断章1

scene 05 : 文字ベースの一家

 囮になるのは、今日ではなかった。殺人事務所に来たときと同じ車で、わたしは自宅まで送られた。大した会話はなかったが、運転手はわたしの住所を知っていた。このひとも人を殺すのだろうか、わたしは生きたまま帰れるのだろうか、と恐々としていたが、杞憂だった。

 車が視界から消えるのを待ってから、家の鍵を開ける。

「ただいまー」とわたしは言う。

「おかえりー」と掃除ロボットが答えながら、寄ってくる。正しくは、その上に乗っている小型の機械から音声は出ている。日中はほとんどひとのいない家に、誰かいるかのように見せかけるため、叔父が作ってくれた装置だ。名づけて「おかえりくん」と言う。そのまんまだ。

 わたしは根本的に、無防備な生活を送っている。

 一人暮らしではないが、常に誰かがいるわけではない。両親は仕事で忙しい。津々浦々を飛び回っているわけではない。単に朝が早く、夜は遅いので、わたしの生活スタイルと重なることがあまりないだけだ。

 父には父の世界系があって、母には母の世界系がある。たまに連れ添って帰ってくることはある。そういうことができるから結婚したのだろうし、十分成長したわたしが今更どうこう言えた口ではない。

 ずっとこうだったわけではないし、たまに家族でお出かけもする。定期的に外食会も開かれる。

 まあいいよ、わたしにはわたしの世界系がある――と諦めにも近い了解の仕方をしているとはいえ、わたしの場合、それはクラスメイトとの希薄な関係だけで、ほとんど実態なんてないようなものだった。便宜上”わたしの世界系”といっているだけで、虚偽申告も甚だしい。中身なんてない。

 靴を脱いで、ちゃんと揃え、手洗いうがいをしてから、リビングへ。


 リビングにはホワイトボードがある。横にはオフィスワゴン。その上には、日報用のA4ノート――家族日記。

 隅方家は、中学の途中から文字ベースの家になった。予定はホワイトボードに、伝達必要な事柄はノートに書き、採決が必要であれば資料を作る。

 たとえば、塾に通おうと思ったなら、各種資料を集めて、希望事項を資料にまとめて、ワゴンの引き出しに入れる。両親の協議の進行度合いに応じて、資料は引き出しを行き来する。部活動に参加する程度の裁量はわたしにある。小遣いの分を超える金銭が発生するのであれば、これもまた資料を作って上申する必要がでてくる。塾にも部活動にも興味はないし、小遣いにも苦労はしていないけど。

 協議の結果に不満があったり、寂しくなったりすれば、両親とのミーティングを設定することもできる。その場合、「相談事があります」と家族日記に記せば良い。もともとあったお出かけの予定とは別に、彼らは会って話すための日程を調節してくれる。

 別にそういう手順を踏まずとも、たまのレジャーのついでに相談すればよいのだが、わたしは、楽しいはずの日と個人的な問題は切り分けたかった。もともと”手のかからない子”なのだ。だからこそ、彼らは最低限な情報伝達――文字での伝達――をベースに日常体系を構築することができたわけで、これは信頼の証とも放任主義とも見ることができる。

 他の家も似たようなものじゃないんだろうか。

 わたしにとっては、どちらでもよかった。


 家族日記を開く。側のペンを手にとり、しばし考える。

 今日、わたしは殺人現場に出会しました、と書くことはできなかった。確かにそれは一大事件だし、性質としては、スクープやゴシップ的でもあった。

 しかし、言ってしまえば、旬を過ぎていた。

 そもそも、わざわざ家族日記に書く意味とはなにか。書いたところで、伝達までには時間がかかる。時間がかかっても差し支えないことしか、家族日記には記すことができないのだ。もちろん、今回みたいな緊急事態ともあれば、わたしはメールを書くなり、電話をすることができる。それくらいは許されている。当然だ、家族なのだから。

 でも、それは、わたしの主観世界と両親それぞれの世界を繋げることを意味する。三者が三様に自分の世界を保っているおかげで、わたし達の家族関係はさわやかに成り立っているのに、それを侵害することになってしまうのだ。定期的な外食会とは違う。全教科で満点を取りました、とは情報の性格が全然異なる。

 家族とはいえ、他人だ。たまたま血縁があるだけで、偶発的な関係である。そんなひと達を犯罪に巻き込むのも、わたしのプライベートが破壊されるのも躊躇ためらわれた。

 結局、わたしは「いつもどおりでした」と書く。

 ペンを投げるようにして戻すと、クラッときた。

 久しぶりに、自分の身体からだが拡散していく感覚に襲われた。ひとりでいると、たまにそうなる。全身を構成する粒子が連結を失って、一秒ごとに砂のように崩れていく感覚。本当にそうなってしまえば良いのに、とわたしは思う。せめて顔面が崩れているといい。サンドマンのように。鏡を探そうかと思った。自分はいま一体どんな表情をしているんだろう。

 意味のない話だった。

 誰もいない空間において、表情なんてものに意味はない。どんな機能も遂行しない。コミュニケーションはここにはない。伝える相手も、伝えられる情報もここにはないのだ。あの二人はわたしの日常を構成していないし、わたしを本来の日常に復元させてくれるような能力も持っていないのだ。

 成人こそしていないけれど、食事の用意くらいはできる。生活のコントロールができるくらいには、オトナだ。

 軽くよろめきながら、キッチンへ。

 冷蔵庫から、牛乳と野菜ジュースを取り出して、大きめのグラスに注ぐ。プロテインを入れて、かき混ぜる。カロリーメイトを齧りながら、それを飲む。色合いは優れないが、これだけ取っていれば、死ぬことはない。

 そもそも、”わたしの日常”なんてものがあったのか。

 惰性で経過する毎日はあった。せめてクラスメイトとつるむことができるなら、なんてことのない日常に意味を見出すことができたかもしれない。カラオケ、ドーナツ・ショップ、テスト対策、コイバナの類。

 けれども、わたしにはそれができないのだ。ただ、ルーティンのように日々を暮らしていくだけ。特に趣味もなく、目的もなく、ただ他者との間の境界を維持しているだけ。

 隅方いい子という称されるこの身体、その殻の中には、形の定まらない自己わたしが詰め込まれている。内臓が適切な位置にあるかも疑わしい。すべてはごちゃ混ぜで、適切な配置を知らないのだ。正答を待つアナグラムのようなアイデンティティ。しかも目指すべきは単語でなく、単行本一作くらいの文章である。

 おかえりくんが羨ましかった。彼には仕事があり、役目があり、しかもそれに集中することができる。疑うことも知らない。

「こういう話できるの、叔父さんだけなんだよな」

 呟くわたしの声は小さい。

 わたし自身にも聞き取れないほどに。

 おかえりくんを作ってくれた叔父は、世界中を放浪している。彼は韜晦とうかいするように話す代わりに、わたしのことを決して笑わず、かといって過剰な心配もしない。もちろん彼には彼の世界がある。基本的には誰とも連まず、構築したとしても即席の協力関係だけで、わたしと出会うときすら必ず「はじめまして」と言う。彼にとっては毎日が新しいのだ。わたしの悩みなんかは、そして今の混乱すらも、その場限りのものになる。精神的な整体師のような存在。

 あのひとのように生きられたら、時折、わたしはそう思う。

 そう都合よく連絡のつく人物でもない。

 叔父さんならなんて言うだろうか。

 確立していないスタイルの日常は隙だらけだ、とか言うかもしれない。”無防備な生活”とは、そういう意味だ。適宜頼れる人物もおらず、あっさりと瓦解してしまうほどに脆弱なもの。弾丸ひとつで完膚なきまでに壊されてしまい、復元もできない。

 使ったグラスと、使っていない皿とフライパン、箸を洗って、水切りラックに置く。サラダ油と調味料を少々ずつ排水溝に流す。ちゃんとした食生活を送っているかのように、いくらかでも偽装する。本当の食事を両親に知られないようにする。ここまでしなくても気づかないだろうが、念の為だ。

 シャワーを浴びて、自分の部屋に戻る。

 相変わらず殺風景な部屋だった。ベッドと本棚と学習机(小学生の前からずっと使っている)、クローゼット、雑用棚。自分の部屋なのに、状況証拠からすらもわたしがどんな人間か推測することができないのだ。なんでこうなっちゃったんだろう、の解答など望むべくもない。ヒントのかけらなんて落ちていなかった。

 ただし、やらなきゃならないことだけは、明確だった。

 明日は土曜日、文野さんとのデートの日である。

 ひとと会うのだから、早めに寝なければならない。


 眠りに落ちる直前、思い出した。

 ケーキを買ってくるのも、食べるのも忘れていた。

 そんなこと、物心ついてからはじめてだった。

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