scene 07 : こちらにシーソー、ございます

 人殺しと一緒にされてしまった。

 文野史織の本性を知らなければ、素直に喜んでいたかもしれなかった。実際、ちょっと救われた。そうか、ここにいたのかと思いすらした。すぐに頭を振るようにして、打ち消す。眩暈を装う。学童歴十年ちょい、ほとんど誰とも連めず、トモダチのいなかったわたしにとって、彼女の言葉は福音にも聞こえていた。

 でも、そいつは昨日に忘れてきたアイディアのはずだった。

 だから、「そんなことないよ」と言わざるを得ない。

 わたしと彼女は、トモダチになんてなれるわけない。

 わたしは、人を殺したことがないし、そうしたいと思ったこともない。幼い頃から、他者の顔は脅威で、戦意を挫くには十分だった。彼女のような特異な反射などないし、殺意も形になる前に砕かれていた。

 けれども、そういうことではないのだった。

「隅方さん、友情って天秤で量れないんだよ。オトモダチってのは、シーソーなら同じ側って意味なんだ。二人でシェアするものじゃなくて、二人が偏ってる場所のことを言うんだよ。逆説的に、二人が同じ側に座っていて、シーソーがすでに傾いているなら、わたし達の間には友情が成立する可能性すらある」

「友情の可能性」

「ま、わたしから”トモダチになって”なんて言うつもりもないけどね」と文野さんは続ける。「あくまでわたしは指摘しただけで、あたしは何も望まない。もうそういうものは諦めてるし、十分なんだ」

 あたりの人混みをかき混ぜるように、くるりと回ってみせる。今このショッピングモールにいられるというだけで、満足しているのだと言わんばかりに。

 透明な壁が一枚あった。

 わたしには、飛び越えるだけの勇気がなかった。覚悟もない。

「今日のわたし達がやるのはせめて、オトモダチごっこなんだ。わたしは目一杯楽しむけど、たぶん遊びにもならない。わたしの一方通行なだけで、隅方さんの方は、正直楽しめないと思う」

「自分が楽しいなら良いんじゃないの? わたしも、努力するし」

「いいよ、そんなことしなくて。隅方さんは人質みたいなものなんだし、そもそも遊びは仕事じゃないでしょ。それに、今までろくに楽しんだことのない人間が、ふつうの楽しみ方、分かると思う?」

 できてるじゃないか、とわたしは思った。

 彼女は十分楽しんでいるように見えていた。けれども、そこに今揺らぎのようなものが混じっている。水のヴェールのような感触。そこに何かがあるのは確かなのに、決定的なところで何かは分からない、そんな感覚。

「……文野さんが目一杯楽しんでくれるなら、わたしも楽しめるかもしれない」

 嘘ではなかった。

 外見だけ見れば、彼女はかわいいのだし、わたしだって影響されてより良い演技ができるかもしれなかった。同じ格好だってしている。誰も、彼女が昨日ひとを殺したことも、胸の横に銃のホルスターを携えていることも知らないのだ。人殺しが週末を楽しむということが、いくら社会的に異の上がるものとしても。

 バレなければ犯罪じゃないのだ。

 本当にそれで解決するだろうか? 罪の意識は残るだろう。忘れることもできるかもしれないが、昨日の今日ではまだ無理そうだった。

 それに畢竟、演技は演技で、ごっこ遊びの域は出ないのだ。

 誠実ではないことをわたしは言っていた。

「そう言ってくれるだけで、あたしは満足だな」と文野さんは言う。「……隅方さんは、わたしが捨てたものを見せてくれる」

「そ、そうかな」

「そ。つまり、性格が悪い。意地悪だ。ひょっとしたらって思っちゃったら、どう責任取ってくれるの? なーんてのは、あはは、冗談だけどさ。でも、考えた方がいいと思うよ、期待で照らしたら、導かなきゃってこと。裏切られると傷つくんだ」

 これ以上なく人間を傷つける少女が、そういうことを言うので、取り扱いに困った。

「傷つくって言い方はおかしいかな。あらためましてのことじゃないしね。でも、忘れてたはずのきず、目に入れないようにしているものを目の当たりにすることになる。それってやっぱり、寂しい話だよね」

「わたし、謝ってもいい?」

 彼女に言われたことは、そのままわたしにも当てはまることだった。自分で吐いた言葉が、文野史織に反射して返ってきた。ああ、こういうことがあるから、わたしはクラスメイトとの会話を避けていたのに、と過去が釜の蓋を内側から開けようとする。

「ダメだよ。隅方さんは悪くないんだから」と彼女は悪戯っぽく笑う。「でも、同情はありがとうね」

 どこをどう歩いたのかも分からない。

 なにせこのショッピングモールは広いのだ。

 けれども、わたし達は全国展開している喫茶店の前で立ち止まる。半分開放式で、吹き抜けの通路に面した席もいくつかある。

 ちょっと思ったことを聞いた。

「遊びが本気になるって線はないのかな」

「想像できないね」と文野さんは即答する。想像したくないといったニュアンスが感じられた。「本気が想像できない遊びなんて、要らない」それもまた、捨ててきたものというわけだ。「シーソーで遊ぼうとするなら、共通する相手が必要だよ。あたしだけの敵じゃなくて、あたしと隅方さん双方にとってのね」

 彼女の目がちょっと鋭くなった。

「でも、隅方さんは、そういうの心配しなくて良いんだよ。ひとりよがりのオトモダチごっこに付き合ってくれるお礼に、生命は保証する。意地悪だからって、殺される必要はないんだからね」

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