両脚を開いて、ペタンと床に落ちている。開脚180度。そんなに体の柔らかいひとがいるなんて、はじめて見た。彼女もただ回避しただけでは終わらない。両掌だけで体を支え、器用に回し、足払いをかけている。俊敏なタコみたいだ、とわたしは思った。
男は、跳ぶ。それほど高くはない。突き出された手とは逆、左手を、いつの間にかバッパックと背中の間に差し入れている。取り出されたのは、さきほどより大きく、もはや小刀といってもいいようなナイフだった。
文野さんがパーカーのジッパーを下ろすのと、彼が左手のナイフを振り下ろすのが同時だった。
「間に合うわけがないだろう」
「盾にはなる」
彼女は男の小刀をグリップの底で打ち上げる。彼は若干よろめく。文野さんのこの行動までは、男は予想できなかったらしい。一瞬、狼狽が見える。彼女はニヤリと笑う。
そして、文野さんは、胸の逆サイドから、非回転式の銃を取り出していた。
「本命、お出ましィ!」
銃口は男の胴体を向いている。
ダメだ、とわたしは思った。
一度撃ってしまえば、騒ぎになる。もともと今回の作戦は、わたしが囮になって、文野さんが松葉杖型の銃で、そいつを暗殺することに意味があったのだ。派手なアクションなど必要ない。”文野史織を把握したものは、返り討ちに遭う”というストーリーを作ること、再録することに意義があった。
しかし、彼女がサイレンサーのついてない銃をぶっ放すというのは、事態をまるっきり変えてしまう。小さなクラッカーが鳴ったくらいでは、ひとは騒がない。聞き間違えと思うかもしれないし、実害が出なければ頓着しないかもしれない。しかし、文野さんの二挺目は、しっかり男の肝臓あたりを見据えていた。
ここは昨日みたいな放課後の校舎ではない。周りにひとがたくさんいるショッピングモールなのだ。銃声が響いてしまえば、事態の収拾に多額の費用が発生するだろう。
そうなれば、わたしひとりが我慢すれば良い、という問題ではなくなってしまう。わたし一人の人生が、昨日今日で激変してしまう程度で済むなら、コトは安い。けれども、その域を超えてしまって、たとえば家族やその他の親類縁者にまで及ぶなら、話は違う。あの他人の群れのいくつもの世界系を壊すのは、わたしには余る。
家族を守れるのは、わたししかいなかった。
もはや、隠し事をしている場合をしている余裕はない。
やるしかなかった。
しっかりとした指向性でもって、銃の仕組みをイメージする。分解点検などしたことないから、正確なところなんて分からない。だから映画なんかで見たシーンを繋ぎ合わせる。非回転型。弾丸のたくさん入ったパッケージがあって、それを本体に装填するやつ。引き金を引けば、何らかの機構が働いて、銃弾がせり上り、尻が叩かれて、弾が出る――精々それくらいの認識。それが限界。あとは賭けだ。
両手を組み合わせて、強く願う。
どうにかなれ!
文野さんはトリガーを引く。
しかし、銃声は鳴らなかった。代わりにガチンという音。
「――は?」と文野さん。
男も呆気に取られていた。しかし、すぐに思い出したように、右手のギザギザナイフを呼び戻す。文野さんは銃を一旦手放し、腰の後ろに手を回す。そこに銃もがあることが、自分の手に取るようにわかった。
そこがタイミングだった。
わたしは飛び込んだ。これ以上、文野さんに撃たせてはならなかった。
彼女ともつれ合う形になる。
男のギザギザナイフは、宙を掠める。頭の後ろでヒュンという音を聞いた。
文野さんに覆いかぶさるような形のまま、振り下ろされるナイフとその痛みを待つ。死だって覚悟する。どうせ辞世の句は読み終えたあとだ。
しかしそれは、いつになっても来ない。
「二人とも殺すのは性に合わないんだよな」男の声が聞こえた。「離別ものは好きだ。その条件には、少なくともひとりが生き残ることってのが含まれる。お預けだな、文野史織。おまえがそうして守られてる以上、おれにあんたは殺せない」
サンダルの去る音が聞こえ、代わりに周りの人々が駆け寄ってきた。大丈夫ですか、何があったんですか、と声をかけてくる。どいつもこいつも遅いんだ、とわたしは思ったが、それはつまり、そういった人々には何もなかったということでもあった。おそらく日常的な空間が、どっと流れ込んできた。
「……重いよ、隅方さん」とわたしの下で声がした。
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